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音楽と青春を奏でた3年間

高校の3年間、吹奏楽部にいた。

それまでに音楽に携わった経験などない。むしろ運動ばかりしていた。

きっかけは中学でバレーボール部に入部していた時に肩を壊したから。部長をやっていたため、通院しつつも部活には必ず参加し、休まなかったのが祟ったのかドクターストップがかかってしまった。

高校でもバレーボールを続けるんだろうと思っていた先が無くなり、さらに運動部全般に入部することが困難になった。かといってずっと部活に打ち込んできたから幽霊部員になるようなゆるい部活には入りたくなかった。

授業が終わり、帰宅しようと渡り廊下を歩いていたところに「吹奏楽部なんですけど、良かったら見学だけでもしに来ませんか?」と先輩に声をかけられた。

高校の入学式の後だかなんだかの時にチアリーダー部、和太鼓部、吹奏楽部の歓迎パフォーマンスがあったことを思い出し、入るなら和太鼓部か吹奏楽部が良いなと思っていたからタイミングが良かった。

と言いつつも、大きく腕を振り上げ太鼓を打ち鳴らす和太鼓部は肩を使うことが分かっていたため、内心は決まっていた。

先輩に着いていき、音楽室へ向かう。既に何人かの一年生らしき生徒がいた。私の中学には吹奏楽部がなかったため、緊張しながらも初めて間近で聴く楽器の音に心が躍った。

音楽は中学の頃から外出や宿題をする時に聴いていないと落ち着かないくらい手放せないものだったのもある。

「見学」と謳っていたが、その日から何日かかけて全ての楽器を触らせてもらい、最終的にどの楽器をやりたいのかを第一希望から第三希望まで決める流れになっていった。

第三希望は覚えていないのだが、第一希望はサックス、第二希望はクラリネットにした。天空の城ラピュタでパズーがトランペットを吹いているシーンを思い出してトランペットに憧れはあったものの、音が全く出なかった。

というより、金管楽器全般の音が出なかった。木管楽器であるフルートも音が出ないどころか、息が楽器に入らず酸欠になって目の前がチカチカした。

パーカッションはドラムを体験させてもらったが、手と足をバラバラに動かすことが無理だと悟り、唯一音の出たサックスとクラリネットを選択した。

希望が通ったのはクラリネットだった。ここで知ることになるのだが、中学で吹奏楽を経験している生徒の中にはその推薦で入学していたのが何人かいて、サックスは満員だったらしい。

そして3年間、クラリネットと共に大人になった今も完全に青春だったと言える時期を過ごすこととなる。

1年生は20人以上入部していた。クラリネットには経験者3人、初心者も私含め3人の計6人だった。

まず先輩がマンツーマンで1から教えてくれる。が、私とペアになった先輩は学年の中で最も怖いと噂をされている先輩だった。

音が出てもへなちょこな私に容赦なく叩き込んでくる先輩が怖くて、楽譜が読めないくせに「わかりません」が言えず、後々になって「わかってないのに何で言わないの?」と怒られたり、アンブシュア(楽器を吹く時の口の形)を何度も注意される日々だった。

朝練は自由参加。テスト期間を除いてほぼ毎日行き、まずはちゃんと音を出す練習から始めることにした。ちなみにこの朝練は個人練習のため、コンクール期間以外は多くて5人くらいしかいなかったから、変な音が出ても恥ずかしさはそっちのけで練習が出来た。

最大の難関は「シ」の音を出すことだった。クラリネットの運指(音を出す時にどこをどう押さえるか)は比較的簡単だと思う。しかし、「シ」は全ての穴を全て塞ぎ、隙間があると音が出ないのだ。

楽譜も中学の授業くらいでしか見たことがなく、五線譜の下から二列目が「ソ」ということしか覚えておらず、一枚の楽譜にドから全て数えて書き込むのがやっとで、記号や音符の種類などは「???」状態。

さらに、書き込むのは「ドレミファソラシド」で構わないが、これはイタリア音階で、吹奏楽でのクラリネットは「ベーツェーデーエスエフゲーアー」というドイツ音階で呼ぶと言われ、はてなが増える一方だった。

鬼のような練習をし、1年が終わる頃にはたしか簡単な曲であればなんとなく吹けていた。

だが、一度だけ辞めようと本気で考えていた時がある。練習に熱が入るあまり、勉強の方が疎かになっていたのだ。親が呼び出され担任と三者面談をするレベルで赤点ばかり、再試を何度受けても赤点。

同時に、一人の友人と険悪な仲になってしまう事件が発生する。このことに関して詳しくは割愛するが、先輩に濡れ衣を着せられ、誤解が生まれたことが発端で間接的に関わっていた友人には謝罪しても許してくれなかった。

一緒に昼ごはんを食べたり二人で遊んだこともある仲が一変した。避けられ、クラスも同じだったが省かれ、心が折れていった。

勉強もできないし、吹奏楽は初心者だし、部活に行っても友人には目を合わせてもらえないし、もういいかなと思っていた。その矢先だった。

一人だけ、気にかけてくれる子がいた。ここではマリ(仮名)と呼ぶ。個人的には私と仲良くしていれば巻き込ませてしまう気がして、話しかけられても上手く反応できず、自分からはあまり関わらないようにしていた。

でも、さすがにマリには言っておこうと退部を考えている旨をメールで伝えた。すると、その何日か後の部活終わりに呼び出された。

単刀直入に「辞めないでほしい」と言われた。「私は椎名がいてくれると楽しいし、辞めてしまうのは寂しい」というようなことをぽつりぽつりと話してくれた。

今まで話してこなかった気持ちを私も吐露した。ここまで頑張ったから本当は辞めたくないこと。でも、つらくてしんどいという狭間にいること。

マリは険悪な関係になった子と同じグループにいた。元は私もそこにいて、グループの中でも二人で帰ったり、遊んだり、私たちしか知らない秘密を話したり、誰よりも一緒にいた。だからこそ関わっていたら巻き込まれると思っていた。

二人で久しぶりに話し、マリは私といることを決断してくれた。昼ごはんも二人だけで食べるようになり、一緒に帰ってくれ、前までの私たちに戻ったことで退部はしなかった。

ちなみに、避けられていた友人とは2年生の夏に仲直りをした。そしてグループは元に戻り、現在もみんなで集まっている。

他にも本当に様々なことがあった。部活が終わっても友人たちと自販機で売っているカロリーメイトを食べながら下ネタ全開で爆笑、先輩に招集され謎に怒られるミーティング、ディズニーでのパフォーマンス、小学校や老人ホーム、特別支援学校での演奏、文化祭、定期演奏会。

あんなに初心者丸出しだった私は3年生になると、ずっと吹いていたクラリネットと同時に一段階小さいクラリネットを吹く二刀流のパートリーダーとなり、オーディションに合格してコンクールメンバーに選抜されるほどに成長した。勉強もなんとかして卒業できた。

バレーボールは今もなんとなく出来るし、嫌いになったわけではないが、吹奏楽部に入って心底良かったし、辞めなくて良かった。

現役の時のクラリネットは学校のものを借りていたため、引退してからたまに吹きたい時用に安いものを買った。正直、喫煙者になってしまったし楽譜もパッと見て読むことは出来なくなってしまったが、当時の楽譜はファイル2冊分取っておいてある。

青春は十人十色である。私にとって高校の吹奏楽部での日々は宝物と言える。「青春」と一言で表せないくらいだ。クラリネットにも、マリにも、他の友人にも、厳しく指導してくれた先輩にも、みんなに感謝をしている。

こうして文章にしても書ききれないほどのあの時の輝きを、一生忘れることはない。

今回はここまで。
読んでくださりありがとうございました!

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