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国語力がないと行動できない。国語力がないと依存しやすい。

国語力が無いと話す力や聞く力、感情や思いの言語化がうまくできないため様々なところに影響を及ぼすということを書いた。

それに加えて少し話したいことがあるので、それについて書いていきたい。
ちなみに、前回書いたものを分かっている前提でかくので、見ていない方はこちらを見てほしい。



国語力が無いと行動できない


以前、ラス・ハリス著作の「自信がなくても行動すれば自身は後からついてくる」というマインドフルネスとACTを使い、自信がない状態をどう克服するかという内容の本を読んだ。

人がチャレンジや自分のやりたいことのために努力すると、不安や恐怖を感じたり、くじけたりだるくなったり、嫌気がさしたりすることは当たり前で、仕方のないこと。
このような感情を無くそうとしたり、避けたり、逃げたりすることなく向き合うことによってその感情と寄り添いながら前に進んでいくことが大事ということがこの本の根幹にある。
自身については、行動が続いていけば勝手にあとから湧いてくるというのが、著者の主張である。

どんな人でも新しいチャレンジや行動をすると、不快感が湧き上がる。それらを受け止めるということは、つまりそれらを言語化し、明確にしたうえで適切に処理を行う必要性があるということになる。実際この本の中の拡張(エキスパンション)というスキルのやり方を見ると、自分の感情を観察する工程があり、ある程度自分の感情を言語化する必要がある。

もし、自分の不快感や負の感情に対する対処法やスキルを持っていない場合、新しいチャレンジや行動により発生する不快感に耐えられなくなる恐れがある。

これにより目の前のこと逃げ出したりする癖がつくと、周りからもそのことを指摘され、より追い詰められて不快感に対する抵抗が少なくなるという循環が発生しかねない。国語力は自分の不快感を把握し、適切に処理するためにとても重要である。



自己治療仮説について


国語力がないと依存しやすい。これを説明するためにまずは自己治療仮説という依存症のモデルについて話したい。

自己治療仮説とは、その人の内面にある精神疾患や弱み、心理的脆さを治療する目的で薬物や特定の嗜癖行動を行う理論のことである。

依存症はその人が堕落していたり、心が弱いから陥ってしまうという考えを抱きがちだが、薬物や嗜癖がその人の内面的充足感を満たし、使った当初は自分の理想的な精神状態や行動力を与えてくれたと感じる人が多くいる。



国語力がないと依存しやすい

この自己治療仮説に基づくと、薬物や特定の嗜癖行動は自分の心の弱さや脆さを治療している。

子供時代に親からの虐待や暴言を受け、自尊心を失ってしまった人はコカインを吸うことでエネルギーや活力溢れる状態になることもある。

極度な人見知りでうまくコミュニケーショを取ることができない人は、アルコールの力を借りることによって、他者と積極的にコミュニケーションが取れるかもしれない。

これと同様のパターンで、心の漠然とした不安やストレスを解消するために特定のものに依存してしまう可能性がある。
最近の子供だとスマホやゲーム依存になるだろうか。

国語力がないことからコミュニケーションがうまく取れず、自分一人で完結し楽しむことができるゲームに没頭してたら依存症になってた。

現実では認められない、上手くいかないもどかしさや感情を受け止めてくれる受け皿としてスマホの多用的な面に依存するかもしれない。
(スマホ依存は多分この理論とは違う原因で子供が陥ってしまうことになるとは思うが、このような可能性もなくはない。)

感情や思考が言語化できれば、自分の内面と向き合い依存物質に頼らない適切な行動が取れる。言語化できないと適切な処理ができないため、感情や思考を良い方向に持っていくものであればなんでも使うし頼る状況になる。言語化できないから危険な量や危ないラインも知らないし知ろうとしない。

実際、自己治療仮説に当てはまる依存症患者の内、自分の感情がわからないと答える人が数多くいるという。国語力がない人はこちら側に陥る可能性が十分ある。



まとめ


国語力がないとどうなるのかという前回の記事を私なりの意見と考えで少し発展的に考えてみた。

精神的な面に着目したが、これだけでも色んな方向へ悪影響を及ぼす可能性が見込まれる。

日頃から新しい言葉に触れたり、自分の考えや気持ちを日頃から言葉にすることは案外大事かもしれない。


今日は以上。

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