理想と現実とは

家なき子、観たことあるだろうか、そう安達祐実のドラマね。このドラマで印象的なセリフは、(同情するなら金をくれ)なんだけど、もう一つ重要なワードがある、(人間は裏切るものなんだよ。)って言葉。裏切るとは自分の思っているとうりにならなかったという意味じゃないだろうか。

人間は自分自身の意思、意見をより強く出すという、ある意味本能というほどの強い主張がある。これは当たり前で、どんな人でも、他人よりも立場が上でありたい、管理、命令、指示するほうにまわりたい、これはもう本能であるので否定はできないことである。

例えばあおり運転 これはもう自己主張そのもで、自分の運転以外のものは排除したい、暴力や暴言、事故を起こしそうな運転をしてでも、自分の意思を押し通すという強い表現であるかもしれない。

人間関係でもしかり、職場や学校、恋人、夫婦、兄弟、親子でも起こりえる、特に人間関係においてはより身近な人間関係において管理、指示、命令を無意識に行ってしまうことが多い。それは相手の気持ちや成長を見守るというよりは、自分自身の立場、位置関係の保持したいという気持ちではないだろうか。

人間関係においては、他人の意見や評価をまったく気にせずに生活するという事は不可能に近い、しかしそればかりに囚われすぎると、評価のために行動する、意見を気にして動いてしまう。これが一番気づかない、面倒な行動なのだ。無意識にコントロールされているのに気づいていないのだ。

根本的な人間の欲求は自分の夢を叶えたい、好きに行動したいという欲求を叶えることだと思う。しかし自分以外の人間、友人、家族、SNSのフォロワーなど、どうしても自分の重い通りにコントロールしたいという欲求が強まってしまう。そうそんなことはできないのだ。

自分以外、本当は誰も、あなたの思う通りには動かない、考えてはくれない、それは実は当たり前のことだと、わかってしまうと意外と考えが変わってしまうのだ。

YOUTUBEやTWITTREにおいてはどうだろうか?自分の意見や表現、行動や主張はもちろん誰でもある。現在地球上の人口は77億人らしい。ネットやモバイル技術の向上で誰でもコメントや意見、もちろん好意な意見もあれば否定的な意見もある。経験上、他人の行動に友好的な意見よりも否定的な意見やバッシングのほうが書き込まれる傾向があると思う。その時により強いエネルギーが沸くんだと思う。だから否定的な意見が多いし、人間は否定的な意見を好む傾向がなぜかある。優しい気持ちや友好的な時は感情を強く感じないのかもしれない。

人間は生きていくそして死ぬ。これは自然の摂理でどうしようもない。人間が他人を否定するのは生死が関係するのではないかと考えている。自分の立場が弱くなると究極には死ぬ事に直結するかもしれない、大げさかもしれないが、そんな究極の本能的なものが相手を否定、中傷するのではないだろうかと考える。

弱すぎる人間ほど、自分の意識や考えがあまり高くないステージだと相手の気持ちが考えられない、自己主張が強い、否定的な考えだけが先行してしまう。この場合弱い人間とはなんだろうか。自分自身の考えや目的がない、自分以外の意見は聞かない、主張を曲げないだろうか。

それでは強い人間とはなんだ。

どんな状況に置かれても、対応できる術(すべ)を持っていることではないだろうか。インターネットのおかげで、困難や否定的な意見は今まで以上に多くなる、これはもう止められない。SNSの誹謗中傷やつるし上げなどは今後も止まらない。テレビしかない時代、テレビすらない時代はまだ自分を考える暇もあったのかもしれないが、24時間のネット社会においては常にメッセージや通知が気まくり、本当の自分を考える暇もない。もっとも現在のテレビは見る価値もなくネット動画の垂れ流しと、内容のないお笑い、退屈なドラマ、炎上ありきの作られた報道、もう見てもしょうがないのだが。

生きていく以上は困難や否定的な意見、裏切り、家族との訣別、仕事上のトラブル、職場解雇、降格、病気。人生はトラブルとの戦いでもある。そういう時にどういう行動を起こすのか、考えをどう起こすのかのほうが、より重要ではないだろうか。

自分以外の相手が否定的な意見、行動をしたときに怒る、反論する、これはそのケンカに反応した時点でもう負けています。相手に感情をコントロールされてしまったあなたの負けです。それでは、勝つなら、反応しないことです。どうしてこの人はこういう行動、言動、書き込みを行うのだろうかと冷静に分析する、もしくはその場から立ち去りましょう。相手の気持ちや行動をこちらから変えることは不可能です。家族であれ、上司であれ、友人、夫婦であれ、無理です。77億の地球上の人間の考えがあればそれを変えるのは絶対に無理なのです。それは諦めかもしれません。本当かは知らないけど、諦めるという言葉は(あきらかに見る)というところから来ているという説があります。明らかに見通せば、諦めていいのです。

ある程度の権力者、有名人、今ではフォロワー数万人が有名人なんていう時代。それぞれのコメントや引用を否定したり、自分の意見と違うからといって再度否定してもしょうがないのです。それは相手に完全にコントロールされているからです。

人生は短い、やりたいことがあれば今すぐ行動を起こして、他人の意見など聞いてる暇はない。

大人になるって考えたことはあるだろうか。もちろん20歳になることなんかじゃない。人間の考えは変えることもできる、より良い質の高い人生が送られるなら、より高い考えをもって行動するべきである。

しらんけど。

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