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「価値観の共有」は本当に心理的安全性をつくるのか

みなさんおはようございます!GMOタウンWiFiで組織改善に努めているのんにゃんです。

今回も思考の整理としてnoteを書きたいと思います。表題の通り、「価値観の共有」が本当に心理的安全性をつくるのか、についてです。


「価値観の共有」(=相互理解)は心理的安全性に寄与するのか

最近は心理的安全性について改めて勉強しているのですが、リクルートマネジメントソリューションズが2017年に出されていたこちらの雑誌?にて、心理的安全性をつくるには価値観の共有が必要であると言うことが所々に書かれています。

 組織がうまく機能するためには、メンバーが思いや価値観、考え方を共有していなければなりません。その共有されたものが組織の文化に、マナーに、そして仕事の作法に転換します。そうした共有がうまく行われている組織ほどパフォーマンスがよくなります。組織心理学でいうところのshared cognition(認知共有)です。
 サッカーの試合を想像してみてください。ボールを保持した選手が「あそこに蹴るぞ」というコミュニケーションをとらなくても、空いたスペースにボールを蹴り出し、阿吽の呼吸で、いつの間にか走ってきた味方にパスがつながるチームほど、多くの得点が期待できます。あいつがボールを持ったら、空いているスペースへの球出しを真っ先に考えるはずだ、という先読み、すなわち考え方の共有ができているのです。
 心理的安全性も、そうした共有の結果、生まれてくるものだといえます。「こんなことを言ってもいいはずだ」「こんな振る舞いをしても非難されないだろう」。そんな価値観が共有されているからこそ、メンバーが自分の考えを自由に吐露し、時にはリスクを冒してまでも、新しいことにチャレンジできるのです。

組織や成果の学びにつながる心理的安全性のあり方』p.11

こちらは早稲田大学商学部の准教授の方の言葉ですので、信頼できるものとして考えています。

インターネットで心理的安全性について調べると、たしかに「相互理解」のニュアンスでの価値観の共有に触れられている記事が多く見受けられます。簡単にいうと、お互いがどんな人間か知れば知るほど心理的に安心するよね、ということだと思います。

しかし、どこか腑に落ちない

ある程度は、お互いがどういう人間なのか知ることで対人リスクの排除にはなると思います。

そこに異論はないのですが、一緒に協調して仕事をすることを考えると「〇〇さんはこういう人なのか、ふーん」では済まないのではないか、と思っていたのです。なぜかというと、相手のことをただ知っているだけでは進みたい方向が大きく異なった時にお互い納得できないのでは、と思うからです。

友達であれば、お互いの価値観を共有して知っていくことで仲良くなれる可能性は高いと思います。価値観が正反対でも面白いですし、似ていても面白いと思います。ただ知っていくだけで、人間としての距離感が近づいていくと思います。それに、友達であれば一緒に何かを世に生み出す必要がありませんから。人間としての触れ合いを楽しめば良いだけです。

また最近、心理的安全性の第一提唱者であるハーバード大学教授のエイミー・C・エドモンドさんの本を読みました。

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実はここには「相互理解」のような要素が一切書かれていなかったと思っています。具体的に何をすべきかということは以下のツイートにて貼りましたので、よかったら見てみてください。

簡単に要約すると、心理的安全性を作るのはリーダー次第であり、メンバーのことを尊重している言動をしっかり行おう、ということだったと思います。

もう少し具体的に考えてみましょう。自分とは価値観が違うなーと思う人(Aさん)が社内にいたとします。飲み会の場ではその違いを楽しみ、お互いに仲良くなれたとします。その後、仕事でAさんの考えに引っ掛かりを覚えた場合、仲良くなる前よりも率直な意見が言いやすくなっているでしょうか?

言いやすくなってるかもしれないし、もっと言いにくくなっている可能性もあるかなと思います。

仲良くなるのは良いことです。同僚が友達なんてのもいいと思います。人生がより豊かになるような気がします。でも、それだけでは心理的安全性が高い(=対人リスクなく率直な意見を言えて、自分らしくいられる文化※)とは言えないのではないか、と思うのです。

※『恐れのない組織』より要約した心理的安全性の定義

お互いの価値観を共有するのではなく、「共通の価値観を共有」することが大事なのではないか

今年の3月にGMOタウンWiFiにジョインして初めてホラクラシーを知りました。まだ全社での導入には至っていないのですが、私のチームではある程度実践しています。

ホラクラシーの詳細に関しては私も初心者向けの記事を書いていますのでぜひご覧いただければと思うのですが、仕事をする上での価値観が定められていたり(「自律」を根幹としたもの)、細かなルール(「憲法」があります)も存在します。

それなりにチームのみんながホラクラシーをインストールしながら仕事をしている時に感じたことは、大きな安心感です。

どういうことかというと、例えば私が「自律的であり、一人でなんでも決めたがる人間」だとしましょう。相互理解の場を設けてみんなにそれを理解してもらって自分らしく仕事を進めることよりも、ホラクラシーにより「自律的に仕事をするのが良い」という価値観をみなが共通して理解している状態の方が、私は安心して仕事ができるようになるということです。

主観的な基準により根底の良い悪いを自分で決めて動くよりも、みんなが共有している前提がある方が圧倒的に動きやすいと感じました。

単純に、相互理解はしてもしきれないというのもあると思います。人間ですから、例外的な場面もたくさんあるでしょう。

ただ、共通の価値観を共有している前提があることで、何かを意思決定する時や意見を伝える時、安心して会社の一員として行動しやすくなると思うのです。

ちなみに、冒頭で引用した早稲田大学商学部の准教授の方の言葉も、単純に相互理解をしようということではなく、複数人の相互理解の結果生まれた価値観を共通のものとして共有しようという意味にも取れると思いますので、決して異議を唱えたかったわけではないということをここに書かせていただきます。

この文脈で、理念や行動指針の共有・浸透は大事なのだと思う

とても当たり前な結論に至りそうなのですが、理念の共有や浸透は企業にとって今や当たり前すぎるくらい当たり前とされていると思います。

私も、当たり前だと思ってこれまで過ごしてきたのですが、いざ「浸透させよう!」と思った時に、なぜなのだろうと立ち止まったのがこの記事を書くに至ったきっかけでした。

それこそ、会社と社員が相互理解をしているに過ぎないような感覚があったのです。会社はこういう未来を描き、何がやりたいのかを社員が知るだけなのかと思っていました。それも大事だと思います。あ、もちろん社員同士の相互理解も大事だと思っています。仲良くしたいです、私もみんなと。

ただ、知るだけ、理解するだけにどのくらいの意味があるのだろう、と思っていたのです。

そこでインプットや実体験を踏まえ、共通の価値観を共有することで、判断基準が分かりやすくなり働きやすくなるという結論に至りました。

とてもスッキリしたので、これで心置きなく理念や行動指針の浸透について施策を考えていけます。

こうしていちいち立ち止まっているとあゆみは遅いかもしれないのですが、私はもやもやしたまま動けない特性があります。

しかし弊社は「日常にひそむ違和感に気づき、より良い仕組みで解決すること」をミッションに掲げています(出来立てホヤホヤなのでこちらについてはまた今度…)。

つまり、弊社の共通の価値観として、日常にひそんでいるような小さな違和感にしっかりと向き合っていくことを良しとしているわけなのです。これがあるおかげで、私は遠慮なく安心して自分のもやもやを放っておくことなく処理することができます。


まとめると、相互理解は人として仲良くなるには大事であるが、それだけで心理的安全性が出来上がるとは言い難い。お互いの価値観を共有するだけではなく、共通の価値観を共有することにより、対人リスクなく率直な意見を言い合える心理的安全性が生まれるのではないだろうか。

それではまた次の記事で会いましょう〜!のんにゃんでした!

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