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運動会ぽいもの【岩井秀人 連載 5月号】

いわい・ひでと●全年齢・全生命体対象の「命のお祭り」再び!!!!!!  多田淳之介(東京デスロック)の原案による問題作を、岩井秀人が演出したハイバイ「再生」が、6月より東京芸術劇場シアターイーストで上演(全国3カ所ツアー)。チケットは本日より一般発売開始。公演・チケット情報はこちらから。●2017年に上演された「なむはむだはむ」の最初の公演がYouTubeで公開中です。

太田市美術館図書館で開催されていた「なむはむだはむ」の展覧会、「かいき!はいせつとし」が、とうとう終わってしまった。

森山未來くん、前野健太くん、種石幸也さんと一緒にやってきた、「子どもの書いたものがたりを、大人(プロの表現者)がよってたかって作品にする」というコンセプトの企画は、基本的には演劇作りをし、やがてEテレ「オドモTV」のコーナーとしてだったり、渋谷WWWにてライブをやったりしてきた。

そこに「展覧会、やりませんか?」と、声をかけていただいたことで、実現した。

「展覧会ってなに? どゆこと?」と、戸惑っていたが、美術家の金氏徹平さんが参加することになり、金氏さんの個展などに行かせてもらい、金氏さんの「子どものものがたり」に対する解釈を聞いているうちに、「美術って面白い!!」となっていったのだ。
我ら「なむはむ」は、常に肉体をもって客前で何かしらをしてきた。原作のものがたりを声に出し、そこから解釈した音楽を出し、その影響を受けて肉体を動かした。カメラの前や生のお客さんたちの前で我々3人が実演してきた。が、美術は違う。

例えば、子どもの書いた「くりっらが折れた」という謎の言葉があった。「くりっらってなにさ?」と、みんなで悩んだりした後、もし「なむはむ」の3人だけだったら、当然動きや音楽になっていたと思う。それがなんなのかわからないままに、誰かが「くりっらのものがたり」をでっち上げてみたり、「くりっらの歌」なんぞを作り上げて、お客さんの前で歌い踊ったことだろう。

しかし、今回は金氏さんがいたことで、「じゃ、くりっらを作ってみましょう。」となる。結果、いくつの「くりっら」が展示室に並んだことだろうか。4メートルくらいの「くりっら」もあれば、床には多分、50個くらいの「くりっら」が置かれていた。それらは全て「くりっらの可能性」なのであった。演劇では、やはり我々3人のボディーに物質的な限界があるため、50個のくりっらの可能性を描くことは難しい。

さらには、展覧会全体のデザインを担当してくれた平野篤史さんの「くりっら」もすごかった。どこかから拾ってきた流木のカケラに、かわいい蛍光色でちょんちょんと点が打ってあり、顔に見えなくもない物体を、それこそ100個くらい床に並べて、巨大な「くりっら」の輪郭を作った。それもめちゃくちゃ可愛かったが、それだけでは終わらない。なんとその流木を、展覧会に来たお客さんは、自分の持ち物と交換していけるというシステムにしたのだ。名刺だったり、お菓子だったり、小石だったりと、展覧会が進むごとに、お客さんの参加によって「くりっら」が姿形を変えていくのだ。これはすげーー!と思った。演劇では上演中の作品の一部をお客さんが手に取って帰ることはできないし、またその交換の形跡が残るわけではない。ものすごく面白い試みだと感心した。

マエケン(前野健太さん)が作ったものも面白かった。原作は子どもの「どうか、いちごをいきものにしてください」というセンテンスだった。これを、ジ・アーティストまえけんは、定食屋やB級グルメショップの前にある「のぼり」に仕立て上げたのだ。「たこ焼き」「焼きそば」などと書かれているアレだ。しかも美術館の目の前にある、実際に営業しているとんかつ屋ののぼりたちの中に混在させたのだ。衝撃作であった。これなんかは、美術館の中にただ「どうか、いちごを生き物にしてください」というのぼりが立っていても面白かったとは思うが、そこからさらに進めて、「現実の風景の中に混ぜる」という離れ技をやったのだ。

これ、展覧会に来たわけでもなく発見した人は、どんな気持ちだったんだろう。

風になびく4~5本の「とんかつ」ののぼりの中に真っ赤な「いちご」の文字。日本人なら本能的に「あ、いちご味のかき氷があるのか」と思うに違いない。青バックに赤い文字だったし。しかしその本能や直感と、見えているものに大きなズレが生まれる。

「いちごのかき氷」だと思っていたものが「どうか、いちごをいきものにしてください」だった衝撃。「かき氷」だと思ったら「誰かの願いだった」という衝撃。これを初めて見たとき、爆笑しながらも、またもや「美術ってすげえ!」と思った。この感覚は演劇にはない。現実の中に溶け込んでいる、子どもの発想。これには脳から何か出た。

が、そういえば何かに似ている、と思って記憶を探ったところ、大昔に見たお芝居のセリフで「煮るなり焼くなり、好きにしろ!」という定番のセリフを、「煮るなり焼くなり、好きにするなり!」っていうセリフにしてて死ぬほど笑ったんだけど、その時に似た何かが、「どうか、いちご」にもある。が、やっぱり質感が違う。

特にこれは美術館の外の現実世界に存在していることで、蛾や蝶が葉っぱに擬態するように、物体が別の物体に擬態しているというような、「意識を持ってはいけないものが、意識を持ってしまった」ような、奇妙さがあった。とても印象に残っている。

会期中に行ったイベントでは、森山未來が火を吹いた。元々は美術館内で行うはずだったイベントを、参加希望者が予想を遥かに超えた数になったため、「屋外でやろう!」ということになり、「せっかく屋外で人がいっぱい(200人!)集まるんだったら、一方的に見せるんじゃなくて、一緒に何かやろう!」となり、結果「運動会ぽいもの」をやることになった。そこからの打ち合わせも非常に困難を極めていたのだが、未來くんだけは、イメージがしっかりあったようだった。でもあんまりしっかり説明してくれないから、岩井もまえけんも本番前日まではちょっとボーッとしていた。「この人なにすんだろ」つって。

この「運動会ぽいもの」も、めちゃ面白かった。説明が非常に困難だが、挑戦してみようと思う。

まず集まった老若男女、子どもを抱いたお母さんお父さんら200人の前で、運動会の開会宣言のようなものが行われたのち、聞いたこともない「運動会歌」をみんなで歌わされる。これは我が母校「小金井第二小学校」の校歌をベースにした、歌詞の内容はうんこだらけのものだった。そしてそんなうんこの歌を歌わされたのち、200人は4箇所に分けられ、それぞれ異なる妙な競技に参加することになる。とんでもない負荷の障害物競争だったり、「宝さがし」と称して、金氏さんが集めてきた「宝」を会場となった公園のどこかに配置し、代わりに拾ってきたものが「宝」となる、というものだったり。

そこでは岩井がようやくいい感じのことを思いつけたと思っている。

「50センチおそ競争」である。通常は「速さ」を競う、「50メートル走」を、「遅さ」を競う「50センチ走」にしたのだ。最初はネーミングだけで笑っていたが、実際にやってみたら、めちゃくちゃ豊かだった。体育でも運動会でも「速さ」が求められている。が、そこには評価軸が「速さ」しかない。しかし「遅さ」を競おうとなった瞬間、そこに「おもしろ」や「美しさ」という新たな評価軸が生まれる。個人的にはいわゆる「徒競走」なんかより、よっぽど盛り上がれた。しかも「G線上のアリア」をかけた上で、老若男女20人くらいがめちゃくちゃゆ~~~っくり50センチを走るから、感動的でさえあった。遅さにはいろんな種類もあって、本人は動いてるつもりなのかもしれないが、ただ止まっている2歳くらいの子とか、めちゃ無理な体勢で粘っているお兄さんとか、ゆっくり動くことで筋肉がめちゃプルプルしてる小学生女子とか、「速さ」では見つけられない豊かさと面白さが、大量発掘された。嬉しかった。

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