自分に対するハードルを下げる、とにかく下げる【岩井秀人 連載 11月号】
最近もいたって健康的に生きている。
なんと毎朝、筋トレをしている。人は変わるものだ。
以前は、自分は何一つ鍛えてないのに、どこかで格闘家が言っていた「実際に戦うための筋肉と、見せるための筋肉は全く違うものだ」という言葉を盾に、「鍛えるなんてダサいね」と、ただ寝転んでいることを選んでいたし、これまたなんの根拠もないのに「真に強い男とは、鍛えたりもしないで強いもののはず」といったことをボンヤリ考えながら、やはり寝転んでいた。まあ、そもそも誰と戦うつもりでもない。
そう、筋トレは戦うためのものではないのである。そもそもは、老後の想像からだった。たまにいる、「ちょっと首痛めた。でもこれくらいなら医者に行かなくてもいいか」という状態を放置しすぎた末に、「それ、自分の爪先しか見えないんじゃね!?」な角度で首を真下に向けたまま慎重に歩行している老人を見て、「あれ、自分もなりかねないぞ……」とビビったり、駅に向かってなぜか笑顔で「走って」いる老人が、実は全く走れていなかったりする情景に「なぜああいう時の大人って笑顔なんだ…?」と思うと同時に、いつの間にか全力で走ることをしなくなった自分をそこに重ね合わせて感じていた恐れが、とうとう炸裂したのだった。「首を真下に向けながら、誰からも走ってると認識されずに走る老人が、男岩井の最終形なのでは…」と。
そして40代半ばを過ぎた現在、腕立てやらスクワットやらが、ある程度の回数できる自分のボディには感謝している。母さま、多少なりとも健康に生んでくれてありがとう、である。かつての「台本書く、ゲームする、寝転がる」の人生では、筋力といわれるものの一切を使用していなかった。そんな生活が20年以上続いていたわけだから、筋力なんてゼロになっても文句はいえなかったと思う。スクワットなんてした日には膝から骨が飛び出したりしても、なんら異議を申し立てられなかっただろう。本当にありがたい。
思えば、そういった筋トレもどきのようなものを始めようとしたことは何度かあったが、どれも続かなかった。20代、30代で、ある日突然「筋トレする! ムキムキになる!」と思い立ち、その日にはガンガンやるけど、次の日には「昨日やったし、どうやら筋トレとかって毎日やらない方がムキムキになるらしいし」などと、結果的に筋トレと筋トレの間の「筋細胞再生期」を5年以上とったりして、我が筋肉に「昨日の激しいの、なんだったの!?」と疑念を抱かせていたわけだが、今回に関してはなんと3ヶ月以上、ほぼほぼ毎日続いている。これはこれで、歳をとったことが功を奏している。20代30代の頃に比べて、己に対するハードルが下がったのだ。
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