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部屋片付けてます

 先週よりかは自分の精神も大分落ち着いた様な気がする。自宅が汚部屋になり、取り敢えず家にある本を20冊読むまでは古本屋に行く事を禁じ、20冊読んだら一回行っていい、という厳しいルールを己に課して一週間が経過した。今現在4冊読んだので、あと16冊読めばブックオフなり神保町なりに行けるのだが、正直、もう既に、あまり行きたく無くなっている。自分は何か心身的におかしかったのではないか。
 そもそも何故私がこんな大量のペーパーバックを買いまくったのかというと、その内に紙の本なんて買える機会すら無くなるのだから今買うしかねえんだ、と息巻いた末の使命感に駆られたからに他ならない。西部劇がテーマのホラーのアンソロジーとか、この本が古紙回収に引き取られて段ボールに加工されて箸にも棒にもかからないビジネス本の運搬に使われる様な悲劇だけは食い止めないといけねえ、それは活版印刷に対する冒瀆だ、そんな事になったらあの世に行ってグーテンベルクに申し訳が立たねえ、と、愛する地球を守る為に私は孤独に耐えながら活動してきたのだ。

 が、一旦冷静になってその様な誇大偏執狂的な夢から醒めてみると、やはり何かがおかしかった、と思わざるを得ない。大量の餌を近所中の野良猫に提供しまくる事でその地域一帯を混沌の坩堝に叩き落とす老人がいるが、自分のメンタリティーも同様の物だったのでは、という気がする。地獄へと続く道は善意によって舗装されているとよく聞くが、混沌へと続く道もまた、己自身を過大評価したいが為の邪な使命感、私は今弱者を導いているのだという錯覚によって舗装されているのだ。
 詩人の茨木のり子による、「自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ」という言葉、浮わついた若者達へ対しての鋭い警告がある。けだし名言ではあるが、感受性という物は守れば守る程バカに近づくという残酷な一面も忘れてはいけない。周囲にいる同年代の若者達が上手に流行を取り入れながら青春を謳歌している傍らで、なにくそ!俺は自分の感受性を守るんだ!と高い金出してゲロゲリゲゲゲの7インチとか買って頑張って何回も何回も何回も聴いて、それでどうなるのか?もちろんバカになるだけだ。
 自分は今、その様なブラックホールに嵌まり込んで呻吟しているだけなのではないか?その思いを振り払う事が出来ない。

 その様な思いを抱きながら、最近はボルビトマグースを聴いている。
 

 自分が持っているアルバムは1980年に出たデビュー作の再発らしく、"CONCODAT(協定、《ローマ教皇と政府間の》政教条約)"というフレーズに1から5までの番号が振られたものが曲名になっており(最後の曲だけ"The Lost Concodat"と題されている)、ジャケは"新聞紙で作られた箱の中に大量のミミズが入れてある"というとても見せれる訳が無いものなのであるが、この人達は本当にバカなんだろうなと思うのは、わざわざこういうシールを作って再発盤に貼る事だ。

 ねえよ。ノイズとかフリージャズの分野にスマッシュヒットって概念無えって。暴力温泉芸者の"teenage pet sounds"が2万5千枚位売れたくらいしか無いだろ。いや、俺が詳しくないだけで他にもあるのかもしれませんが…
 CDの売り上げで思い出すのが、IMALUさんているじゃないですか、明石家さんまの娘の。あの人が昔「そんな名前 欲しくないよ」というCDシングルを発表して、それが400枚弱しか売れなかった、という事があったんですよ。

IMALU/そんな名前 欲しくないよ

 でネット上で大騒ぎが始まって「親の七光りでゴリ押しプロモーションした挙げ句に400枚とかマジ笑えるんですけど〜!」みたいな嘲笑があちらこちらで噴出、みたいな事態になったんですが、本当にバカかと思う。どう考えてもこれほどの名曲が400枚しか売れない程に文化的に終わっている国に住んでる己自身を責め苛んで嘲るべきだろう。
 BLEACHって漫画があって、市丸ギンってキャラクターがいて、そいつの必殺技が「刀が13km伸びる」だったんですけど、それもまた当時ネットで「刀が13km伸びてどうすんねんwwwマジ草生える」みたいな意見が大量に出てきたんですけど、刀が13km伸びたら強いに決まってんだろうが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!何なんだ貴様らはマジで!!そもそも人間(死神)が空飛んでる様な漫画だぞ!?なんでそこにだけ厳密性を要求する!?そうやって!クリエイターのイマジネイションの濁流を!せせこましい浅知恵で制御しようとするから!肥沃な大地が生まれなくなって!延いては豊かな文化が発祥する妨げになる!!!!本当にね、クリエイターがなんかやって、それが人倫に反してたら批判は必要ですよ。でも、"無"から"有"を生む行為って元から狂ってるんだから、それを批判するなら批判する側も狂気を宿すべきですよ。ただまともなだけの人達が数の力を借りて作品を萎縮させるのって本当に良くないよ。誰も得しないから。「そんな名前 欲しくないよ」どう考えても名曲です。「誰が"別れ"という言葉つくり 誰が"別れ"はじめたの? 私達を"別れ"と呼ばなくても良いよね そんな名前欲しくないよ」これはねえ、本当に灰野敬二ですよ。

真っ逆さまに落ちてゆく洗脳された「これでいい」  何かをわかろうとしなくても 君がすべてを受け入れる覚悟を用意すれば わかれる事は君自身の中で かた がつく

 で、名曲繋がりであと一曲紹介させて下さい。Caramella Girlsってグループ、ウッーウッーウマウマの人達が去年発表した曲です。

Caramella Girls/Boop Boy

 ヤバいでしょこの曲?!!まさしく職人が作った逸品だよ。

一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
 
 ボルビトマグースで思い出すのが今年の正月に実家に帰省した時の事だ。自分の実家は九州の山の上に建てられた集合住宅中の一軒で、私の父親は自分の部屋になんか高いスピーカーとかを置いて世田谷ベースみたいな仕様にしている。で、今年初めて父親のレコードコレクション(近所のリサイクルセンターで100円で買ったやつ。血は争えない)を聴かせて貰ったのだが、夜の9時とか10時に、この人はこの世を憎んでいるのかと訝しんでしまう程の大音量でレコードを再生するのだ。「圭子の夢は夜ひらく」とかを。自分はもう気が気ではなかった。松明を手に手に取った近所中の農民が自宅の周りを囲んで「てめぇんとこから流れて来る裕二郎がでかすぎたせいでおらたちが育ててる人参にんじんが枯れたっぺ!!許せねえ〜!!」とか叫んで丸太を納戸の扉にブチ当てて破壊しそのまま室内に闖入、みたいな情景しか浮かばず「もう、止めましょう!」と強盗犯をネゴシェイトする銀行の頭領みたいな口調で懇願したのだが、ベロベロに酔っ払った状態で「これがいいんだよォ〜!!」と返される。
 そもそも私は自分が都知事戦に出馬した際の公約を「巨大な馬に跨って、店外にまで大音量で音楽を流している不埒な店一軒一軒に火を付けて回ります」にしようと考えている男だ。まさか自分の父親がそれをやっているとは思わなかった。で、ノリノリになった父親がこれがおいらの伝家の宝刀みたいな感じで「夜霧よ今夜も有難う」をかけたのだが、それの間奏のサックスが入ってきた時、あまりの音圧に、これはもうボルビトマグースのライブだわ、狂ってる、この親父は狂ってると思いながら咽び泣く事しか出来なかった。いい音でした。
 あとなんか父親がジャズをかけた時にこれはなんなのか聞いたら「モダンジャズカルテット」と言われ、ああ、これがそうかと思い、遂に父親より音楽に詳しくなくなってしまったんだなあとしみじみ思った。
 あと私の父親は酔っ払って帰って来た際に息子のズボンとパンツを下ろして尻を噛む、という奇行を常としていて、まあ別に対して気にしてもなかったのだが、ある日突然「あれはもしかして!!母親にしていた愛撫を息子にそのまま使っていたのか!?」と電撃的に気付き(私がそう思っただけなので真偽は不明です。というより、知りたくありません)ドン底まで落ち込んだのだが、いや、違うのだとある日思い直した。
 アイズレー・ブラザーズのビトウィーンザシーツという言わずと知れた名曲がある。シーツの中で愛し合おうと歌うセックスについての曲で、その冒頭をサンプリングした無数の作品のうちの一つに、Viciousという子供のラッパーによる"Nika"という曲がある。

 ここではあの、良識のある男女が聴いたら顔を顰めてもおかしくない程のエロい曲が、少年の爽やかな恋の歌と変貌を遂げている。つまり、サンプリングによって同一の旋律がガラリとその性格を変えている訳で、要するに俺の親父がやった事ってサンプリングなんですよ。それを俺が「それ俺の母親にもやってたんでしょ!?じゃあ新譜ちゃうやんけ!!」とクレームをつけるのは、それはBボーイとしてあるまじき行為です。違う曲だもん。ビトウィーンザシーツとニカは。これは本当に俺のヒップホップの原体験ですね。同一の行為も、その対象によって全く違った意味を持つっていう。そう考えると、やはり両親には感謝しかないですね。なんでこんな家庭の恥を晒してるのかと言うと、それはただ文字数を稼ぎたいだけだからなのですが、やっぱ5000字は行きたい。週一で更新するなら5000字は書かないといけないのでは、という強迫観念が頭から離れない。さっきビックリマークで300字位使った分を差し引いてあと1200字くらいか。

 今また自分はハンニバルを読んでいる。自分は、あと何回ほど、この最悪なエピソードのドカ盛りだけで構成された学生用の定食みたいな小説を読み返すのだろうか?正直、この本は読み終わったら捨てるだろう。「えっ!?本という?人類の叡智を!?捨てる!?」と卒倒する方も多いだろうが、もう翻訳されたやつ4回読み直してて、誰がどのタイミングで死ぬのかとか全部覚えてるからいいんだよ!読んでて懐かしいもん。「そうそう!あいつここで死ぬんだよな〜」って。もう俺にとって卒業アルバムみたいなもんなんですよ。思い出が詰まった宝石箱なの。だから、手元に無くても、全部覚えてるんですよ。で、この本は古紙再生センターで段ボールになって、おいしい野菜とか、まあ箸にも棒にもかからない様なビジネス本とかを運搬する際の容れ物になって、全国の子供達に笑顔を届ける訳ですよ。段ボールの原料が食人鬼が跋扈する禍々しい話が印刷されていた紙だとは露ほども知られずに。何も悪い事は起こっていない。もう、本当に、まともな部屋に住みたい。結局毎週こういう結論になる。というか正直「まともな部屋に住んで…そして恋愛したい…」とはもう思ってないんですが(女性というよりも、他人と話す事がもう今更何も思い付かない。まともな部屋には住みたい)、ただ、そういう愚痴を書いて最後に「今からでも○○の✕✕のPVみたいな暮らしがしたいっすわ…ははは…」みたいに書いてその映像貼って終ると、なんか纏まった感じになるから楽なんですよね。後悔は、よくない!!しかし、楽ではある。こう、最後にチャッと終わらせたいときはねえ…頭文字Dで例えたら拓海が使うミゾ落としって感じで…いや!いや!駄目だ!頭文字Dは汚(けが)せねえ!!!まあ、とにかく楽なんで、今週はそういう感じで終わらせて下さい!いや〜、今からでもパフュームのマカロニのPVみたいな暮らしがしたいもんですね…暖炉に薪とか入れちゃってね…ちょっとドンキホーテ行って煉瓦買って来ますわ!もう暖炉を自分で造るしかないんだ〜!頑張るぞ〜!それでは、また来週〜!

Perfume/マカロニ


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