休職23日目(20230331)

休職23日目

2023年3月X日より休職開始。

休職自体は人生二回目だが、診療内科にかかるのは4回めとなる。

2014年にはじめて適応障害と言われ、休職。
3ヶ月の休養を経て異動を伴う形で復職。
このときは、主な要因はストレス。具体的には個人ではどうすることもできない圧倒的な無力感に置かれ、その境遇に耐えかねてのもの。
正直もう死ぬしか無いと思っていた。上司の勧めて病院に行くことに。
このとき初めて心療内科という存在を知った。

その後、復職先で2年ほど経過、この時点で社内では休職からの回復者として異例の存在となっていた。殆どの方は復職できないもしくは復職後に残念ながら退職していた。まだこの時点では、「過去に適応障害を患ったもの」として自他ともに認識していた。

二年経過し、次第に通常業務への負荷をかけていくことになったが、健常の状態でも高いレべルの負荷が要求される業務に携わるようになってしまった。1年かかるプロジェクトで、業務は完遂できたものの、完遂3ヶ月前時点で限界を迎え上司へと相談し、完遂と同時に異動となった。
異動相談した際の上司は、理解のある方だったが、異動先の上司は正直理解はないものの、いわゆる「そういう人」だという認識のみを持っている感じだった。ただこの上司も責めることはできず、どうすれば良いのかわからないまま2年ほど経過する。移動先にはすでに鬱を患うもの、体に障害を抱えるものが在籍していた。

2018年末。11年在籍していた会社を退職し、転職する。

2019-2020。
転職先で、わずか6ヶ月で適応障害を再発させ、さらに転職活動を再開し転職する。
今思えば、自分のことを適応障害なのか、鬱なのかそれともただただ怠けグセの強い人間なのかハッキリしないままの転職だったと思われる。
また一番自分に向いていない業務を担当することになったため症状が再発したと思われる。

2020-現在
業務レベルをかなり落とした形で、仕事を淡々と勧めていったがやはり、携わる仕事内容が特殊なせいか、社内でも自分しかおらず要員の補充がなかなかされない状況が続く。高齢者の多い会社であったため、人間関係の難しさもあいまって2023年3月に休職を願い出る。
流れとしては、ストレスチェックで正直に答えたため、産業医に引っかかる→産業医面談で心療内科を進められる→心療内科受ける→休職の流れ。
また、このときの心療内科は過去の病院と異なり、初めて発達障害の疑いがかかる。

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