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いま、ミヒャエル・エンデ『モモ』を読み直そうと思った理由ー「時間」と「お金」を考える(渡辺裕子)

渡辺裕子「鎌倉暮らしの偏愛洋書棚」 第3回
"Momo" by Michael Ende 1973年出版
モモ』 著:ミヒャエル・エンデ 訳:大島 かおり 岩波書店 1976年発売

ミヒャエル・エンデの『モモ』を読み直そうと思ったのは、『ゆっくり、いそげ』という本を読んだのがきっかけだった。マッキンゼー、ベンチャーキャピタルを経て、西国分寺の人気カフェ・クルミドコーヒーを経営している影山知明さんという方の書いた本。

副題に「カフェからはじめる人を手段化しない経済」とある通り、カフェの経営を通じて、資本主義の新しい形を考える構成になっている。

現代社会は「ビジネスが売上・利益の成長を唯一の目的としてしまいがちで、人や人間関係がその手段と化してしまうこと、人を利用価値でしか判断しなくなってしまうこと、さらにはお金が唯一の価値であるかのように経済・社会がまわることで、ときに景観が壊され、コミュニティは衰退し、文化は消費される対象となるなど、金銭換算しにくい価値が世の中から失われていく状況」だとして、その解決策として、「成果=利益÷(投下資本×時間)」の数式を変えていくことを提案する。

つまり、利益の定義を変えるか、あるいは、分子を目的とするのではなく、分母を目的とすることだという。分母を目的にするとは、どういうことだろうか? たとえば目的地にたどり着くための時間を最小化するのではなく、時間やプロセスそのものを楽しむことなんだと思う。

この本を読んで「時間」について考えてみたくなって、数十年ぶりに『モモ』を手に取った(本の中でも、エンデの『はてしない物語』や日本で出版された『エンデの遺言』が紹介されている)。

「できるだけ短時間に、できるだけたくさんの仕事を」

お読みになった方が多いと思うけれど、『モモ』は、少女モモが時間どろぼうと戦う物語。時間貯蓄銀行に勤める灰色の男たちは、人間たちから時間を盗んで生きている。どうやって盗むのか。時間を節約して貯蓄することを勧めるのだ。「ひとりのお客に半時間もかけないで、15分ですます。むだなおしゃべりはやめる。年よりのお母さんとすごす時間は半分にする」。そうすれば、貯蓄した時間に利息がついて戻ってくるのだといって。

仕事がたのしいかとか、仕事への愛情をもって働いているかなどということは、問題ではなくなりました。むしろそんな考えは仕事のさまたげになります。だいじなことはただひとつ、できるだけ短時間に、できるだけたくさんの仕事をすることです。

そして、人々は、せかせかと働くようになる。むだな時間を極力排除して、合理性を追求しようとする。

遊びや物語は失われてしまう。

個人的な話になるけれど、2年前、東京から鎌倉に引っ越してきてから「合理性ってなんだっけ」と思うことが増えた。

朝採れたての旬の野菜しかない市場(だから冬にキュウリは売っていない)。12分に1本しかこない江ノ電。東京に比べて、少しゆっくりと流れていく時間。「駅から徒歩30分」なんていう住宅物件表示もざらにある。東京なら、30分も歩けば別の駅に着いてしまうだろう。だから、てくてくと歩く。これが意外と飽きない。

空は刻一刻と色を変える(高い建物がないので、空がとても広い)。山を覆う木々の色あいも日ごとに変わっていく。海も同じで、光を受けてきらきらと輝く日もあれば、暗い色で打ち寄せる日もある。注文建築の住宅が多く、よく手入れされた木の窓枠や、丹精込めた庭に咲く花を見るのも楽しい。気がつくと、20分や30分、平気で歩いている。最寄駅から徒歩1分の狭いマンションに住み、電車が数分遅れるだけでイライラしていた自分が、変われば変わるものだと半ば呆れる。

本の中で、モモが訪れた「時間の国」の広間の描写は、息をのむほど美しい。時間の花が咲いてはしおれ、太陽と月とあらゆる星たちの声が音楽のように響く。人の時間は巨大で、人の数だけある。「全世界が、はるかかなたの星々にいたるまで」話しかけている。

世界は広大で、美しいものがたくさんあるのだと思う。それを、決しておろそかにしているつもりはないのに、日々のやるべきことに追われて、咲く花を見ることもなく、鳴り響いている音楽にも耳を閉ざしたまま、時間ばかりが過ぎていく。自分は「合理的」な生活をしているのだと思って。

「時間」を最小化して手に入れられる「成果」に価値はある?

モモ』の中で、はっきりとは書かれてはいないけれど、結局のところ、これは時間を切り売りして、お金に換えてきた社会への警鐘ということになるのだろう。「お金」については、生前の取材を基にNHKがまとめた『エンデの遺言』で詳しく語られている。「利が利を生む」マネーの仕組みが、良心的な仕事を駆逐していくという指摘のもと、時の経過とともに減価していく地域通貨についても言及している。

「成果=利益÷(投下資本×時間)」という数式は、間違ってはいないのだと思う。この数式を追いかけてきたからこそ、人類が豊かになっていることも否定できない。けれども「時間」を最小化して手に入れられる「成果」は、今や誰もが持つコモディティとなりつつあって、大切にしなければいけない別の「成果」が現れつつあるのではないか。みんなが、少しずつそう思い始めているように感じる。

けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。
執筆者プロフィール:渡辺裕子 Yuko Watanabe
2009年からグロービスでリーダーズ・カンファレンス「G1サミット」立上げに参画。事務局長としてプログラム企画・運営・社団法人運営を担当。政治家・ベンチャー経営者・大企業の社長・学者・文化人・NPOファウンダー・官僚・スポーツ選手など、8年間で約1000人のリーダーと会う。2017年夏より面白法人カヤックにて広報・事業開発を担当。鎌倉「まちの社員食堂」をプロジェクトマネジャーとして立ち上げる。寄稿記事に「ソーシャル資本論」「ヤフーが『日本のリーダーを創る』カンファレンスを始めた理由」他。

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