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「迷信」が紡ぐ台湾の歴史と信仰──新世代のサスペンス・ホラー(倉本知明)

「倉本知明の台湾通信」第7回
荒聞』著:張渝歌 2018年2月出版 

台湾で暮らしていると、日本では聞いたことのないような様々な「迷信」に出くわすことがある。例えば、夜空に浮かぶ月を指さすと耳を切られる、洗濯物を夜干すと霊が憑りつく、道端に落ちている赤い封筒を拾えば「冥婚」が執り行われてしまう、等々。「冥婚」とは台湾に残る民間風習の一種で、封筒をうっかり拾ってしまったが最後、若くして亡くなった女性と結婚させられてしまうのだ。拾った途端に物陰に隠れていた遺族がバッと現れ、故人との結婚を迫られてしまうのだとか。考えただけでもゾっとする光景だが、あまりに理不尽じゃないかと台湾の友人に話すと、結婚できずに死んだその子だって可哀そうだよと思わぬ反論を受けてしまった。

迷信深いと言えば聞こえが悪いかもしれないが、裏を返せばそれは様々な世界観が混在した社会でもある。迷信とはこの世界と人間、あるいは自然との関係をどのように解釈しているかといった世界観のジクソーピースのようなものだ。数学者が数字を使ってこの世界の構造を理解するように、「迷信」を信じる人々はそれによってこの世界を理解しているわけだ。

その点から見れば、台湾というサツマイモの形をしたこの小さな島には、大小異なる様々なピースが島の方々に埋め込まれている。平地に暮らす漢人たちが信じる仏教・道教が混在した伝統風俗に、山地や離島で暮らす原住民族の信仰や神話、そして日本人や西洋人が持ち込んだ神道にキリスト教……。それらは混然一体となって、この島に暮らす人々の生活に密着している。僕の暮らす高雄にも鳥居を残した廟などがあるが、海神媽祖(マーズー)に大国主命(オオクニヌシノミコト)、観音菩薩にイエス・キリストが顔を突き合わせて共存するこの島の信仰体系は、今風に言えば最もダイバーシティを体現した社会組織だと言えなくもない。

すっかり余談が長くなってしまったが、今回紹介する張渝歌(ジャン・ユーゴー)の長編小説『荒聞』(2018年)は、そうした様々な「迷信」に満ちた台湾の歴史と信仰をモチーフに書かれたサスペンス・ホラー小説だ。台湾のサスペンス・ホラーと言えば、昨年異例の大ヒットを記録した映画『返校』(2019年)が有名だが、『返校』が戒厳令体制下における台湾の時代背景を上手く登場人物たちの心理描写に取り込んでいったように、『荒聞』もまた日本植民地統治期の史実をベースにしながらも、原住民族の神話や漢人の信仰を上手く物語に織り交ぜることで、台湾の複雑な歴史的背景を登場人物たちの感じる恐怖に重ね合わせている点にその特徴がある。

妻を亡き者にした「ミナコ」とは誰か?

物語は飲んだくれのタクシー運転手呉士盛(ウー・シーション)を中心に展開する。呉士盛の妻である郭湘瑩(グオ・シァンイン)は原因不明の耳鳴りに悩まされていたが、やがてその耳鳴りに「ミナコ」という日本語が混じっていることに気づく。時を同じくして、呉士盛も路上に放棄された車両で拾った古いカセットテープから「ミナコ」という日本語を耳にする。

謎の声に悩まされた郭湘瑩はある日屋上から転落して重傷を負うが、幻聴症状があると診断され、そのまま精神病棟に入院させられてしまう。誰にも「ミナコ」の存在を信じてもらえない郭湘瑩であったが、ある日病床で首が180度曲がった状態で怪死している姿を発見される。同病院で勤務していたソーシャル・ワーカーの胡睿亦(フー・ルイイー)は、郭湘瑩と同じ病室にいたブヌン族出身の患者ヅーヅーが「悪霊」という意味のブヌン語を繰り返していることに気づき、その真相を突き止めようとする。

一方、妻を「ミナコ」に殺されたと信じる呉士盛は、タクシーに乗り込んできた不気味な尼僧の忠告を聞き、日本時代に建てられた祠を燃やすために、ブヌン族が暮らす玉山西峰山頂へと分け入っていくのだった……。

荒聞』は、行動する呉士盛と思考する胡睿亦といったキャラクターの異なる二人の登場人物を軸に進んでいくが、物語が終盤に入っていくにつれて、この二つの軸が徐々に交わり合い、読者は「ミナコ」の正体に近づいていくことになる。日本統治時代に発行された新聞である「台湾日日新報」の記事を丹念に読み進める胡睿亦は、「ミナコ」がかつて台北の北投地区に住んでいた実在の人物であること、そして玉山で「神隠し」に遭っていたことを突き止めるが、果たしてそれが郭湘瑩の死とどのように関わり合っていくのか。

物語は台湾国内だけに止まらず、日本や北京、そしてかつて日本の支配下にあった満州国にまで広がっていく。台湾の近現代史を背景に、作中には様々な民族や歴史が入り乱れている。だからこそ、登場人物たちの行動や思考原理には様々な「迷信」や信仰が網の目のように編みこまれているのだ。同じ山地に住む悪霊でも、平地で暮らす漢人はそれを「魔神仔(モシナ)」と呼び、ブヌン族はそれを「小人(サルソー)」と呼び、日本人は「神隠し」と呼ぶ。中国語に日本語、台湾語にブヌン語が入り混じった文字を追っていくうちに、読者は標高3500メートルを超える玉山の深い山林に足を踏み入れた呉士盛同様、こうした重層的な迷信が生み出す奇妙な世界に陥ることになるはずだ。

台湾、日本、北京、満州……重層的な「迷信」がもたらす恐怖

興味深いのは、作者である張渝歌の経歴である。現在は職業作家として小説や映画脚本などを書いているが、元は国立陽明大学医学部を卒業したれっきとした医師なのだ。しかも、1989年生まれと若い。張渝歌は本作の執筆のきっかけを、友人が実際に経験した出来事からインスピレーションを受けたと述べている。ある日、自宅にいた友人が突然テレビから流れてくるような声を聞き、同じ音を聞いた祖母と怪奇現象に遭うが、道教の呪符を貼ったことでその声は消えていったのだとか。ある意味、最も「迷信」から遠い立場にいると思われる作者が、こうした「迷信」をテーマに、しかもそれを否定することなく描いたことに『荒聞』の作品の面白さがある。

「ミナコ」とはいったい何者で、なぜ特定の人々を祟るのか? 本書には台湾の複雑な歴史的文脈とそれが生み出した一連の悲劇が、言語や文化、民族や信仰の異なる様々な「迷信」となって立ち現れている。基本的に一つの世界観のなかで描かれる日本のホラーと違って、いくつもの異なる世界観が重層的に組み合わさった台湾のホラーは、日本の読者に新たな驚きと恐怖をもたらすはずだ。物語を最後まで読み終えたあなたは、「ミナコ」を呼ぶ不思議な声を耳にすることになるかもしれない。

執筆者プロフィール:倉本知明
1982年、香川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科卒、学術博士。文藻外語大学准教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(白水社)、蘇偉貞『沈黙の島』(あるむ)、王聡威『ここにいる』(白水社)、高村光太郎『智惠子抄』(麥田)がある。

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