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“マイノリティの代弁者”カマラ・ハリスはいかにして副大統領候補となったか(篠田真貴子)

「篠田真貴子が選ぶすごい洋書!」第15回
"The Truths We Hold: An American Journey" by Kamala Harris 
Penguin Books 2019年1月出版

カマラ・ハリスさんの回顧録 “The Truths We Hold”を読みました。

ハリスさんは2016年にアメリカの上院議員になり、昨年は民主党内の大統領候補選びにも名乗りをあげていたので、アメリカのニュースで時々見かけていました。かっこいい人が出てきたなあ、という印象を受けましたが、それ以上の人物像を把握していませんでした。

その後、民主党のジョー・バイデン大統領候補が、ハリスさんを副大統領候補として選んだというニュースに触れて、人物像をもう少し詳しく知りたいと思い、この回顧録を手に取りました。もしバイデンさんが当選すれば、ハリスさんは副大統領としては初の女性であり、黒人、南アジア系、移民家庭出身…ということになります。

本書を読んでみて、確かにこれはすごい人だと思いました。選挙に向けた宣伝目的の本ですから、失敗談や葛藤にはあまり触れてないですし、特に本の後半は政見主張が中心でそこまで面白いわけではありません。でも、本書前半の、生い立ちや過去の実績に関する箇所は、ハリスさんの物事に対する姿勢や考え方がしっかり伝わってきて共感を覚えましたし、学びたい観点がいくつもありました。

検察官・検事として犯罪の温床となる構造的課題を解決

カマラ・ハリスさんは、子供や貧困層に寄り添う人権活動家のマインドを持って、検察官としてキャリアをスタートさせました。検察官から地方検事 (district attorney)、カリフォルニア州の司法長官(attorney general) 、上院議員とキャリアを重ねてきました。ちなみにアメリカでは日本の制度と異なり、地方検事や州司法長官は選挙で選ばれるポジションです。

ハリスさんは、自身の仕事は “progressive prosecutor” すなわち「進歩的な検察官」だったと書いています。「進歩的な検察官の仕事は、見過ごされている問題を見いだし、声なき声を代弁し、犯罪の結果だけでなく原因を見つけて対処し、不正の元となる不平等や不公平の構造に光を当てることだ」と。

例えば、検察官として性犯罪を担当していたハリスさんは、どれほど加害者の有罪判決を勝ち取っても、被害者の状況改善には役立てない現実に直面しました。特に被害者が未成年の場合、多くの事件の背景には、DV、あるいはDV家庭から逃げ出した先で襲われた、さらには売春させられたといった状況があります。そうした事件の被害者には、安心して帰れるところがありません。甘い言葉で手を差し伸べる「お兄さん」や「おばさん」によって、犯罪組織に巻き取られ、再び性犯罪に巻き込まれてしまうリスクが高いのです。こうした悪循環を断ち切らなければ、性犯罪はなくなりません。

そこでハリスさんは、サンフランシスコ市の検察当局に在籍時、不条理な状況に置かれた若者たちに治療や学習支援をする施設を設置すること、加えて若者たちへ啓蒙活動をすること、さらに未成年売春の拠点となっていた組織を重点的に捜査することを総合的なパッケージ施策として提案し、成果を挙げました。

ハリスさんは、地方検事となった2004年頃から、コカイン問題にも取り組みました。コカインを流通させる組織の罪は重く、当然処罰されねばなりません。しかし末端の売人や少量の薬物所持で逮捕される人々は、処罰されるべき犯罪者というよりも、貧困や治安の悪さといった社会構造から救済されるべき被害者なのではないか、とハリスさんは考えました。コカイン禍は治安問題ではなく、社会全体の健康を脅かす公衆衛生問題なのではないか、とも。

このような問題意識のもと、ハリスさんは薬物所持容疑者向けの更生プログラムを立ち上げました。このプログラムを福祉ではなく、司法システムの一環として位置付けたのが特徴です。更生プログラムでは、初犯で有罪を認めた薬物犯罪の容疑者たちに、高校卒業資格取得に向けた学習、200時間のボランティア活動、職業訓練などを受けてもらいます。全てクリアし無事「卒業」した者たちは、前科が記録から抹消されます。決して楽なカリキュラムではありませんが、前科が消えることを励みに、参加者たちは真剣に取り組むそうです。このプログラムがなければ、有罪判決を受けて服役し、その後も前科があるために就職もままならず再犯リスクが高かったであろう青年たちが、社会に貢献する一市民として真っ当な人生を生きられるようになりました。

このプログラムにより再犯率は抑えられ、刑務所を含む司法システムへのコスト負荷も軽くなる、という社会的なインパクトも実証されました。ハリスさんがカリフォルニア州で実装したこの仕組みは、その後、全米の各州に広がりました。

物事の本質を捉える三つの行動原理

ハリスさんは「私は今日まで、一貫して、様々な形で刑事司法改革に取り組んできた」と書いています。本書から私が読み取ったハリスさんの行動原理には、3つの特徴があります。

一つは、司法システムが内包する暗黙の前提に働きかける、というものです。司法システムには明文化されている法律や仕組みがありますが、検察官の判断も大きな影響力があります。検察官は、容疑者を起訴するか否か、何の容疑で起訴するか、大きな権限を持っています。そして、検察官個人にも、司法システム全体にも、意識されていない暗黙の前提が実はあるのです。先ほどのコカイン禍の例で言えば、「コカイン問題は治安の問題」との考えが暗黙の前提となっていました。だから、所持者を全て逮捕・拘束し、街から一掃することで治安が良くなる、そうやって問題を解決しよう、という発想になっていました。

一方ハリスさんは、その無意識の前提を「人権派弁護士・活動家」の価値観に照らして、「公衆衛生の問題」だと定義し直して問題提起し、最終的に仕組みをそちらに転換させました。

二つめは、犯罪の背景にある社会構造の変革に取り組んでいることです。一般的に、社会問題への取り組み方には、様々あります。目の前の苦しんでいる人に対し、その痛みを直接和らげることに注力する支援の形も大切ですし、その人たちの法的権利を代弁することで支援する方法も有効です。それらと比較すると、ハリスさんの行動原理の特徴は、犯罪が起きる様々な要因の相互の繋がりを把握し、一連のシステムとして捉え、悪循環の構造の根幹にある課題を見極めてそれを断ち切る、というところにあります。このように課題の構造を把握することは、非常に難しい。だから多くの人々は「複雑な問題だ」と頭を抱え「どうしようもない」と諦めてしまいます。そこをハリスさんは、明晰な頭脳、声なき声の代弁者という使命感、そして「必ず解決できる」という前向きな姿勢で課題にあたり、成果を出してきました。

三つめの行動原理の特徴は “false choices” を見抜くことです。false choices とは、その二択はそもそも成立しない、というニュアンスになります。二つとも両立する解決策は、必ずあるはずだ、ということですね。例えば、アメリカの移民問題で「不法移民とアメリカ国民、どちらが大事か?」は false choices と言えます。私たちは選択肢を示されると、つい、それを疑わずに「どちらを選ぼうか」と考え始めてしまいます。そして気づかぬうちに「あちらが立てばこちらが立たず」だと思い込んでしまうのです。そんな時「それは false choices ではないか?」「その二択はそもそも成立しないのでは?」と問いかけると、思い込みから少し自由になって、問題を解決する新たな視点を得られます。ハリスさんは、 “false choices” とプリントしたTシャツをスタッフとお揃いで作ったこともあるそうです。

「権力の内側から変革しなければ、何も変わらない」

ハリスさんは、ジャマイカから経済学の研究のために渡米した父と、インドから乳がんの研究のために渡米した母の元に生まれました。両親は共にUC(カリフォルニア大学)バークレー校に留学していた大学院生で、出会いは公民権運動のデモだったそうです。同校は1960年代当時も今も、リベラル思想のメッカのイメージがありますね。ハリスさんが幼い頃両親は離婚し、彼女は主に母に育てられました。移民なので、アメリカに身寄りはありません。ハリスさんの母はインド出身なのですが、渡米当初から黒人コミュニティと意気投合したそうです。母娘は、黒人コミュニティの中に擬似的な祖父母、叔父叔母、甥姪のような関係性を育み、支え合っていました。ハリスさんは高校卒業時の進学先に、伝統的に黒人の大学であるハワード大を選んでいます。

アメリカの黒人コミュニティでは、警察や司法権力に対する根強い不信感があります。ハリスさんの周囲の人々もそうでした。ロー・スクールを卒業したハリスさんが検察官に進路を決めた時、周りにずいぶん反対されたようです。それでもハリスさんは「権力の内側から変革しなければ、何も変わらないでしょう?」と丁寧に周りを説得し、理解を求めました。本書では「権力内部にいて、意思決定がなされる場に同席することも重要だ。活動家たちがデモ行進して権力の扉を叩く時、私は内側からその扉を開けて彼らを招き入れる者になりたかった」と書いています。

ハリスさんは、アフリカ系と南アジア系の両親を持つ移民家庭の子、ひとり親家庭の子、そしてアメリカの黒人の価値観の中で育った女性です。こうして外形的な要件だけ並べると、マイノリティの満漢全席のように見えてしまいます。キャリアのどの段階でも黒人女性初、有色人種初というラベリングがついてまわり、当然、様々な苦労があったに違いありません。しかし、彼女の回顧録から、マイノリティの“被害者性”のようなものは感じ取れないのです。その背景には、ハリスさんの母の影響があると思います。(わざと書かなかったということもあるのでしょうが、それを差し引いても)。印象に残った言葉をご紹介します。

One of my mother’s favorite sayings was “Don’t let anybody tell you who you are. You tell them who you are.”
母が好んでよく言っていた言葉だ。「あなたが何者なのか、周りに決めさせちゃだめ。あなたが自分で決めて、周りに判らせなさい」
My mother had pressed me—“Well, what did you do?”—suddenly made a lot more sense. I realized I didn’t have to wait for someone else to take the lead; I could start making things happen on my own.
母にしつこく聞かれていた。「それで、あなたは何をしたの?」と。ある時突然、その意味が分かった。誰かが道を切り開いてくれるのを待たなくていい。私自身が、自ら変化を起こすことができるのだ。

カマラ・ハリスさんが副大統領候補になったことで、彼女のような素敵なリーダーの存在を知ることができました。アメリカの大統領選の行方がどうなるかは分かりません。選挙結果はどうあれ、これからもハリスさんの考え方から学んでいきたいと思いました。

執筆者プロフィール:篠田真貴子  Makiko Shinoda
小学校、高校、大学院の計8年をアメリカで過ごす。主な洋書歴は、小学生時代の「大草原の小さな家」シリーズやJudy Blumeの作品、高校では「緋文字」から「怒りの葡萄」まで米文学を一通り。その後はジェフリー・アーチャーなどのミステリーを経て、現在はノンフィクションとビジネス書好き。2020年3月にエール株式会社取締役に就任。

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