その決断が全てを解決する

『その「決断」がすべてを解決する』

担当編集者が語る!注目翻訳書 第4回
その「決断」がすべてを解決する
著:マーク・マンソン  訳:大浦千鶴子
三笠書房 2017年4月出版

「自己啓発ギライ」にこそ、おすすめしたい本

自己啓発書といえば、読者の皆さまには、かなり縁遠いジャンルかもしれませんが、ぜひそのような方にこそ、本書『その「決断」がすべてを解決する』を熱くおすすめしたいと思います。

なんといっても、今、世界で「330万部」を売り上げている、驚異のベストセラーなのです。

新世代の台頭

著者のマーク・マンソンは、200万人以上の読者を擁する売れっ子ブロガー(日本版の表紙に写っているちょっとイカツい兄さんが、著者本人です)。
大学卒業後、世界的な金融危機の時期と重なって就職がままならず、日銭稼ぎでブラブラしていたときに、一念発起してブログを書きはじめます。年齢は30代半ば。いわゆるアメリカで「ミレニアル世代」(だいたい1980~2000年生まれを指す)と呼ばれる、今の「若者世代」です。

豊かな時代に生まれておっとりと育てられたものの、自分たちは両親を超えるステータスを得られる気がしない世代。他人を蹴落としながら働いて燃え尽きるより、そこそこでいいからハッピーに暮らしたい。ドライで合理的、だけど仲間うちでのフラットな関係性を好む人たち――たとえば、こんな特徴でしょうか。

上の世代から見ると、上昇意欲がなくて、覇気に欠ける人たちかもしれません。しかし、そんな彼らから見ると、「努力しただけ豊かになれる」方式の自己啓発は、もううんざり。資本主義経済に駆り立てられた「もっともっと」の精神こそが、社会的な欺瞞だと感じている人が多く現れました。本書は、そんな層にウケているのだと思います。
マーク・マンソンは言います。

人生に冠する従来のアドバイス――そこらじゅうで目にする、ポジティブでハッピーな自己啓発とやら――は、僕らに欠けているものの話ばかりを扱っている。
……皮肉なことに、こうしたポジティブ思考――よりよいこと、より優位であること――にこだわっていると、結局は「自分はそうなっていない」「それが自分には欠けている」「自分はそうなっていたはずなのに、なれていない」と何度も思い出すことになる。本当に幸せな人は、鏡の前に立って「私は幸せ者」と唱えたりはしない。そのままで幸せなのだから。

驚くべきことに、「ポジティブ至上主義」のアメリカ人が、ポジティブを否定しています。これが10年前の自己啓発でしたら、必ずこう書かれていたはずです。

「大きな目的意識をもって、前向きに進め。しかれば結果はついてくる」

アメリカの自己啓発書の特徴的な部分でもあるのですが、とにかく根拠のない自信だけはすごい。「目的意識が見つからないから困っとるんやないかーーーい!!」と何度ツッコミそうになったことか。
どうやら、それは昨今のアメリカの若者たちにもいえることのようなのです。

幸せに固執することは必然的に、もっと何かを――新しい家、新しい恋愛、子どもをもう一人、さらなる昇給を――永遠に求めることになる。そして粉骨砕身の努力にもかかわらず、結局、気分は出発点と変わらなかったりする。「まだまだ不十分だ」と。こうした傾向を心理学者は「へドニック・トレッドミル(長続きしない幸福感)」と呼ぶ。

多くの人がうすうす感づいているにもかかわらず、正面から向き合うことができない事実。そこに気づいたマンソンは、こう言い切ります。

何かに対して気分がよくなれば、それがかならず気分を悪くする原因になる。僕らが手にするものはすべて、僕らが失うものである。

私たちが望んでやまない「究極の幸福のかたち」、そんなものは存在しない、ということ。何かを実現しようと思うかぎり、苦しみを消し去ることはできない……

……あれ? この考え方は私たち日本人もどこかで聞いたことがあります。
いみじくも、文中でマンソンは「釈迦」の半生について触れています。

幸せとは、解いていけば答えが得られる方程式ではない。不満感や不安感は、生まれながら持っている人間の本質だし、幸福感をつくり出すための必要不可欠な構成要素でもある。このことを“釈迦”は宗教的・哲学的な観点から主張した。

ここで仏教思想に踏み込むつもりはありませんが、本書でマンソンが主張していることは「苦痛」と「喪失」が人間の本質であるという仏教と、通底する部分があります。というより彼自身が、アメリカの社会通念に対するオルタナティブな考え方として、仏教からかなり影響を受けているのだと思います。

「苦悩」を再定義する

とはいえ、「そーか、そーか、人間の本質は苦しみなんだ。だから、私が苦しいのは当然なんだ(納得~)。よっしゃ、今日からまたがんばろう」という鋼のメンタルを持ち合わせた人はなかなかいらっしゃらないと思います。
そこで、マンソンはこう提案します。

「人生でどんな苦しみを味わいたい? どんなことなら苦労してもいいと思ってる?」

幸福を得ようとがんばることによって、どこかの時点で人生という名の“登山”を「リタイアできる」と思っているなら、大間違い。喜びは「苦労しながら登ることそのものにある」と自覚すべきである――と。
望まないことに苦労するのは、ストレスでしかありませんが、自分が好きで選んだことなら、もはや苦労が単なる苦労ではなくなる……。ただし、これは「苦労を買ってでもせよ」式の精神論を言い換えたものではないと、マンソンは書いています。

SNS時代の「特権意識」

もう一つ、本書で重要な概念としてあつかわれているのが、私たちの心の中にある「特権意識」。これが人生に問題を引き起こしているというのです。

苦しみが深ければ深いほど、僕らは自分のかかえる問題に対して無力感をいだく。そして、その問題を穴埋めするために、さらに強い特権意識を持とうとする。その特権意識は、こんなふうに表われる。
1 僕はすごい。そしてほかのみんなはダメ人間。だから、僕は特別な待遇を受けて当然
2 僕はダメ人間。そしてほかのみんなはすごい。だから、僕は特別な待遇を受けて当然

要は、「僕はすごい」という傲慢さを身につけるのも、「僕はダメ人間」と自己卑下していじけているのも、利己的な自意識でいっぱいの、同根ではあるが正反対の表出だということです。
SNSなどの発達により、私たちが自己表現の自由を与えられれば与えられるほど、異論を持つ人や、自分の気分を害する人とはつき合いたくないと感じる。
問題のない、居心地のいい生活ができればできるようになるほど、自分にだってもっとよい暮らしをする特権があると感じる。

しかし、真実はこうなのです。

「自分はさして特別な存在ではない」

これは「一人ひとりが、ユニークで特別な才能をもって生まれたのだ。僕たちはその才能を活かすことこそが使命」といわれてきた世代にとっては、ショッキングな事実かもしれません。

例外的であることをもてはやす風潮は、人に自信をなくさせ、もっと極端でもっと過激でもっと自信満々じゃないと、他人から気にも留められないし大事にもされないと思い込ませる。……ひとたびネット検索をすれば、悩みなんか全然なさそうな人たちを何千人も目の当たりにしてしまうのだから。

「人の一生は真に注目に値する素晴らしいものでないかぎり生きる価値がない」とする前提を受けいれると、全人類の大半が(自分を含めて)つまらなくて無価値だということを受けいれなくてはならなくなる。なかには本当に秀でている人もまれにいるが、そういう人たちは「自分は例外的な存在だ」と思ってそうなったのではない。むしろ、「上達へのこだわり」があったからこそ、素晴らしい実力者になったのだ。

自分は平凡で、せいぜい平均的。でも、それでいいんです。だからこそ、まだまだこれからやれることがあるかもしれない……と考えられるようになることこそ、「人間の成熟」であるとマンソンはいいます。

フェイスブックで、友人たちの「リア充オーラ全開」の投稿を目にしても、
どこそこの誰々が、グローバルなプロジェクトで華々しい活躍をしているという記事をネットで読んでも、
もはやどうでもよくなり、不安と不満を大幅に減らすことができます。

あれもこれも手に入れようとすることをやめ、真に自分が気にかけるべきことを、選んでさえいれば。

くり返しになりますが、世界で330万部の売り上げを突破し、いまだ売れ続けているというのですから、これは国境を越えて「人間の本質」に迫る本だといえるでしょう。
ちなみに、著者のマンソンは、ブログやSNSを通じて、アクティブに活動しています。デジタル・ネイティブ世代にとっての「オピニオン・リーダー」は、本書のマンソンのような人なのだということも、一つのおもしろい発見です。

ふだんは「バカバカしくて自己啓発書など読んでいられない」方にこそ、ぜひおすすめです。現代の「若者世代」にとって、何が実存的な問題として共有されているかということの、わかりやすい見本だと思います。

執筆者:能井 聡子(三笠書房 翻訳書編集本部)




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