巨大企業が支配する「安定した社会」は幸せか?(植田かもめ)
植田かもめの「いま世界にいる本たち」第19回
"The Warehouse"(倉庫)
by Rob Hart(ロブ・ハート) 2019年8月出版
Amazonをモデルにした、ディストピア小説。
ロブ・ハートによる本書"The Warehouse"をひと言で紹介するとそんな本である。舞台は近未来のアメリカ。気候変動の影響で沿岸の都市が浸水した世界では、ドローンによる配送技術を政府から承認されたことをきっかけに発展した超巨大企業「クラウド」が、あらゆる産業を支配している。
生活を丸抱えする企業
本作の主な登場人物は3人。かつて小さな会社を起業したが、クラウドによって廃業に追い込まれて職を失い、皮肉にもクラウドに就職する事になったパクストン。企業スパイとしてクラウドに潜入した女性のジニア。そして、クラウドの創業者であり、膵臓ガンによって余命宣告を受けている大富豪ギブソン・ウェルズ(ちなみにこの病気の設定はスティーブ・ジョブズがモデルだろう)。
物語は、パクストンとジニアの視点を行き来しつつ、時折ギブソン・ウェルズによるブログが挿入されて、巨大企業クラウドの実態が明らかになる。従業員数300万。そこは、単なる職場ではない。生きる場所の全てだ。社員は「マザー・クラウド」と呼ばれる施設で暮らし、手には「クラウド・バンド」という端末を身につける義務がある。仕事が終わると、施設内のクラウド・バーガーで安価な食事をとり、次のシフトまでの残り時間がアラートとして腕の端末に飛んでくる。
ブラックな企業のように聞こえるかもしれないが、CEOのギブソン・ウェルズは、クラウドが「誰もが働きたくなる場所」であると胸を張り、職を求める人の列は絶えない。ライバル企業のほとんどはクラウドが既に駆逐してしまっているからだ。
自由か、安定か
さて、本書のテーマを簡単に言うとしたら「自由と安定のどちらを取るか」だと思う。
クラウドは生活の全てを支配する巨大企業だ。そこにいる限り、行動は管理されて、自由は無い。けれども、一定の収入と安全は約束される。
こうした、管理社会での幸福と自由との緊張関係は過去のSF作品でも繰り返し描かれてきたテーマだ。本書の中でも、登場人物たちが『すばらしい新世界』『1984』『華氏451度』などの小説に言及する。
これらの古典小説では、市民を管理しているのは政府だ。けれども現代に書かれる小説として、よりリアリティがある管理主体は、政府ではなく巨大企業なのだろう。
企業スパイであるジニアは、この管理に亀裂を入れようとする存在だ。主人公であるパクストンは、正体不明のジニアに惹かれる。それは、ラブロマンスというよりも、安定から自由への誘惑である。ジニアは言う。「自由をあきらめなければ、自由はあなたのもの(Freedom is yours until you give it up)」であると。
寡占がもたらす「学習性無力感」
本書が面白いのは、スーパーヒーローでも何でもないパクストンが、次第にクラウドを擁護する方向に傾いてしまう点だ。「世界はめちゃくちゃで、少なくともクラウドはそれを解決しようとしている」「彼らは完璧ではないけれど、僕はここにいて住む場所と仕事がある」と、かつて自分が起業した会社を叩きつぶした存在であり、いまは自分の生活を全て管理しているクラウドを、パクストンは擁護する。
人は自由に憧れる。けれども、たとえ多少の自由が奪われても、便利で安定した生活に快適さを覚える存在でもある。パクストンの自己弁護は、少数のプラットフォーム企業による市場の寡占化が進んでも、それらが提供するサービスへの依存から簡単には抜け出せない社会の投影かもしれない。
もし巨大企業による寡占に弊害があるとしたら、こうした「状況は簡単には変えられない」という心理が社会に蔓延する点ではないだろうか。本書ではこの状態がクラウドCEOギブソン・ウェルズ自身の口から「学習性無力感(learned helplessness)」として説明される。小さい頃に鎖につながれた象は、大きくなっても鎖をほどこうとしないという例で有名な心理学用語だ。本当は、状況を改善する手段は幾らでもあるかもしれないのに、である。
ロブ・ハートの小説"The Warehouse"は、2019年8月に発売された一冊。なお、本書はフィクションであり、実際のAmazonは、本書で描かれる労働者の酷使や取引先への不正な圧力の行使とは無縁の、きっと素晴らしい企業に違いない。きっと……。
執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら。
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