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『スタートアップ・ウェイーー予測不可能な世界で成長し続けるマネジメント』

担当編集者が語る!注目翻訳書 第3回
スタートアップ・ウェイーー予測不可能な世界で成長し続けるマネジメント
著:エリック・リース 訳:井口耕二
日経BP社 2018年5月出版

「ソフトウェアの人間が知ったような口をききやがって。ソフトウェアなら1日50回も改修することもできるだろうさ。同じことがジェットエンジンでできるならやってみろっていうんだ」

これは、『スタートアップ・ウェイ』に登場するセリフです。エリック・リース氏がGEの研修所に招かれ、地域や部門の責任者であるエンジニアに説明していたとき、エンジニアたちがこう思いながらうさんくさそうにリースさんを見ていたといいます。

このエピソードを読んだ私は、「おおー、これこれ! あるある!」と興奮していました。それは、エリック・リース氏の前作でありベストセラーの『リーン・スタートアップ』発売後にまさに同じ意見を聞いたことがあったからです。

一生懸命に売れない製品を作るのは最大のムダ

今から6年前のこと。新刊だった『リーン・スタートアップ』が売れ、大きな話題になっていました。リーン・スタートアップは、シリコンバレーの起業家の著者が体系化した「ムダのないプロセスで開発を進めるマネジメント手法」です。

ここで「ムダ」というのは、ニーズがないものを一生懸命に作ること。開発者の思い込みで壮大な製品を何年もかけ、大勢で大きなコストをかけて作って、それが誰も欲しくないものだったら、すべてがムダになる。これに対してリーン・スタートアップでは、「実用最小限の製品」(MVP)と呼ぶ試作品をとりあえず作って、ユーザーに見せてニーズがあるかどうかを確認する。リーン・スタートアップとは、小さく始めて早く失敗して、ニーズがある良い製品を作るための方法なのです。

リーン・スタートアップ』は当時の私にとって、とても納得感がありました。編集者は日ごろから、良い本を多くの読者に届けようと、一生懸命本を作っています。ところが、「これは面白い」と私が思い込んでも、売れない本があるのも確かです。ああ、翻訳者さんに無理を言って早く訳してもらって、制作会社の方や装丁家さんに急いで作業してもらったのに、売れなくて申し訳ない。私も夜なべして編集したのに売れなかった。誤植を潰そうと何度も読んで校正したのに、売れなかった。そもそも方向違いのトンチンカンな勝手な思い込みで、結局壮大なムダを生んでいただけだったんだ、と思い至ったのです。

リーン・スタートアップは製造業には向かないのか?

納得すると人にしゃべりたくなるものです。私はメーカー勤務の友人に自慢げにこう言いました。

「リーン・スタートアップって知ってる? まず実用最小限の製品を作って、ユーザーに見せて失敗を繰り返して、ニーズがある製品を作る方法なんだけど、こういうのを日本メーカーは採用しないの?」

すると彼は呆れたように、こう返してきました。

「あのね、製造業っていうのは『失敗を繰り返す』なんてできないんだよ。型を作るのに大きなコストもかかるし、万一にも安全性で問題が出たら大変。だいたいそれって、すぐにバージョンアップできるソフトウェアの話でしょ? 早く失敗しろって、ハードウェアがわかってない人に言われたくないよね」

なるほど。家電製品にしても自動車にしても、日本のユーザーは「早く失敗して学べてよかったね」なんて言わない。「安心で安全に使えること」を重視すると、リーン・スタートアップのようなやり方はハードウェアには向かないのだろうかと、悶々としたまま引き下がりました。

この経験が頭にあったからこそ、GEのエンジニアの発したセリフと、それに対するエリック・リース氏の対応に興奮して、本書に引き込まれたわけです。

5年かかっていた開発期間が半年に

スタートアップ・ウェイ』が出色なのは、理論や方法論だけを書いているのではなく、エリック・リース氏自身がGEやトヨタなどの企業の現場で学んだことを書いていることにあります。実際、GEのエンジニアたちは冒頭のように大反発しながらも、リース氏の問いかけに少しずつ耳を傾けていきます。

「影も形もないエンジンの売上が、10年後にぴったり予想グラフとぴったり合うと思う人は手を挙げてください」と問いかけて、不確かな予測をもとに5年も10年もかけて開発していることに気づかせる。「この製品を作るべきなのか確認するため、ディーゼルエンジンの実用最小限の製品を作りませんか」と無茶な提案をする。すると、GEのエンジニアやマネージャーたちはこれまでの問題点に気づき、やり方を変えていったのです。

また、これまでの組織のやり方をすべて否定しているわけでもないのが大きなポイントです。これまでの組織運営の方法を活かしながらも、リーン・スタートアップの手法を取り入れようというのが、本書のタイトルにもなっている「スタートアップ・ウェイ」という方法論なのです。

スタートアップ・ウェイの導入後、これまでGEのディーゼルエンジンは5年かけて製品化してからでないとユーザーのニーズがあるかわからなかったのに対して、特定ユーザー向けのMVP製品を6カ月で開発してニーズを確かめられるようになったそうです。これなら、長い時間と膨大な開発費をかけて売れない製品を一生懸命に作るというリスクを圧倒的に減らせます。

同じような課題は、伝統ある製造業に限らず、成功して大きくなりつつあるチームやスタートアップにも起こっているとエリック・リース氏は指摘しています。そうそう、多くの社員が、組織の内側を向いて仕事をしているうちに、無意識のうちに根拠があまりない計画を「鉛筆を舐めながら」作り、ユーザーが欲しがっているかは二の次になって、ひたすら計画に沿うように仕事をしてしまいがちです。

日本企業が長い停滞に入っている理由の一つは、まさにここにあるのではないかと思います。本来、日本人は技術もクリエイティビティもシリコンバレーに負けるとは思いません。『スタートアップ・ウェイ』を読んでいただいた日本の読者が本書から気づきを得て、チームや会社がほんの少しだけでも変わるきっかけになってくれたらと願っています。

執筆者:中川 ヒロミ(日経BP社出版局編集第一部 部長)


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