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「私の望むものは」

何もする気がしない。
というより、
何もしたくない。
というより、
何かできる気がしない。
というより、
何もできない。
そういうことなので、
このnoteも一行ずつ書いているので、
いつ投稿できるかわからない。
ヒゲ剃りも面倒なので、
伸ばし放題だったが、
あまりにうっとうしくて、
さっき思い切って剃ってみた。
それで今日のミッションは終わりである。

何度も書いているが、
これすべてウツのせいである。
梅雨がなかなかあけないことも大いに影響している。
ウツにはお日様が必要だ。
お日様の光を浴びるとセロトニンが生成される。
セロトニンはいわゆる幸せホルモンと呼ばれる脳内快楽物質だ。

幸せホルモンはドーパミンなど数種あるが、
その中にオキシトシンというものが存在する。
これは一説に「ハグ」によって放出されるという。
ハグかあ。
ハグと言われてもなあ。
妻は一日テレワークしているのでなかなかままならない。
では、駅前に立って「フリーハグ」でもしようかと考えたりもするが、
このコロナ禍で見知らぬオッサンとハグなどしたら、
たちどころにクラスターになるだろう。
「オッサン・ハグ・クラスター」として、
小池百合子から烙印を押されるに違いない。
まあ、コロナ禍でなくとも、
見知らぬオッサンとハグしてくれる人などいやしない。
となるとはやりセロトニンが誰にも迷惑をかけない
幸せホルモンということになる。

そこで、「布団」である。
布団にゴロゴロしてみた。
そうしたら、なんとも言えない幸福感に包まれた。
オレのようなウツじゃなくとも、
万人にとっての布団は、
極楽だと思う。
であるからして、
オレは布団でゴロゴロすることに決めた。
セロトニンが分泌されるのが体感でわかる。

オレは布団でこのまま余生を過ごすのだろうか。
1日8時間寝るとしよう。
日中も8時間くらいゴロゴロする。
計16時間、ゴロゴロしていることになる。
これは、いわゆる「寝たきり」である。
でも、しようがない。

と、ここで「幸せとはなにか」という問題に突き当たってしまった。
他人様から見たら、
日中、布団でゴロゴロしていられるのは幸せじゃないか、
と思われるかもしれない。
うーん。幸せ。。。
手と手を合わせて仕合せなどと言ってみる。
一旦幸せについて考え始めると、
哲学的な方向に進んで、
精神に悪影響を及ぼすから、
そっち方面は放っておこうと思う。
一つだけ。
大学の哲学の授業で、
「Happinessの語源はHappenからきているので
ごくまれにしか幸せは訪れない」

と教わった。
哲学の授業で覚えているのは、
これだけだが、
未来ある若者になんてことを教えるのだろう。
大学教授などはろくでもない。

そんなことを思い出しながら、
昨晩、これまた布団の中で、
YouTubeを観ていたら、
岡林信康さんの『私たちの望むものは』を聴き返したくなり、
視聴した。
YouTubeに上っている動画は、
70年頃のなんかのフェスのライブ映像なのだが、
なんと「はっぴいえんど」がバックをやっていて実にかっこいい。
細野晴臣さんがベースを弾き、
松本隆さんがドラムをぶっ叩き、
鈴木茂さんが終始爆音でギターを弾いている。
その凄まじい演奏をバックに岡林さんが8分間も絶唱する。
この頃の岡林さんは、
音程とか全く気にしていないのが、
更にすばらしさを増幅させている。

で、その『私たちの望むものは』のサビの部分。
「今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ」

実にポジティブである。
未来のある若者の希望だ。
夢だ。
どうやらHappeningを待っているのではダメなようだ。
オレはすっかりオッサンになってしまったが、
岡林さんの積極的な「幸せ感」を追ってみたいと思った。

しかし、どうすれば、
「不幸にとどまら」ずに、
「幸せに飛び立」てることができるのかさっぱりわからない。

まあ、でも、
とりあえず布団に入ればセロトニンが分泌され、
飛び立てることができそうな気もするので、
今日も布団でしばしゴロゴロしてみたいと思う。


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