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都庁安倍課~月曜の出社は憂鬱~


 誰だって会社なんて行きたくない。誰でも職場が合わない、ただ……。朝食後阿部はもう30分も自宅のトイレに閉じこもっている。このまま蟄居して化石になりたい。
「唖倦啊厭屙荒遭痾安遭......。」
 とか考えてもしょうがないのだ。安部には家族がいる。子供たちも中学と高校お金のかかる時期だ。家のローンも残っている。ここ、しか、ない、のだ。
 アベノミクスで景気は一見上向いたかにみえる。さらに経済特区がどうの、ホワイトカラーエクゼプションがこうのと、国会で議論紛糾しているが、そんなものは一部のエリートの話だ。一般大多数庶民中年サラリーマンは会社にしがみつくつき、月々の給与をもらい、あわよくば定年まで居続けたいのが本音であろう。
 そして阿部にとっては特にそうである。彼は国の定める難病300種の一つ”潰瘍性大腸炎(大腸の免疫に異常が出て大腸の粘膜、つまり最も内側の層に“びらん”や“潰瘍”ができる大腸の炎症性疾患。下血を伴うまたは伴わない。下痢と腹痛がよく起こる)、現首相である安倍総理と同じ病気なのだ。

 「胃異威遺慰萎倭喂忌媙,......。」
 阿部は便器に座りながら遠い目をする。よく見るとローマ人風の風貌の彼は、黙ってじっとしていれば、ロダン“考える人”を髣髴とさせる。
 発病前はそれが周囲に好意的に解釈され、思慮深い人物と見做されていた。しかし発病後は化けの皮が剥がれ、退職せざるを得なかった。  
 なにしろ職場の席とトイレを1日20回~30回往復し、頭はソノ事ばかり考えてしまい、挙句の果ては最要取引先の接待で相手の名を間違う始末。最初は同情の目で見てくれていた同僚の目も、次第に冷ややかになっていき、結局退社となった。
 療養しちょっと病気が良くなった(寛解)と思っては職につきまた再発(憎悪)の負のループに陥いつた。糟糠の妻秋江はパートを2つ掛け持ちし、白髪を増やしながら家計を支えてくれた。
 そしてスイス製の安倍総理ご愛用の画期的な薬“アサコール”がようやく承認(スイスで発売されてから25年目)されて、嘘のように症状は収まった。しかしその頃には、自分のスキルはもう古くなり、世間では使い物にならなくなっていた。

 だからこそ、ここに、しがみつくのだ。大体民間から公務員なんて夢のようじゃないか!。ここが人生踏ん張りどきだ(踏ん張りすぎても駄目なのだが)。
「胡倦嘔惡憂撲勌膿......。」
 いや、だが……、変なのだ、同僚が……。いやいや同僚が変なのはどこの職場でも同じ。同僚を人間だと思ってはいけない。サラリーマンの常識だ。
 しかし……。もはや四の五の言っている場合ではない。阿部は意を決し颯爽と(動作としてはのろのろだが)トイレから立ち上がった。
「行ってきます。」
 挨拶だけは明るく言い、秋江に心配かけないように阿部は外に出た。阿部の家は妻の元実家を改築した妙蓮寺駅にあり、会社へは一本で行ける。東急の渋谷再開発の恩恵を受け、東横線から副都心線に乗り入れが楽になり、以前と比べ通勤もスムーズになった。
 アナウンスが呼びかける”都庁3丁目~”。彼は腹に力を入れて(入れすぎても駄目なのだが)下車した。働くぞ、今日も。

 そう、かれが向かう先は東京都庁。都庁49階の”都庁疾病課”通称”都庁安倍課”である。
 安倍総理の鶴の一声「少子化の進む日本で、病気を抱える人でも戦力として働けるよう、環境を整えるのだ!」という一言から作られた、様々な病人の職場のモデルケースなのだ。
 であるがゆえに、課長はがんサバイバー、同僚は指定難病の膠原病、現代病の代表の欝、発達障害のADHDと、多彩な病を抱えている。
といっても現状の業務内容は
○お年寄り対応(センター訪問、個別相談)
○街のお祭り対応
○総務系の定型業務および雑用
 と正直誰でも対応がきくようにしてある。
 内容もさながら処理スピードに至っては、悠久の時を過ごす火の鳥レベルで、これだから公務員は……と民間から来た阿部から見ると眉を潜めたくなる有様だ。
 そして万年変わらない慣例文書、判子、行事、さらには部門間のスパイめいた暗黙知で溢れている。しかしそんな事に気を取られないよう修行を積まねば、ここにいればスーパーサイア人に......おっと思考が宙を舞いそうになる、フェイスブック背景の家族写真に繋ぎとめてもらい阿部は書類に向かう。

 まずは主任として部下の状況を把握する。課長である山田は前立性がんの治療の為、午後出社という予定だ。今日はまだADHDの吉川君しか来ていないなあ。足をぶらぶらさせるのは彼の癖であり、持病に関係しているので気にしてはいけないと視線をさりげなく逸らす。それ以外は性格もいいし、民間でもやっていけそうなのに惜しい奴だ。膠原病SLEの古藤さんはまだか。彼女はなまじっか中途半端に優秀だったから、現状を受け入れられないのだ。とはいえ発症からもう5年も経っているのだお嬢さんの我儘もいいかげんにしてほしい。欝の小山くんは天気が悪いと体が重く感じるが、大丈夫かな。

 阿部は周囲を見渡し、主任として現状を認識する。さて今日は職場にくるのは誰だろう。

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