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コミュニティノート、(今のところは)面白いです、誰でも協力者になれますし。

コミュニティノートは、ポストの背景情報を、多様な視点を持つ広範な人々に役立つ方法で提供することを目的としています。そのため、コミュニティノートの協力者の皆様には、3つの基本理念にご同意いただくようお願いしています。
① 理解を深めることに貢献する
② 意見が合わない場合でも協力的に行動する
③ 誠意をもって行動する

出典:「コミュニティノートガイド・理念」より

少し前から「X(旧:Twitter)」でのコミュニティノートという機能を、協力者としても使えるようになっています。

通常ユーザーとして使用している分には「表示されているコミュニティノートに対する評価」しかできないのですが、協力者の申請をすると、一定期間(審査?)後に、まずは「表示される前のコミュニティノートへの評価」ができるようになります(ちなみに協力者登録の申請は誰でも可能です)。

ポストについてや、それが誤解を招くかもしれない理由について、自分とは反対の意見を持つ人々も含め、誰もがより深く理解できるように、明確で根拠に基づいたノートを作成しましょう。

出典:「コミュニティノートガイド・理念」より

なおコミュニティノートの本質はこの一文でまとめられているかな、と。その上で、協力者としての申請が通ると「コードネーム」が割り振られて、コミュニティノートにおける諸所の活動はそちらの名義で行うことになります。

偏見の緩和: コードネームによって、ノートの作者ではなくその内容に焦点が合わせられ、特定の作者に対して協力者が抱くおそれのある偏見を抑制できる可能性があります。

分極化の緩和: 最近の調査では、コードネームによって、人々が安心して党派の垣根を越えたり、同調圧力や報復を恐れずに自身の陣営を批判したりできるようになることで、分極化が緩和される可能性があることが明らかになっています。

出典:「コミュニティノートガイド・コードネーム」より

コードネームの肝は2点、「① いわゆるインフルエンサーの発信に対する盲信の抑制」「② 党派性にとらわれない言説の展開を心理的にも容易に」、といったあたりでしょうか。「名も無き人の意見」であるからこそ、色眼鏡無しでその意見に対して純粋に批判(評価)を加えることができると個人的には理解していますが、面白い試みだと思います。

提起されたすべてのノートは、最初は「さらに評価が必要です」のステータスになり、評価を募るため協力者に表示されます。

ノートが十分な数の協力者により、さまざまな視点から「役に立った」と評価されると、「役に立った」のステータスを獲得し、Xで公開されます

ノートが十分な数の協力者により「役に立たなかった」と評価されると、「役に立たなかった」のステータスに到達し、Xでは公開されません。「役に立たなかった」のステータスに到達したノートを繰り返し投稿した協力者に対しては、ノート作成機能を一時的にロックする措置が取られることがあります。

出典:「コミュニティノートガイド・Xで公開されるノート」より

個人的に面白いとみているのが「元となるコミュニティノートの作成は個人が行う」が「一般ユーザに表示させるには複数の眼による批判(評価)が必要」となる点でしょうか。

「一つの事象に対しての複数の批判(検証)」は、学問に置いての基本的スタンスにも通じると思います。そういった意味では、下手に○○博士とか○○大学院卒とかの色合いがついていない分、現実の学問の現場よりもよりフラットにみれるかもしれません、選択肢が一つ増えるとの観点では面白いかと。

もちろん、煽情的なポピュリズムに陥らないようにとの注意も必要でしょうけど、「明確な根拠」を前提にすればそうそうそんな罠にも陥らないかと、、どちらかというと博士とか院卒とかの権威だけで「合理的推論」を事実のように吹聴する方に危険性を覚えます、、戦前と同じような。

さて、十分な数の協力者からの「役に立った」との評価があって初めて公開されるのも妥当と思いますが、反対に「役に立たなかった」を集めすぎるとノートの作成ができなくなるってのも面白く、ようは「デマも大概に」ってことでしょうか、、オオカミ少年は発言権が抑制されると見れば、これまた妥当な枠組みと思います。

この在り様、「広く会議を興し万機公論に決すべし」、「上下心を一にして盛に經綸を行ふべし」、「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」などの「五箇条の御誓文」にも通じるのではないでしょうか、なんて思い出してみたりも。

あと仮に「普段使用しているユーザ名」と「コードネーム」が同一であったら、それこそネットリンチの延長で、感情論的に「役に立たなかった」をつけられてしまいますしね、、そういった意味ではネットリンチへのカウンターの一つとも見てとれるかもしれません。

可能な限り幅広い人々に役立つノートを見つけるため、コミュニティノートでは、ノートを「役に立った」または「役に立たなかった」と評価した協力者の人数だけでなく、そのノートを評価した協力者が、さまざまな視点に依拠していると思われるかどうかも考慮されます。

コミュニティノートではこの「さまざまな視点」を、協力者による過去のノートの評価のみに基づいて判断します。つまり、その他の情報(場所、ジェンダー、または政治的帰属などの属性情報や、フォローしているアカウントやポストといったXのデータ)を提供するよう依頼したり、用いたりすることは一切ないということです。

出典:「コミュニティノートガイド・視点の多様性」より

となると、普段の表の行動や関連性(党派性、政治的志向、フォロワー情報などの個人に紐づく属性etc…)に基づいているものではなく、あくまでコミュニティノートに関連する行動の積み重ねのみを基準としているとの枠組みも興味深く感じています。

協力者が、役に立つノートや役に立たないノートの特定に貢献すると、ノート作成機能のロックが解除されます。ノートを作成し、「役に立った」と評価されると、その作成者の影響力は大きくなりますが、作成したノートが「役に立たなかった」と評価されることが重なると、ノート作成機能が一時的にロックされます。その場合、ノート作成機能のロックが解除される条件を再度満たす必要があります。

出典:「コミュニティノートガイド・ノート作成機能のロックおよびロック解除」より

で、一定以上の評価ポイントを得ると、「コミュニティノートを作成できる」ようになります。ただ必要な評価ポイントはそんなに大量に求められているわけではないので、私は1週間程度だったと思いますが、既存ノートへの評価を積み重ねていたら作成できるようになっていました。

余談ですが「地震予知」「現金配布」「反ワクチン」が三大デマジャンルですかね、、日本語で表示されているノートの中ででは。共通しているのは、いずれも「アイコン画像・文面が同じ」とのクローンが多いことで、インプレ数稼ぎのいわゆる「インプレゾンビ」の亜種なんだろうなぁ、、と、閑話休題。

ノートのステータスは多数決で決まるわけではありません。ノートが「役に立った」、または「役に立たなかった」のステータスに到達するのは、過去の評価において、意見が相違することのあった協力者の間で意見が一致した場合に限られます。これにより評価の偏りを防止できます。

出典:「コミュニティノートガイド・評価ポイントと作成ポイント」より

単純な多数決ではなく、ノイジーマイノリティ、サイレントマジョリティー等の要素も包括してのバランシングを行っているとの話とすると、そのロジックも含めて俯瞰してみたいなぁ、と、元SEとしての興味も出てきたりしますが、それだけに次のような記事を見ると、やや首をかしげたくなります(その後のブーメランも含めて)。

このコミュニティノートは、筆者の意見を間違いと指摘するわけでもなく、何が言いたいのかさっぱり分からない。

出典:「米国のウクライナ支援、日本が融資「肩代わり」の可能性 国際社会のシビアな国益争い、法案可決は日本がカギを握っていた」
(「zakzak」2024年4月27日)

記事内で指摘しているポストはこちらで、コミュニティノート自体もしばらく出たり消えたりしていたようですが、今現在(2024年5月7日 21時時点)は該当のノートは表示されていません(裏では「さらなる評価が必要」とのステータスで確認ができます)。

のわりに、やけに過剰反応をするなぁ、少なくともくだんのコミュニティノートからは「日本が肩代わりするとの記載は投稿者の仮説に過ぎず、その根拠は示されていない」との点を指摘したかったのかなと読み取れますし、また投稿者の意見を否定しているわけではなく「誤解を招く」との言い方にとどまっています(要は明確な根拠を示してくださいってことでしょう)。

これは、該当のポストで「アメリカのウクライナへの融資を日本が肩代わりするロジック」がさも事実のように述べられていることの余波なのか、そのポストの返信(リプ欄)などに、煽動?された不特定多数による「根拠が脆弱なままの岸田政権批判に紐づけた投稿」が立て続けに行われていることからも、その状況へのカウンターとしては妥当な「コミュニティノート」と個人的には見ています。

また、仮に投稿者が気に食わなかったとしても、今現在は表示されていないことからも、このノートが他の協力者から評価されておらず、妥当性が低いと高みの見物くらいでよいでしょうに、それが「X(旧:Twitter)」上での揶揄(犬笛)くらいならまだしも、わざわざ外部メディアの記事の中でまで言及するのは他の思惑でもあったのかとの邪推したくもなってしまいますが、、さてさて(個人の見解です)。

国家安全保障戦略も踏まえ、情報・政策・発信部門が連携し、情報戦に対応する情報収集・分析・発信能力を着実に強化しています。外国による情報操作への対応に当たっては、情報の受け手、メディア、シンクタンク、NGOなどの情報リテラシー向上を含めた社会全体のレジリエンス(強靱性)が極めて重要です。ALPS処理水を巡っては、事実とは異なる偽情報を拡散する試みが見られたことから、問題となった偽情報を否定する報道発表を発出するなどの対応をとりました。

また、情報操作への対応に関しては同様の懸念を共有する諸国が一致して対処していくべきものとの認識に基づき、2023年12月6日には日米間で情報操作に係る協力文書に署名を行いました。

そのほか、G7即応メカニズム(RRM)や二国間協議などにおいて情報操作に関する協議を行い、価値観を共有する各国・地域との協力を進めています

出典:「偽情報の拡散を含む情報操作への対応」
(「外務省ホームページより」令和6年4月22日)

なんて、ちょっと前に外務省から出された「偽情報の拡散を含む情報操作への対応」を見ながら、そういや年初から台湾との外交問題にまで発展しかねなかった不祥事をやらかした政治団体の関係者がいたな、、

筆者であれば、今回の米下院のウクライナ支援法案の可決は、「日本がカギを握っていた」と強調するだろう。そして、「日本は民主主義を守るために相当の役割を果たした」とアピールしたいくらいだ。

出典:「米国のウクライナ支援、日本が融資「肩代わり」の可能性 国際社会のシビアな国益争い、法案可決は日本がカギを握っていた」(「zakzak」2024年4月27日)

あと気になったのはこちらの言い回しでしょうか、、元のポスト内容からその意図を読み取るのは、相当に難易度が高いと思います。これは、返信(リプ欄)の惨状からもそう判断せざるえないのですが、この点はどう理解されているのでしょうか。

「ご自分の言説が受け手にどう受け取られるのかを予測できない」のであれば教育者としては甚だ不適格でしょうし、そうでないのであれば意図的に「岸田政権叩きを煽動した」とみなされてもおかしくはないと思いますが、、さて(個人の見解です)。

ある意味「(左右問わずの)ファシズムに飲み込まれた知識階級」が爆誕する様子を目の当たりにしているのかなぁ、歴史的事象の繰り返しとしては興味深いですが、なんて、センセの日本保守党への肩入れ具合とも並べてみながら、、まぁ、どうでもいいか。

> ジョンソン下院議長(共和)は日本政府関係者に「演説のおかげで予算が通った」と首相の貢献も認めた。
やっぱりな。オレにコミュニティノートを書いた人、息している?

出典:「髙橋洋一氏、「X(旧Twitter)」2024年5月2日ポストより」

なんて思っていたら、月が替わっても相も変わらずにコミュニティノートが付けられた事に対して粘着しているようですね。まぁ、面白かったのが、元のコミュニティノートは「予算の肩代わりについて根拠が示されてないので誤解を招く」との指摘であって「岸田さんの演説については一言も言及していない」にも関わらず、、

いつの間にか投稿者の中では「コミュニティノートが"岸田さんの演説のおかげで予算が通ったとのオレ(高橋氏)の意見"を否定していた」と事実を捻じ曲げている点でしょうか。

一応歴史を学んだ一人としては、「歴史の捏造」ってのはこういう形でも行われていったのだろうか、、とある意味で感慨深く拝見しました(最早どうでもいい)。

どちらかというと、こちらのポストにもコミュニティノートが付くという、綺麗なオチがついての腹筋へのダメージも中々だったネタの方が面白かったです。また消えるかもしれないので、画像でも残しておこう。。


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