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具体と抽象

書き終わった後だが、自分のnoteにしては長く、少しばかり難解な内容になってしまったかもしれない(笑)
それでもためになることを書いたつもりなので、最後まで読んでいただけたらとっても嬉しい。
ここから、本題に入る。

人間が他の動物と違う点として、言語を操れることが代表例として挙げられると思う。

言語は思考を可能にし、僕たちの精神世界を大きく広げることを可能にした。

その一例として、タイトルの「具体と抽象」が挙げられる。

具体と抽象って改めて意識したことがあるだろうか?

具体という言葉は、「もっとわかりやすく具体的に説明して。」という文脈で、抽象という言葉は「抽象的すぎてあなたの話はわかりづらい。」という文脈で使われる。

「具体はわかりやすく善、抽象はわかりづらく悪だ。」

こんなイメージを持ってる人も多いと思う。

しかし、抽象化とは人間だけがすることのできる作業。

それをうまく扱えない以上、人間じゃなくて動物でも良かったと言っても過言じゃない(過言かな?笑)。

このnoteでは、抽象化というツールを使いこなすためにはどうすればいいのか、簡潔に説明しようと思う。

それができるようになると、世の中の出来事をいっぽ俯瞰した視点から考えることができるようになり、多様なアイデアが思い浮かぶようになると思う。

僕自身も、このnoteを通して自分の考えを整理することを目的としているので、読んでくださってる方と一緒に理解を深めていきたい。

まず、抽象化とはどういうことか。

それはつまり「様々な事例の共通点を抜き出すこと」だ。

例えば「ライオン、ゾウ、イルカ、ヒト」はそれぞれ具体的だ。

しかし、これらに共通する点は「哺乳類」である。

さらに、一つ上の段階として「動物」でもある。

これが抽象化の作業となる。

要するに、抽象化された「哺乳類」という単語に対して、具体的な「ライオン、ゾウ、イルカ、ヒト」などの具体的な単語が並ぶ。

そして「哺乳類、鳥類、爬虫類」などが具体となるときは、それらを抽象化した単語として「動物」が挙げられる。

ここまで書いたら、カンのいい人だったらわかるかもしれない。

そう、抽象化という作業は相対的なものなのだ。

ライオンに対して哺乳類は抽象的な単語だったのに対し、動物に対しては具体的な単語になった。

ゾウも、「インドゾウ、アフリカゾウ、ナウマンゾウ」に対しては抽象化された単語となる。

つまり、それぞれの文脈において、それぞれの単語の抽象化の度合いは変化するってこと。

言うまでもなく当たり前だろ、って思うかもしれないけど、これを意識しておくかどうかがめちゃくちゃ大切。

誰かと意見の食い違いがあった時に、この抽象化の具合が噛み合ってないことが多い。

例えば僕の場合でいうと、教授が「この研究はこういう風に直したらいいんじゃないかな。」とアドバイスをくれたとする。

しかし、次の日に「やっぱりここはこうだね」と昨日とは違うアドバイスをした。

僕の視点からすると「なんでこの人はこんなに意見をコロコロ変えるんだ、、、」と、信用できなくなるかもしれない。

しかし、それは僕が研究の内容という具体的な部分しか見ていなかったから。

アドバイスの内容に共通するもの、もっというと教授が僕にして欲しい研究の最終目標を考えるべきだった。

どっちも、僕の研究テーマでより良い結果が出るように、いい方法を模索した結果のアドバイスだった、それを理解できていたら僕もスムーズに取りかかることができたはず。

こんな感じで、議論が噛み合わないときはこのような抽象化の齟齬が起きていることが多い。

他にも、わかりやすい仕事の話を例にとる。

例えば、何かのプロジェクトを企画して、それを自分たちの恒例事業にする過程を考えてみる。

プロジェクトを企画して、原案が洗練化され、実際の現場で事業として遂行される、この流れには場面ごとに様々な人が携わることになる。

秋元康がAKBの具体的な曲を考えて、それをライブで披露する時に、コンサート会場ではたくさんの人が誘導や警備に当たる、こんな感じ。

発案されたものが実行に移されるまで流れがあるので、発案元を上流、それらを実行に移す人たちを下流と呼ぶことにする。(川みたいにね)

秋元康のように、発案する人(上流)には以下の特徴がある。

抽象度が高い。
全体把握が大切。
個人の勝負、少人数の方が好ましい。
創造性が重視される。

逆に、発案されたプロジェクトを実行する人たち(下流)には以下の特徴がある。

抽象度が低い。
部分に分けて考えることができる。
多数の勝負、大人数の方が良い。
効率性が重視される。

厄介なことに、これらの流れは細分化され、連続的である。

なので、上司と部下といった近しい関係でも、抽象度の違いが存在することがある。

僕たちが考える時に大切なのは、それぞれのフェーズごとに、どの価値観が求められているのかをしっかりと意識することだと思う。

ここまでは仕事を例にとって説明してきたが、Twitterなどの全く関係がない人同士の会話でも、抽象化のレベルを考えていない人たちの例が散見される。

例えば、より抽象的なレベルで会話をしているつもりの人が「〇〇は〇〇だ!」と断言したとする。

その人は、全ての事例に対して言ってる訳ではなく、あくまで「抽象化の方向性」を示しているだけだ。

それに対して具体的なレベルで会話する人は、例外を挙げ出して、はい論破〜!的なことをいい出したりする。

「哺乳類は卵ではなく胎児の形で、子供を産む。」ということで、爬虫類との違いを際立たせようとしている人に対し、「カモノハシ知らんの?wwwwww」的なことをいう人は、抽象化のレベルが低すぎて話にならない。

常に抽象化のレベルを考えていたら、そんなカスみたいな議論がされることはないはず!

と、まあここまで、抽象化のことについて書いてきた。

ここからは、抽象化することによるメリットや、その際に気をつけるべきことを書いていく。

まず、抽象化するメリットとして「コンセプトや哲学」が挙げられる。

コンセプトや哲学というのは、会社で言うところの社風だ。

これをみんなで共有しておくことで、具体的な細部にわたる仕事が意義と繋がりを持った有機的な作業となる。

大きな目標をみんなで共有しておくことの大切さは、細分化された仕事の方向性を統一することにあると思う。

そして、多様なアイデアを生み出す際にも抽象化はとても役に立つ。

例えば、何か新しい特許が開発されたとする。

その特許と同じ具体のレベルで、他のことに転用するとそれはただのパクリである。

そもそも特許とは、具体的な事柄に付与されるものなので、その具体性を保護することが役割だ。

しかし、それを一つ上の段階に抽象化することで、そこから様々なアイデアを量産できる。

活版印刷機はブドウ圧搾機から、回転すしはビール工場のベルトコンベアから発案されている。

しかし、ブドウ圧搾機の構造をそのままオレンジに使って利益を上げたら、もとの会社は黙っちゃいられない。

抽象化とは、最初に書いた通り「共通点を抜き出してくる」作業のことだ。

この世のアイデアの全ては既存のアイデアの組み合わせであるとはよく言ったものだが、抜き出してきた共通点同士を掛け合わせたものが、斬新なアイデアと呼べるものだろう。

残念なことに、これらの抽象化された考えを持っている人は、具体的な考えに留まっている人から理解されることはなかなか難しい。

周りで、こいつ何言ってるんだろうって思う人がいないだろうか?

その人はただ単にイってるだけかもしれないが、物事を省略してかいつまんで話している可能性がある。

それは、抽象化する習慣がない人からしたら理解できない言動であり、「わからない」と一蹴する対象になってしまう。

抽象化度が高い概念はわかる人にしかわからないので、このnoteをここまで読んでくださってる人は、一蹴するのではなく「この人は高い抽象化レベルで物事を語っているのではないだろうか?」と考える癖をつけるべきだと思う。

じゃあ、この抽象化を阻むものってなんだろう。

それは「経験の浅さ」だと思う。

日頃から、「共通点はないか」と異なる出来事を「同じ」に見ようとする努力をしよう。

抽象化レベルの低い人は、どの出来事も「違った」ものに見える。

そして、共通点ないかな?と探すことを阻害する要因として「自分だけは特別だ!」って思い込むことが挙げられると思う。

そのように、自分だけが特別だ!って思わないためにも、多種多様な経験を積んで、様々な世界を知り、それらの共通点を知るべきだと思う。

よく、小説なんて読んでも意味がない!って言う人がいるけど、様々な世界を知る手段として小説以上に有益な方法があるだろうか?

しかも、小説って映画と違って、少し抽象化されている部分がある。

映画だと、キャストが決まっており、髪型から衣装まで全てが固定される。

しかし、小説では主人公の顔つきや髪型、体型などは全て自分の頭の中で作り上げられる。

それは今までの主人公の描写などを元に「共通点を抜きだす」作業だ。

てことで、日頃から小説をたしなむ人は、少しばかり抽象化された世界に住んでいると思ってもいいかもしれない(傲慢かな?笑)。

抽象化レベルをあげることに成功すれば、同じ情報量からでも格段に組み合わせることのできる考え方や、見る世界が違います。

そうなると、多様なアイデアを生み出すことができ、自分たちの人生に彩りをもたらすはず。

ここまで書いておいてなんだけど、もちろん何事もバランスが大事。

抽象ばっか考えてても、コミュニケーションにおいて誤解を生み出す可能性もあるし、具体と抽象の2つを組み合わせることが大切だと言うことを最後に書いておく。

まずは様々な経験を通し、世の中の実態を知る。
その共通点を抜き出し、抽象の次元に持ち込むことで思考を極める。
そしてそこからまた新しいアイデアを生み出し、具体的な実行可能なレベルにまで落とし込む。

この一連の流れが、一番理想の形なのではないだろうか?

僕自身もまだまだ未熟者なので、自戒としてこのnoteを書いたつもりだ。

アウトプットの場として今回は利用したが、この内容は『具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ』という本を読んだ上でのものである。

興味ある方はぜひ手に取ってほしい、僕はめちゃくちゃ本を読むが、これは自信を持っておすすめする。

最後に。

4300字の長文noteになりましたが、ここまで読んでくださった方がいるのなら、深く感謝します。。。








100円で救える命があります。