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自分しか日本人がいなかった地獄のテニス合宿

今日は2021年6月12日。
天気もポカポカで気持ちいい。
そんな中、あえて中学校時代に想いを馳せ、エモ文体が批判されがちなnoteを書く。そして、昔を思い出すことは常に”エモ”がついてまわりそうな気がするけど、僕の今回書くテニス合宿にはエモのエの字もない。てか、エの字があればエモの半分はあるので、四捨五入してそれはエモなのでは。
どうでもええな。

今からするのは、僕が中学生の時のお話。
当時僕はテニスを習っていて、コーチに合宿来いって誘われた。

コーチ「お前も来い、テニス上手くなるぞ。」
アホわい「りょ。」

マジでこんなノリ。
しっかり色々聞くべきだった。

行き先は台湾。
ちなみに当時僕は香港に住んでいたので、海を越えた合宿も全く抵抗なかった。なんなら台湾住んだことあるし。



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(↑香港空港)

当日。
空港に集合し、そこから台湾に行く。
いざ、眠い目を擦りながら集合場所に行ってみると、、、


ん...??


ん??????




お前ら誰???



マジで知らん外国人8名ほど。
肌の色も様々で、完全にミニ万博が開催されていた。
俺の目の前のやつとか名前絶対ボブやん。

最初は違う団体かと思ったけど、どう見ても俺のコーチが真ん中におる。
もうめっちゃ日本代表みたいな顔してる。

えぐいオーラを放ってるコーチに話しかける。
多分日本の威厳を保とうと頑張ってた。

わい「コーチ...これは...」
コーチ「おう!揃ったか。(オーラ解除)」
わい「(あ、これで揃ってるんだ...)この人らも一緒に行くんですか?」
コーチ「せやで、とりあえず自己紹介しよか。(香港で関西弁とかいう超激レア種のコーチでした)」

うせやろ。マジでこいつらと一緒に行くん。
聞いてないって、ほんまに。
って抗議する暇もなく自己紹介が始まった。
もちろん何言ってるかわからんし、名前も覚えられない。
とりあえずみんなが名前を言っていく。

「アイム クインティン」(初っ端から癖えぐいな)
「アイム ラフィーテ」(ウサギのキャラ名っぽい)
「アイム イアン」(スペル絶対IAN)
「アイム マイク」(急に原点回帰)

もう名前からしてテニス強いやん、無理やって。
中二にして絶望とはこのことか、と悟りながら香港を発った。




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さて、そんな絶望の中にも一つの希望があった。

ホテルだ。

旅行の楽しみはぶっちゃけほぼホテルやろ。
ホテルがない旅行は、穴のないドーナツ、ボケのない関西人、スライムのいないドラクエだ。
テニスとかその時は忘れて、僕はホテルにワクワクしていた。

先に言っておくと、この合宿で僕の願望が叶えられたことはない。

ホテルがホテルじゃなかったのだ。
スライムのいないドラクエどころか、モンスターが出てこないドラクエレベル。
ホテルというよりどっちかというとおばあちゃんの家。
おばあちゃんの家特有の匂いがするあの感じ。今にも雪の宿がお皿に乗って出てきそうだ。

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(はあ、なんやねんホテルもハズレかよ、今のところメンツも宿泊場所も最低ランク更新しすぎて、これからどんな旅行でも楽しめそうやわ。とりあえず、自分の部屋の鍵だけでももらうか。)

まあ部屋に入りさえすればぼくの勝ちだ。
最悪部屋が悪くても、とりあえず夜1人でゲームする空間さえあればよい。。。

わい「コーチ、部屋の鍵ください。」
コーチ「ああ、お前の鍵はあいつと一緒や。」

は?一緒???

振り返るとコーチが指す先にはなんと



ボブ!?!?



待て待て、うせやろ、俺ボブと相部屋なん?
(ちなみに本当の名前はメタでした。なんならボブよりごつい。)

終わった、この2週間は多分刑務所みたいなもんや。
その時の精神状態は最悪だった。
僕はボブの歩く先を、警備員に連れていかれる囚人のようについて行った。
そうやって歩いているときに、ふと後ろを見ると


は?


なぜかあと4人くらいついてきてたのだ。
待て、相部屋どころかもしかして大部屋か?
ふっ、これは参っちゃうZE⭐️

本当に絶望だった。

部屋に入ったら、ありえんデカイベッドが並べて置いてあった。
はあ、もはやこれサイズなんていうねん。ツインツインツインくらい。

そして部屋に入ってから休む時間もないまま、夜の練習があるらしくみんなが着替え始めた。
もうこうなったら精神を壊して、機械のようになってついていくしかない。
僕は機械になった体を動かして着替えを始めた。。。

国際色豊かなパンツ鑑賞会を終えた僕は、テニスコートという名の絶望の地へ向かった。
そしてやっぱりみんなめっちゃ上手い。ちなみに僕はそもそも大してテニスが上手くない。
なんなんだ、今のところこの旅行で良かった点といえば、行きの飛行機で飲んだオレンジジュースが美味しかったことくらいじゃないか。




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そうやってなんとか日々の練習にくらいついていた僕だが、致命的な欠陥があった。
英語を話せないことだ。
日本人学校に通っていたし、日本の中2と大して変わらないと思う。

日々の中で周りの人たちは友達を作っていく中、僕だけが友達を作れないでいた。

そんなある日のこと。

練習が終わっていつものフードコートでご飯を食べようとしていた時。
みんなのご飯が来てなかったにも関わらず、僕はご飯に手をつけた。
それを見たコーチが。

コーチ「おい!!!!!!!」
わい「(びくっ)」
コーチ「お前、他の人様も来てからご飯は食うもんやねん、それか他のひとに許可取ってからいただきますって言ってから食べるもんやねん!!!!!!」
コーチ『みんなご飯くるまで立っとけ!!!!!

嘘やろ、なんでそんなことせなあかんねん。
泣きそうになりながら(というか多分ほぼ涙は溢れていた)、僕はみんなのご飯がくるのを待った。
そしてみんながご飯を食べだしても、僕だけ食べだしづらかったのを今でも覚えている。
コーチはそんな感じで礼儀をとても大切にしているひとだった。

練習場に入る前に「お願いします!!」の声が小さかったらやり直し。
出るときもコートに礼。
網は跨いだらダメ。

などなど、厳しかった。
そして当時のメンタルの僕にはそれがなおさら厳しくて、涙をこぼしてしまったんだと思う。

帰り道で、クインティンが、「Are you OK?」的なことを聞いてくれた。
もう泣き止んでいたので、僕はOK的な風に答えると、そこから会話が始まった。
なんと僕が日本から来たと思っていたらしい。
「いや俺、香港空港におったやん。」っていうツッコミはもちろん僕の英語力ではできない。
でも自己紹介とか、香港のどこらへんに住んでるのとか(広東語で自分の住所は言えるようになっていた)で少し盛り上がった。

ちょっとだけ気分が楽になったし、初めて本格的に話すことができてとっても嬉しかったのを覚えている。多分、合宿が始まって1週間経ってないくらいの頃だったと思う。
今となって思うけど、ほんまによー頑張ったと思うわ俺。
コーチ以外日本語が通じひん環境でずーっとテニスするって、なんの罰ゲームやねん。




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あ、ちなみに書いてなかったがこの合宿は12月の終わりから、1月の始めにかけての2週間だ。
え、と思うだろ。
そう、まさかの正月をそこで迎える。
そして当たり前だが1月1日から練習スタートだ。

これを読んでる人は体験したことあるだろうか。
朝起きて一番に「ハッピーニューイヤー!」と国籍が違う外国人たちと騒ぐ声で起こされることを。
なぜか目を開けたら全裸のイアンが立っており、肛門を見る羽目になったことを。
僕はある。

そしてもう一つ書いてなかったことがある。
朝ごはんは毎日朝マックだということだ。
この合宿のスポンサーはマクドナルドかな?ってくらい2週間朝マック生活を送っていた。そのおかげで、僕はマフィンが嫌いになった。
まずひどいのが、毎回1番か2番のセットしか注文させてもらえないのだ。
良かったのは最初の2日だけで、後の12日はどちらの方がより気分的に”マシ”かということを考えてセットを選ぶことになる。

ただし、元旦は別だろう。と僕は思っていた。
新年の挨拶も人生史上最大に軽く済まし(コーチがあけおめって言うだけ)、いつもとなんら変わらない道を歩いていた。
これはもしかして、マックロードでは?
ドナドナが頭の中で流れ出す、出荷される牛の気分を味わう。

はい、やっぱりそうでした。目の前に立ちはだかるMの字。いっつも同じ姿勢でベンチに座ってるドナルド。

みんななんの疑問もなしにマックに入店していく。てか正月ってマック空いてるんや。店員さんもお疲れ。
もちろん店内は僕らだけ。

そこで、今日は3番と4番も頼んでいいよ、との声が。
いや別に嬉しくなんか、、、って思うけど、やはり囚人が普段と違うめしを食わされるだけで美味しく感じるのと同じように、3番のセットは美味しかった。完全に囚人体験キットだ。もはや3番と4番とかも囚人を呼ぶときの番号に聞こえてくる。

さて、そうやってなんだかんだ辛い日々をこなし、なんだかんだ周りの人と仲良くなった。
いやどうやって仲良くなったんだ!!!って思うかもしれないけど、実際あんまり覚えてない。
冷蔵庫ってrefrigeratorって言うんだけど、それの発音を教えてもらったり。「Are you delicious?」って聞かれた気がしたから、「I'm not delicious!!!!」って言ったらみんなに爆笑されたり。
一つ言えるんは、言語が通じなくても人となりはわかるなあってこと。
イアンの性格はちょっと意地悪で怠惰だけど、逆に全然怒らないしおおらか。
クインティンは基本的に優しいけどどこか繊細な部分がある感じ。多分それもあって俺に話しかけてきてくれたんだと思う。
まあ色々書き出すとキリないからこんな感じ。
終盤の方はほんまに楽しかった。

とは言ってもだ。


帰りたい。


その気持ちは変わらなかった。


いざ帰国の日。
朝起きたら、誰かが「We back to HongKong!!!!!!」って言って僕もいえーい!!!!!って叫んだのを覚えている。
元旦の時とは大違いだ。相変わらずイアンは裸だったけど。

そして香港に帰って、母親と合流。
めっちゃくちゃホッとしたのを覚えている。
そして胸張って「楽しかった」と言えたのも自分自身嬉しかった。

まあ今となってはこんな感じで美談にできるけど、当時は後13日、あと12日、って出所の日を待ちわびており、最終日までそれが変わらなかったのも事実だ。
でも、いってよかったし、コーチには感謝している。



最後に、そのときの写真が出てきたのでそれで締めくくりにする。

左から2番目の埋もれているのが僕だ、写真ですら死にそうになってるのか...
ちなみにボブことメタは右から3番めの青パーカーである。
彼はとても紳士だ。

画像3


おわり。

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