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モノを残す・刻むということ

例えばインスタレーション、即興サウンド、パフォーマンスあたりはその時の瞬間が作品になったりするから、それを例えば音源や映像、写真化するとそれとは別モノとして残る。記憶とか記録の一部として残るのみ。そういう意味では即興的な表現の方が好きだったりするしデジタルの方が個人的には相性がいいかも。 今回個展で平面作品を展示するというスタンダードな展示の仕方って実は数えるくらいしかやった事なくて、NFT&フィジカルを販売してみるという点でやってみたかったというのもある。ただ次の個展までは平面メインで行く予定だけど、それ以降はまたサウンドとかインスタレーションとか3D映像とかメインにやりたい。(いまのところ。また少し変わるとは思う) 今やってることと多少矛盾してるけどNFTを始めてより顕著に感じたというか作品を「残す」事について(もちろんトークンとしての意味合いが強いのもあるが)NFTを沢山刻みたがる行為には、とにかく残したいとか執着みたいなものが少なからずあると思ってて、私の場合、実のところ自分の作品を「刻む」行為そのものにはあまり価値を感じていない。 どちらかというと便宜上「残す、刻む」を利用させてもらっている。 実際はモノよりコト派なのだと思う。 (フィジカルはもちろん好きだけど) そういった点を考えるとリサイクルとかエコとか循環みたいなテーマが割りかし親和性があって、そこには仏教の輪廻思想とか禅の世界もシンクロしている。 自分の作品は普段当たり前にあるようなものを高次元や別世界、外側の世界に飛ばして変換させる「転生、循環するようなもの」がテーマにあるので、「残し方」も、形にこだわる必要はないのではと思っている。記録にしか残らないでも、逆にいいのかもしれない。

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