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健常とはチューリング完全である

承認をめぐる病と申します。
ADHDとASDと鬱を抱えているプログラミング始めたての生き物です。

一昨日チューリング完全性について小耳に挟みました。
チューリング完全とは、他のどんな計算機の代わりもできる万能なマシンであるということ、らしいです。

これは、構造化定理によれば連接と分岐と反復によって満たされます。
連接は前回の結果を覚えながら順を追って処理すること。
分岐は条件次第で行動を変えること。
反復は同じことを繰り返し続けること。
これら3つを満たせば何でもできます。

ところで、チューリング完全という概念はプログラミングに用いられるものですが、人間にも適用できないかと考えました。

多くの人は、連接ができます。
しかしぼくは順を追った処理の途中に別の思考へ飛んでしまいます。

多くの人は、分岐ができます。
しかしぼくは恒常的な自己を好み、特定の行動にこだわってしまいます。

多くの人は、反復ができます。
しかしぼくは病的な飽き性で物事を継続できなかったり、あるいは異常な集中状態に入って終了できなかったりします。

これらぼくの持つチューリング完全性の不満足は障害によるものです。
帰納的には健常とはチューリング完全である、と言っても矛盾はないでしょう。

医学的な原義では「困りごとが発生する状態」である障害を「チューリング不完全」と言い換えられるとすれば、チューリング完全という概念は人間に適用しても尤もらしさを失わないだけの汎用性を持った根本的な概念なのかもしれません。

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