第1434回 彼の国の凄さは奥深さ
1、読書記録335
本日ご紹介するのはこちら。
岡本隆司2023『物語 江南の歴史 もうひとつの中国史』中公新書
三国志育ちなので定期的に中国史成分を摂取したくなりますね。
著者は高校生の時に読んだ中公新書『揚子江』(陳舜臣・増井経夫著)から憧憬の念を抱き、大学生になってからは1ヶ月も中国南部を旅したという筋金入りの中国フリークです。
2、南に取り込まれる北
中国の目まぐるしい王朝交代劇の中で、北の「中原」と南「江南」が分かれて分立することは何度もありましたが、文明の発祥から現代まで通史的に紹介する新書はこれまでに出会ったことがありませんでした。
時に長江の上流・中流・下流域、さらに沿海まで加えて、それぞれの地域的特徴に根差した歴史的展開が叙述されています。
やはり北が先進で南は後進と捉えられがちですが、そうとも言えない分野ももちろんあります。
いくつか例をあげると、一つ目は10世紀前半ころ。
我が国では菅原道真とか平将門とかの時代。
中国では短命の王朝が乱立する群雄割拠の時代。
長江上流域では「前蜀」「後蜀」とのちに呼ばれる王朝が建国されていました。
他地域との隔絶性や銅銭の素材となる鉱山資源が不足していたことから
宋王朝に併合されたあとも独自の通貨を用い、世界に先駆けた紙幣が通用していたということが紹介されています。
そもそも江南は経済文化に傾いた場所で
そこに都を置くと「驕傲淫逸に溺れ」てしまい、長続きしないとされます。
梁の武帝、陳の公主、隋の煬帝などが例示され、その反省を生かして唐は江南と距離をとったということ。
一方で中原の農業生産が気候の寒冷化と開発の限界によって、低下を余儀なくされ、中国全土の経営のためには江南の富を北に接続する必要に迫られるわけです。
ということで著者は煬帝の運河建設事業を高く評価しています。
また同じく10世紀に現在の広東省付近に建国された南漢という王朝は
軍人王朝が攻防を繰り返した北方とは異なり、中原から左遷されてきた文人たちを受け入れて重用するとともに
南海貿易で栄えて独自の世界を築いていたとのこと。
アラビア世界との結びつきの影響もあってか、宦官勢力が次第に勢力を増し、
人口の2%が宦官だったという情報も。
スケールの大きな課題先進地として捉えられています。
東側の福建も同様で、「朱子学」の発祥の地として学問が盛んになり
宋の時代、科挙の合格者数の4分の1が福建出身者だったというから驚きです。
「晴耕雨読」とは本来悠々自適の生活を指すのではなく、生産地拡大が限界に達した福建人が学問で身を立てる戦略をとったことを指すもののようです。
中国の近代化も広東人が起こした太平天国の乱からはじまり、広州出身の康有為が改革を目指して、広東人の孫文が革命の父となったのです。
3、適度なお付き合いを
著者がこの新書を通じて伝えたいのは、「一つの中国」に捉われることなく中国の多様性、豊穣な歴史に眼を向けることの大切さなのだろうと思います。
我が国は常に彼の国を指針に制度設計をしてきましたが、内実は在地の論理に取り込まれていく、その繰り返しだったように思います。
適度な距離を保てた時代の方が両国間はいい関係を築けていたのでしょう。
先が見通せない時代ですが、歴史を学ぶことで少しでも深い理解ができるようになりたいものです。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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