第159回 山城の面白さを語る
1、読書記録6
昨日のノートでご恵送シリーズとして文化財調査報告書の紹介をしましたが、
それ以外でもおススメの新書や小説などをシェアしていきたいと思います。
書いたものは
読書記録
というマガジンに収めていきます。
読書メーターというアプリを利用してる方はそちらとも連動させていくので是非のぞいてみてください。
今回は取り上げるのは
西股総夫
城郭研究者である著者が長年関わってきた「杉山城問題」を総括します。
2、何が問題なのか
杉山城問題といってもピンと来ないかと思います。
埼玉県は嵐山町にある杉山城は一言でいうと謎の城です。
昨日の記事でも触れましたが、中世交通の要衝や勢力圏の境目の小高い丘に城が多く築かれます。
「土の城」という呼ばれ方をするように
空堀と土塁を中心に土木技術を用いて防御力を高めていく形になります。
ここに土塁を築いて、攻めてくる敵の動線をこう制限することで、ここから矢を射かけられるな、
などと現地に残る遺構から築城者の意図を読み取る研究を「縄張り研究」と言いますが、そのような手法で明らかになった杉山城は築城技術の到達地点とも言えますので
戦国時代末期の後北条氏の築いたものだろうという解釈が一般的でした。ただ古文書などにこの城についての言及がほとんどないのであくまでも推定です。
しかし、発掘調査をしてみると、出土したのは北条氏がこの地にやってくる前、関東管領上杉氏が治めていた時代の遺物ばかりでした。
これをどう解釈するか、というのが本書の肝になるかと思います。
まず出土遺物の年代が、城が築かれた時代だ、という考え方。
そんなの当たり前じゃん
という声が聞こえそうではありません。
先ほどの縄張り研究で考えられてきた他の城の解釈とは合わないという問題点があります。
同じように技巧を凝らした縄張りを持っている城の中で、杉山城だけ飛び抜けて古い年代ということになってしまうのです。
3、解釈するためのヒント
ではどうするか
①城は何度も作り直される
いま地表に見えているのは城の最終形態です。つまり上杉氏の時代に作られた城を北条氏が大規模に作り直したと考えます。
上杉時代は比較的居住を伴うような城の使い方をしていましたが、北条氏時代は作ったはいいもののほとんど戦に使われることなく廃城となった。
そう考えれば北条氏時代の出土遺物がなくても説明はできます。
実際、山城というのは有事の際に使われるもので、建物も粗末なものだったという説もあるので日常品が持ち込まれていない可能性もあるのでしょう。
②作られた年代=使われた年代ではない
例えば愛知県の瀬戸の窯で焼かれた陶磁器は窯跡の発掘調査成果をもとにかなり細かな年代を当てはめることが可能になっています。
20〜30年単位、およそひと世代分でしょうか、
具体例をあげると
1460年から1480年ころに作られたものである
ということが言えるのです。
だからといって1480年に捨てられるとは限らないですよね。
2、3年で割れてしまうお皿もあるでしょうが、丁寧に使っていれば、20年長持ちするかもしれません。
そうすると作られた年代と捨てられた年代にズレが生じます。
非常時に立てこもる山城に備蓄するものとして、あえて新品ではなく、古くなった茶碗をという考え方もわかる気がします。
4、議論があることが魅力
このように、一つの山城がいつ頃誰によって築かれたのか、ということもまだまだ議論があるということが歴史の面白さでもあるかと思います。
前項であげた解釈もあくまでも例でしかないので、もっと他にすっきりと説明できる論理があるのかもしれません。
著者が研究会や誌上で受けた批判について、丁寧にひも解いて反論していく叙述も読んでいて心地いよいのでおススメです。
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