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寒くなったので

寒くなったので、手袋を編み始めた

去年からハマっている、棒編み。
三國万里子さんの編めば編むほどわたしはわたしになっていったというエッセイを読んで無性に編みたくなって編み物を再開したのだ。

小学生の頃、暇で暇で仕方なかったわたしは祖母に教えてもらった表編みと裏編みだけをただ繰り返して作ったマフラーを作っていた。

昼休みや中休みなど、休み時間に校庭をかけまわることはとても好きだったが、放課後まで外で遊びたくなかったわたしは読書か人形遊びか・習っていたピアノのおけいこくらいしかすることがなくて、暇を持て余していた。

10年ぶりに編みを再開し、幼い頃とはできることが格段に増えた今、編み図の本を買い、針の号数が手持ちのものと違うとわかるとAmazonでサクッと取り寄せられたりもする。

まだまだ大人になんてなってなかったつもりだけど、やりたい、読みたい、食べたいと思えばすぐにお金を出したり出かけられたりする自由が、歳をとるにつれて広がっているような気がする。

そこは大人のいいところで、でも責任が伴ったり、人生について考え始めたり、めんどくさいことが多いのも大人なんだと思ってた。

小学生の時、大人のことをすごく大人、だと思っていた。
わたしより人格的に優れていて、何一つ間違いのない、正しい存在だと。
わたしも大人、になった時、子どもに対してそういうように振る舞う必要があるんだと思っていた。
でも蓋を開けてみれば、大人なんて歳を重ねただけで何にも変わらない知恵がついただけ賢しく、狡猾になっただけだ。
正しくありたいと願う大人はいるけれど、ほとんどの大人が自分の弱さと向き合うことを拒否し、何も考えたくないとただただ日々を漫然と過ごしているだけ。

大学生になっても、社会人になっても、わたしは昔からの友だちとも仲良くしつづけるだろうし、それはこれからも変わらないことだと思う。

大学で出会った友人はこれまでの人生で関わってこなかった人ばかりで、とても刺激的だったし、楽しい時間を過ごすことができて、大学に入学してよかったなと思う。
でもどうせ、同じような人間しか周りにはずっと残らないのだろう高校までの、古い付き合いを大事にして、友人付き合いを続けていくためにお互い努力できるような友だちしか残らない。

大学でできた友達はそこのところがわたしと違いすぎて、気遣いとかをしなくていいぶん、向こうもこちらを気遣ってくれない。
その気楽な関係が好きだったと言ってもいいけど、わたしとは仲良くするつもり、努力したいなと思う気持ちがないんだなと感じられる出来事があって、わたしは寂しくなってしまった。

大学生だからといっていっぱしの大人だとは到底思えないと話す友達ばかりに囲まれていたおかげで、大事に無菌状態ですくすく育った。
モラトリアムを伸ばしたいと大学院へ進んだ友達とか、研究をしたいと言って留学とか院へ行った友達など、多分みんな自分のことだけで精一杯。わたしも。

大学が私立の大人数通う大学だったこともあり、いろんな人がいた。
これまでだいじに大事に育てられてきたわたしは、ワンナイトなんてどこか小説の中の話だと思っていたし、まさか知り合いの中にそんな人がいるなんて考えもしなかったから嫌悪感を抱いてしまったりした。今でも理解はできないが、その知人は、男だからそういうことが平気でできたりするのかなとは思う、考えているとはいえ、自身の身に妊娠という危険が及ばないからだ。

酔って記憶をなくして一晩を一緒に過ごすだなんてわたしの人生には考えられないことすぎる。初めてその話を聞いた時卒倒してしまいそうだった。うぶなわたしは、平気そうなふりをしてふんふん聞いていたが心の中ではドンびいていたし、友だちを長くやれそうにないななんて思った。

潔癖な両親に育てられて、無菌状態で育ったわたしには刺激が強すぎるな、世間に対して免疫が無さすぎる、だがしかし、大学で出会った人以外の友人はわたしのような子ばかり、どうしてもそちらといる方が居心地が良く、楽しく感じる。

わたしがいる時だけ、下ネタを控えているとか言われたことがあるが下ネタが共通の話題だと思わないでほしい、何も考えずに流されているだけなのに。
もっと他に楽しい話なんてあると思うけど、その人たちとは話題が合わないだけなのだ。だからわたしはそういう場では相槌に回る。

わたしは世間の一般論じゃなくて、あなたの信念、考えを聞きたいのに、って。どういうふうな思考の癖がある人なのか、どうしても曲げられない信念、幼少期の記憶、興味を持った人を構成する経験など、そういうものが聞きたい。
うわべだけの会話で友人になんてなれないと思ってしまうめんどくさいわたしはこうして出来上がっている。

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