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「夢」は人とマシンをつなぐ『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』

 世紀の怪作『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』を経て、ついに邂逅する平成と令和のライダー。とくに最近の劇場版では予想外のサプライズが多く、何が何でも初日最速に観なければ!という気風もファンの間で高まりつつある。新しい元号を早速タイトルに織り込んでくるとなれば、またP.A.R.T.Y.な一作にお目に掛かれるかもしれない。そんな期待と共に劇場へ向かった。

タイムジャッカーの歴史介入によって、ヒューマギアに人間が支配される世界へと変わってしまった。仮面ライダーゼロワン=飛電或人は自らの記憶との齟齬を感じるも、飛電インテリジェンスの社長として君臨するヒューマギアのウィル=アナザーゼロワンによって飛電ゼロワンドライバーを奪われてしまう。世界の異常を察知し記憶が戻った仮面ライダージオウ=常磐ソウゴらも或人の元に現れ、元の歴史に修正するために12年前の時代へと飛ぶ。そんな或人の前に、ヒューマギア反乱事件である「デイブレイク」に巻き込まれて命を落としたはずの父・飛電其雄が現れる。

 そうした期待とは裏腹に、今作を観て真っ先に浮かんだのは「堅実」というワードだった。平成ライダー総決算作品のその後と現行ライダーのオリジンが描かれるといえば2009年の『MOVIE大戦2010』を彷彿とさせる座組みだが、その作品ではTVシリーズに続く完結編としての役割があったディケイドとは異なり、今作におけるジオウパートは後日談でありながらジオウ全体の物語が動き出すような大活躍はしない。本作の何が堅実かと言えば、『ジオウ』のタイムトラベルやアナザーライダーといった要素を下地に、『ゼロワン』のオリジンをどっしり腰を据えて語ろうというストーリーだ。

 タイムジャッカー・フィーニスの介入によって歴史改変が生じたゼロワンの世界。人々の生活を手助けするために造られたヒューマギアに人類が支配されるという構図は、ヒューマギアに感情が宿る余地があることをTVシリーズで何度も目にしてきた身としては、「ついにやったか」という印象を受ける。マシンに感情が生まれた時、人類にとって都合の良い「働きもののロボット」という図式は、一気に「奴隷」というニュアンスを帯びてくる。作中、ヒューマギアであるウィルが「労働の対価」について質問するシーンがあり、それに対する回答は彼にとっては不十分なものであった。人に仕えるための存在としてのヒューマギア、その存在意義に疑問を抱いたウィルと、とある陰謀を持つフィーニスが出会うことで、人とマシンの関係性は入れ替わってしまう。

 ここへきて、或人の「人間とヒューマギアが笑って暮らせる世界」という夢の原点(父との思い出)を振り返りつつ、それを根底から覆す大胆な舞台が用意されていることがわかる。育ての父であるヒューマギア・飛電其雄がライダーシステムの創造者であることが明かされ、「ヒューマギアが笑える世界を創る」という言葉まで言い残す。思えば、歴史が修復されたとしても「アーク」の意思に基づく人類絶滅の思想は滅亡迅雷.netが具現化していくし、改変後の世界では人類が支配される側になってしまっている。人間とマシンの平和的共存は成し得ないのか。ヒューマギアの父を笑わせたいという或人の純粋な願いから生まれた理想が、他の誰でもない父との再会で揺らぐという構図は、かなり残酷だ。

 そうした絶望に苛まれる或人を導くのが、先輩ライダーであるジオウ=ソウゴの役目ということだ。事実、1年の撮影を経て魔王の風格に目覚めた奥野壮くんの存在感たるや凄まじく、とあるラスボスに対してあっと驚く啖呵を切るところなど「仮面ライダー」の全てを背負っているかのような立ち位置に。そんなソウゴが、変えられない過去があること、それでも未来は自分の意思で変えられることを或人に解き、或人なりの決着へ誘導していく。それと並行して、仲間と共に歴史介入を起こしたタイムジャッカーを探すという縁の下の力持ちな活躍で、先輩風吹かしまくりのソウゴがとても頼もしく見えてくる。

 前述の通り、本作のキモは『ジオウ』のギミックを用いた『ゼロワン』のオリジンを描くストーリーにある。タイムトラベル要素によって或人は父・其雄と再会し、己の理想を貫き通すためには1型=父を乗り越えなければならない、というドラマが発生する。また、その時代で出会った人から力を受け継ぐという『ジオウ』イズムも、今作では「跳ぶ」という言葉に象徴し託されている。父の真意を知り乗り越えようともがく或人と、それを後ろから支えるソウゴ。並び立って映るショットこそわずかだが、確かなクロスオーバーが存在し、ゼロワンのドラマを盛り上げていく。

※以下、ネタバレを含みます。

 人とマシンの関係性のグレーな部分を描きつつ、同時に希望も本作は映し出していく。或人の「人間とヒューマギアが笑って暮らせる世界」という信念に対し、イズやシェスタが同調を見せ、周りのヒューマギアの一部も「人間と共に夢が見たい」という意思に目覚める。夢などというプログラミングし難いものが元から搭載されていたものか、あるいは後天的に芽生えたものかは定かではないが、彼らヒューマギアが人間と共に歩んでいきたいという意思を自ら発したことは、其雄(と是之助社長)が夢見た人間とヒューマギアの理想的な共存の第一歩であり、それが或人の覚悟にも繋がっていく。かくして或人は父を乗り越え、その意思を受け継いでいく。

 一方、全てのライダーの力を求めるフィーニスはソウゴを強襲し、アナザー1号へと変身する。「ショッカーの改造兵器」という本来の出自をなぞるかのように、悪でありながら原点にして頂点を名乗るライダーを、令和一発目の劇場版に登場させる趣きの深いこと。対するは、怒涛のフォームチェンジで舞うゼロワンと、待ってましたと言わんばかりに平成ライダーファンネルをぶっ放すグランドジオウ。ここまで抑えられてきたお祭り映画感を取り戻すかのようなライダーラッシュは、正直楽しかった。

 結局のところ、タイムジャッカーが何なのか、フィーニスがライダーの力を求めた動機が何だったのか、といった部分は描かれないし、ゼロワンパートの描き込みが堅牢な分クロスオーバー特有の「画的」な面白さに関しては平成ジェネレーションズよりも数段劣る。ゼロワンとジオウを除けばタッグ技は皆無だったし、何よりゼロワンへの「祝え!」がないのは期待外れであった。

 だが、これまでの冬映画にあった祝祭感が狙いではなく、『ゼロワン』の勢いを盛り上げる大きな役割を果たしていることは確かだ。或人のゴールやイズとの関係性の変化を予感させ、エンドロールでは不破と唯阿が不穏な会話をし、新たなライダーがお目見えする。『エグゼイド』でも確かな手腕を見せた高橋悠也脚本なだけあって、今後の展開に関わる「何か」がセットされたことは明らかだ。不穏な伏線と企業の社長が暗躍するということで、きっと波乱万丈で相当EXCITE な展開が年明け早々に待っているだろう。人間とヒューマギアの未来は明るいか、その答えは令和2年まで持越しだ。

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