見出し画像

映画『カラオケ行こ!』“今しかない瞬間を”歌え、叫べ。

 背丈が無駄にデカいので、「バスケかバレー部だったでしょ?」と数え切れないほど言われてきたけれど、その実態は、部活には入らず生徒会役員を努め、内申点だけで受験を乗り切ってきたというのがオチ。運動神経が壊滅的だったし、とはいえ文化系においても自慢できる特技も研鑽を重ね続ける度胸もなく、弱い自分を変えられないまま学生生活を終えてしまった。

 たとえ下手でも、何かしらを続けていれば、今の自分にはない特技や自信が実ったのかもしれない。そして、その技能によって誰かを助けたり、勇気づけたりできたかもしれない。芸は身を助ける、ではないけれど、努力と挫折から逃げてきた自分に、どこか負い目を感じながら、かろうじて“大人”ってやつをやっている。

 という自分語りを枕詞に、映画『カラオケ行こ!』の話をしたいと思う。私がなぜ本作を(試写で一足早く)観てそんなことを思ったのかと言えば、「歌をやっていれば私の元にも綾野剛が来たかもしれないのに!」と悔し涙を流す羽目になったからだ。

合唱部部長の岡聡実(おかさとみ)はヤクザの成田狂児(なりたきょうじ)に突然カラオケに誘われ、歌のレッスンを頼まれる。組のカラオケ大会で最下位になった者に待ち受ける“恐怖”を回避するため、何が何でも上達しなければならないというのだ。狂児の勝負曲はX JAPANの「紅」。聡実は、狂児に嫌々ながらも歌唱指導を行うのだが、いつしかふたりの関係には変化が・・・。聡実の運命や如何に?そして狂児は最下位を免れることができるのか?

公式サイトより

 和山やまの同名マンガを、監督・山下敦弘、脚本・野木亜紀子で実写化した本作。ヤクザが中学生に歌の先生を頼むときて、肝心のヤクザが綾野剛、その他キャストも橋本じゅん、やべきょうすけ、北村一輝と、「ぜってェ面白くなるぜ……」と試写会に応募し見事当選。2023年の映画納めを本作で致したわけだが、これがもう年間ベスト級に刺さってしまい、こうしてnoteをしたためている。

 まず、綾野剛である。元より綾野剛という俳優が大大大大大好きなのだが、綾野剛にも色んな種類があって、今回の成田狂児はいわゆる「大型犬」タイプの綾野剛。直近では『MIU404』の伊吹藍というヘラヘラしてチャラチャラしてるのに作中誰よりも真っ直ぐで、かつパーソナルスペースを問答無用で埋めてくるのにそれが苦にならない塩梅の、なんだかでっかい唐揚げをお腹いっぱい食べさせてあげたくなるようなキュートさを振りまくド萌えキャラが記憶に新しいと思うんですけど、まさしくその進化系。今回は中学生である聡実を師と仰ぎつつ、中学生男子の青春模様と愛おしく見守り、かつ友達のような距離感で接するカワイイお兄さんを熱演。声帯の負荷が心配になるほど『紅』を熱唱し、終わった途端に“きゅるっとする”ところなど、もう(俺が)おかしくなりそうだった。綾野剛と付き合いてぇ……。

 その愛嬌たっぷりの演技を受ける岡聡実を演じるのは、2007年生まれ、わずか16歳の齋藤潤。実を言うと本作の要は彼であり、公式サイト曰く“山下敦弘監督、野木亜紀子、綾野剛らが参加したオーディションを勝ち抜き、大役をつかんだ”とあるが、なるほど(撮影当時)15歳の彼でなければ成立しなかった映画だというのは、観た後だとしっくりくる。

──現場の雰囲気はいかがでしたか?

齋藤 撮影はちょうど1年前だったんですが、僕はまだ芝居経験が少ない中での参加だったんです。でも剛さんや監督、そしてスタッフの皆さん、キャストの皆さんがお芝居をしやすい環境や空気を作ってくださって。僕が返しやすいところからお芝居を始めてくださったり。そのおかげで僕も集中して、全力で挑めたように思います。

トータル回数は“100「紅」”?綾野剛&齋藤潤が敬意と感謝で育んだ「カラオケ行こ!」語る

 本作のキモは、聡実の合唱部部長であること、ひいてはソプラノとして歌えるという期限付きの「青春」と、狂児らヤクザ世界における「余興」とがたまたま重なった、偶然の出会いによる期間限定の友情が尊いのだ、ということ。

 聡実は中学3年生であり、合唱部としても秋のコンクールで実質引退、後進に任せて自分の進路を定める期間である。と同時に、身体の成長によって今の自分では無くなってしまうという喪失感と向き合う時期でもあるのだ。一般的に、体育界系の部活であれば背が高くなるなどの“男らしくなる”は長所となるのだが、合唱の、とくにソプラノとなるとそうはいかない。得意のパートがそうでなくなる、思うように歌えなくなるということを、成長という否応がない事実と共に直面させられるのは、周囲の人間にはわからない本人だけの辛さである。

 一方、狂児らヤクザが頭を悩ませる「組長の誕生会は毎年決まってカラオケ大会」というのも、いつ何時、生と死の間を彷徨いかねない裏社会に身を置く者たちにとっての、貴重な遊びの時間である。無論、当人らにとっては敗者への罰ゲームがあるので真剣にならざるを得ないのだが、指を落としたり果ては命を取られたり、なんてのは無縁でいられる時間も、必要なのだろう。

 そんな両者の「今しかない」時間が重なり合い、奇妙な友情が生まれる。狂児は『紅』を極めんとするが、聡実曰く“狂児さんの声質に合った歌”を歌えば良いと諭す。だが、狂児には『紅』にこだわる理由があり……と、狂児に振り回される内に教科書では学べない社会のこと、他者の気持ちを思いやること、あるいは「愛」について学ぶなど、先生と生徒が時に入れ替わりながら深まっていく関係性が、どうしようもなく愛おしい。

 こうして物語は、急転直下のクライマックスへ。『紅』という歌は30秒とか60秒の間奏が含まれる「カラオケでは気まずい曲」なのだが、ある時は笑いの前フリとして、そしてまたある時は愛する者への鎮魂と黙祷のように機能する。そこから炸裂する、15歳の齋藤潤にしか出せないシャウトに、心をかき乱されるような感動が押し寄せてくるのだ。

 喉に負荷のかかる、身を切るような歌い方は、可愛かった坊やが大人の階段を登る、青春の終わりを象徴するかのよう。同じ“男の子”だった身として、『紅』が歌えない悔しさはよくわかる。それでも、それでも喉をからして、声を張り出して、あぁ、なんとしても歌いきってやるという熱意が、胸に染みる。齋藤潤の“今しかない”輝きをギュッと押し花にすることで成立した本作は、一種のアイドル映画のようで、一年前でも一年後でもきっとこうはならなかったであろう、という切なさが感動を生むのだ。

 文章であらすじを読んだとて、この感動を共有するには至らないし、映画館という環境で観て、聴いて、味わってこその感動がある。百聞は一見にしかず、正月明けで話題作が飽和しつつある中、どうか本作も鑑賞候補に入れてほしい。そして観終わった後、「青春も延長できたらいいのに」という秀逸なキャッチコピーを噛み締めて、『紅』を聴いてほしい。

 あと本音を言うのなら、続編の『ファミレス行こ。』も同じキャストで、設定通りに4年後映画化してくれ……。そのためにもみんな、映画館に行ってくれ……。

この記事が参加している募集

映画感想文

いただいたサポートは全てエンタメ投資に使わせていただいております。