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あの日ギターが弾けなかった私から、何にでもなれたかもしれないキミへ。

 「スワップアウト((Remix))って、ムーくんが弾けるギターの音から始まるんですよ」とフォロワーが言った。それ以来、この曲を聴くのは、なんだか覚悟がいる。

※以下、『カリギュラ2』のネタバレが含まれます。

 そのギターの音色は、かつてバンドマンを目指して努力し、しかし大きな夢へと踏み込むことが出来なかった男が、帰宅部と対峙して自らの全てをさらけ出す時に流れるのだから、こんなに切ないイントロもないな、とも思ってしまう。おまけに歌いだしが「カリモノ satisfaction」とくれば、殺意が高すぎて平常心で聴いてなどいられない。

 ムーくん、いや、家永むつをという人は、ゲームのキャラクターという枠を超えて私の心を大きく揺さぶり、動揺させた。彼の記憶の残滓に触れた時、表示されたプロフィールには「25歳」「会社員」「後悔:リスクを避け、平凡な人生を送ったこと」と書いてあって、思わずswitchのコントローラーを投げ出しそうになった。この時感じたむず痒さは、吟が感じたものとはまた別の種類のもので、端的に言えば「憎たらしい」と思ってしまったのである。

 だって、25歳だ。もう「アラサー」の言葉で逃げ切れなくなってしまう私からすれば、その若さは無敵に近い。転職の選択肢だってまだまだ多いはずだし、体力もあるから勉強して職種を変えたっていいだろう。あるいは、インターネットで自己表現の場を模索したっていい。ギターが弾けるようになるくらいまでは、努力する才能と根性があるんだから。きっとお前は私なんかより「できる」奴なんだから。

 と、私は家永に向かって「私が最も他人から言われたくない一言」を投げかけていることに、気づいてしまった。若いんだから、努力すればいい、諦めなきゃなんだってできる……。そうしたポジティブで前向きな言葉が、一番人の心を追い詰めることを、私自身が知っている。そしてきっと、家永もそうした綺麗事に疲れ果ててしまったのだと思う。夢を持つことは呪いと同じであり、叶わない限り呪われっぱなしなら、彼の心は後悔で真っ黒だろうから。

 宇宙飛行士になりたかった。芸術家になりたかった。バンドマンになりたかった。音楽づくりで自分の才能を知らしめたかった。若さゆえの万能感や初期衝動に突き動かされ、努力と経験を積み重ねてきた。でも、常に上には上がいて、思うようにいかなくて、リスクを取るのは恐ろしかった。一つを諦めて、また一つ挫折を重ねて、今はしがない会社員。何者にもなれなかった後悔だけを噛みしめながら生きる毎日は、さぞ辛かっただろう。そんな彼に向かって、「仮想世界に耽溺するなんてダメだよ」「現実で生きようよ」と投げかけるのはひどく残酷で、思わずためらってしまう。

 アーティストで、作曲家で、リドゥを守る楽士。その全能感を剥ぎ取って「家永むつを」に戻すことが、果たして本当に正しかったのだろうか。メインストーリーをクリアした者だけが到達できる記憶の残滓を読んで、過ぎ去った達成感に少し影が差す。なんて意地悪で、優しいゲームなんだろうと思った。







 で、ここからは愛すべき家永くんのために、自分語りをしたいと思う。

 私は、とにかく不器用な子どもだった。折り紙を周りのみんなと同じように折れない、紙をまっすぐに切れない、ボールを上手く投げられない。みんなが当たり前のようにできることは、私にとっては「できないこと」でしかないと気付くのは、思いのほか早かった。みんなの足を引っ張るからチームスポーツは苦手だったし、合唱は自分の声が悪目立ちしないか心配で歌うフリをしていた。年を取るたび周りは成長して、私は「できないこと」が増えていく。

 中学生の時、音楽の授業でギターを習う時間があった。ギターを買ったらまず最初に覚えるであろう簡単なコードを実際にやってみて、それが弾けるようになれば点数が貰えるような、簡単なカリキュラムだったと思う。

 で、私はクラスでたった一人、そのテストに合格できなかった。指定された場所に指を置いて、弦を弾く。文章にすればなんてことない動作を、私は実行できなかった。クラスでたった一人、私は「ギターすら弾けない」落ちこぼれになって、いつだって優しかった音楽の先生も困り果てていた。映画で観た格好いいミュージシャンに憧れ、楽器が弾けるようになりたいなとボンヤリ思っていた少年のささやかで小さな夢は、あの日の教室でひっそりと終わったのだ。

 それから年をとって、身体だけが大きくなっていって、いつの間にか大学生になって。そして卒業式を終え級友たちが卒業旅行に出かけている間、私はまだリクルートスーツを着ていた。卒業時点で進路が決まっていなかったのは、ゼミの中でも私一人だけだった。

 応募社数を途中から数えるのを止め、履歴書とエントリーシートを見るたびに吐き気を催し、就活の話題に触れないよう気遣う母親の顔が見られなくなって。不採用の連絡を受ける度、自分は「いらない人間」なんだと思うようになって、このまま電車に飛び込めば楽になれるかも、なんて考えたこともあった。

 その後はとある会社に拾ってもらえて、辛うじて社会人を名乗らせてもらっている。その経緯もいわゆる正攻法ではなくて、脛は傷だらけである。私は結局「平凡」にすらなれなくて、「普通」のルートで大人になることもできないまま、周囲の大人の真似事をして日々をやり過ごしている。周りと比較すれば、私はなんてちっぽけで欠陥だらけの人間なんだと、時々逃げ出したくなってしまう。私はたぶん、リドゥに迷いなく行ってしまうだろう。

 そんな私だから、もし家永が隣にいたとすれば、きっと彼を「眩しい」と思うだろう。だって君はギターが弾けるじゃないか。保険のためとはいえプログラミングを習得し、その能力を社会に必要とされてるじゃないか。自分で自分の居場所を確保して、そこで呼吸できるだけの力を、自分で身につけられているじゃないか。

 あぁ、やっぱり私は、私が出来なかったことが全部できてしまうキミのことを、ずっと羨むだろう。もちろん、キミが私の羨望なんかでちっとも心が満たされないことも知っている。優越感で悩みが解消されるなんてことは人生においてほとんどなくて、結局苦しむのはキミ自身だってことも、痛いほどわかっている。それでも、私はキミが羨ましい。何かになれるかもしれない可能性を持っていたはずの家永むつをが、どうしようもなく羨ましい。

 そんな真人間になれなかった輩の戯言だけど、まぁ今回は私の方が年上なので、最後に偉そうなことを言わせてほしい。散々聞き飽きた綺麗事だろうけれど、どうしてもこれだけは伝えておきたいから。





家永へ

あなたが「平凡」だと嫌うあなたのことを、愛してあげてください。

臆病者だと蔑んだ自分のことを、許してあげてください。

悔しくて、腹が立って、惨めで、泣きたくなったこれまでの全てが、無駄なんかじゃなかったと思える日が来ますように。

あなたが少しでも現実世界で生きやすくなるよう、
画面の向こうから祈っています。

あの日、ギターすら弾けなかった私より










 こんな言葉で、少しでも心が楽になれば、いいのだけれど。

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