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“変わらないモノ”は、作者の思想だった。『シン・仮面ライダー』

 まずは感謝、感謝の話をしたいと思う。

 長きに渡り新作が作られず、IPとしてはかなり苦しい状況にあったゴジラの認知度を浮上させるどころか、これまでの作品なら考えられもしなかった大ヒットで日本アカデミー作品賞という栄誉を打ち立てた『シン・ゴジラ』、14歳で出会ったために一生を狂わされることになったエヴァに、創造主自らケリをつけて子どもたちを送り出す『シン・エヴァンゲリオン劇場版』、空想特撮の趣と真髄をやや暴走気味に詰め込んだ『シン・ウルトラマン』。自分の人生を語る上で外せない、愛すべきコンテンツたちが「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」なる屋号で、同じ制作陣によって数年おきに新作が繰り出され、世間を巻き込んでのムーブメントを起こす。10年前の自分では想像さえしなかったようなことが、現実になっている。本当に、幸せな数年間だった。まだこの狂乱に、浸かっていたいのだ。

 そうしたクロスオーバーの最新作にして、一区切りとなるであろう『シン・仮面ライダー』を観た。エンドロールの最後に流れる「脚本・監督 庵野秀明」の文字に、声に出さずしてありがとうと呟く。庵野さんだけでなく、これまでの一連の作品に関わられた全ての人に、ありがとうございましたと伝えたい。夢のような時間をくださって、本当に、本当にありがとう。まさか、ウルトラマンや仮面ライダーの映画がIMAXとかドルビーシネマみたいなラージフォーマットで上映されて、初週が満席続出になるなんて、本当にありえなかったことなのだ。そして、こんな奇跡は今後二度と起きないかもしれない。その瞬間に立ち会えたことは、後世に誇れるだろう。

 それはそれとして、なのだ。『シン・仮面ライダー』、どうなのだろう。まだ一度しか観ておらず、パンフレットも読まずして極めて個人的な所感を語るのなら、「困惑」が正しいのかもしれない。観たかったものも、作り手のフェチも、原典への迸る愛も、過積載なほどに詰まっている。情報量もサプライズも特盛りで、語りの切り口の多さならトップクラスだろう。ただ、そこに素直に「酔えていない」自分がいる。なぜなのだろう。

※以下、『シン・仮面ライダー』の
ネタバレを含みます。
※3月20日付 一部内容を修正及びお詫びとして
別のnoteを投稿しております。
併せてお読みいただけますと幸いです。

 なんとかしてそれを紐解いていくと、本作で描かれた出来事に対しての「納得」と、相反するようだが「期待外れ」が同居しているという、未だかつて経験したことない読後感に襲われている、ということになる。なので、その前提となる事前の期待値の話をさせてほしい。

 公式アプリが配信され、劇場をジャックするなどして存在感をアピールし続けた、悪の組織SHOCKER。本作では彼らを「Sustainable Hapiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling(持続可能な幸福を目指す愛の秘密結社)」と定義づけた。世界征服を企む秘密結社が、子供たちが乗るバスを占拠する、なんてのはよく子供向け番組としての『仮面ライダー』を揶揄する際に用いられた例えだが、そうしたジャンルゆえの緩さを廃し大人向けに引き上げるために、我らがショッカーは人類の幸福を志向する組織へと変貌した。

 その手段として用いられたのがご存知人体改造になるわけだが、脆弱な肉体を捨て老いや病から開放されるという思想はトランスヒューマニズム(人間超越主義)の理念を思わせるものがあるし、現に我々は今でも疫病に苦しめられ続けている。そうした、映画の外側にある現実に後ろ盾を得ることができ、人類の最大幸福のために生まれたままの姿を捨て進化しよう!と語りかけるのがシン・ショッカーだとしたら、かつての名作を現代向けにコンバートする上で適した再解釈になるのでは?という期待を抱いていたのだ。

 ところが、作中の描写だけを拾っていくと、今回のショッカーはどうにも崇高な使命によって人類を幸福に導くぞ!という気骨を感じない。ハチオーグは「洗脳」によって人々を従わせているし、緑川イチローの思想はまんま「人類補完計画」である。肉体を捨てた魂だけの世界、意識が溶け合い齟齬もなく理解しあえる理想郷……。実写映画なのにどうしても香ってくるLCLの気配、浜辺美波に綾波レイの面影が重なってきて、この映画にも強く刻印された【庵野秀明】の作風に、実家のような安心感と、またか、という気持ちが同時に湧いてくるのを抑えられなかった。

 作家性。それを構成するモノとは、その当人にとっては根強い問題意識だったり、生涯向き合っていくと意識している考え方やトラウマだったりが反映されている、ということなのかもしれない。庵野秀明というクリエイターがどういう来歴を辿ってきたかも、オタクにとっては今更の話だ。本人自ら「壊れた」「鬱状態」とコメントした上で、周囲の方々との繋がりによって立ち直ったことを表明したり、『シン・エヴァ』におけるセラピー的要素を多分に含む第3村パートなど、氏の作品はいつだって自己言及的で、体験に基づいている。

 故に、本作で提示される人類の幸福への条件が「身体を捨て魂を同化させる」という方向に落ち着くのも、自明の理なのだ。さらに、緑川イチローの父である緑川弘は妻の再生に固執する(前日譚漫画参照)という意味で碇ゲンドウの再演とも言えるし、イチローはそんな父への愛憎入り交じる感情を滲ませつつ、本人にもゲンドウのDNAを感じずにはいられない。死者に執着する者が立ちはだかる物語という切り取り方をすれば、『シン・仮面ライダー』は実にエヴァンゲリオンと近いカタチをとってしまう。

 それが一概に悪いこととも言い難い。ラーメン屋に入ってラーメンが出てきても怒る客がいないように、庵野秀明のフィルムを観て氏の作品の連続性を味わったり、それこそ“変わらないモノ”を楽しむことは、他の映画作家にも同じ側面がある。しかし、現代向けかつ大人向けの作品としての新しい悪の組織像を願って座席に座るも、やはりいつもの「ヤマアラシのジレンマ」の話をしはじめたとき、事前の期待値が泡となって消えていくのを感じてしまった。全然シン(新)じゃないし、そもそもシンジくんやミサトさんが必死に補完を否定したのに……。

 ところで、石ノ森章太郎先生の漫画版(原作、ではないのだ)におけるオチは、今なら背筋が凍るものであることは、特撮ファンには釈迦に説法だろう。その結末とは、悪の組織に見えたショッカーは日本政府とも強い繋がりを持ち、国民を番号で管理しようとする国策を乗っ取ることを世界征服の手段として計画していた、というもの。マイナンバー制度がすでに稼働しており、保険証を廃止して一本化しようとする流れが進行しつつある今、石ノ森先生の警鐘はまったく他人事ではなくなってしまった。むしろ、こちらの方が現代向けになってしまっている皮肉については、作り手も(脚本の制作時期を考えたら)想定外だったかもしれない。

【お詫び】
こちらの文章について、映画に対する内容の誤読、
及び間違った情報が含まれていると判断し、
2023年3月20日に内容を修正し、追加のnoteを投稿いたしました。
すでにお読みいただいた方にはお詫び申し上げます。

筆者注

 そして、やり遂げなければならないタスクが多いのも『シン・ウルトラマン』同様なのだ。本郷の異形への苦悩にルリ子とのバディ、一文字との対決から和解&ダブルライダー結成、そこから間髪入れずにショッカーライダー戦とラスボス戦に移行するため、展開が忙しない。本郷とルリ子の関係性、ダブルライダーの友情といった大事な要素ですら描きこみ不足を感じるほどに駆け足にならざるを得ず、イチローの動機については漫画版に投げやってしまっているのも映画単体の完成度を損なっていないかと不安になってしまう。コミカライズまで予習して映画に駆けつけるような奴は、その実「少数派」なのだ。そうした事前知識も入れずフラットに楽しめる度量を持つ『シン・ゴジラ』とは正反対の作りになっている本作は、"世間”を巻き込めるか否か、戦々恐々である。

 ただ、そうした問題点についても、庵野秀明を始めとするクリエイター陣がそれに気づかなかったなどとは考えにくい。原典から何を換骨奪胎するかにおいては並々ならぬ嗅覚を働かせた『シン・ウルトラマン』同様に、石ノ森版とTVシリーズからエッセンスを抽出し(藤岡弘、の脚の怪我→2号ライダー誕生を物語として織り込むなんて!!)2時間の映画にパッケージングしたはいいものの、バランスを取るために何かを希釈するとか、怪奇色や特撮の味を薄めるなどといったことは、出来るわけがなかったのだ。何せ原典だからだ、庵野少年にとっての。故に映画としてのバランスを崩してでも、完成品を押し通すしかなかった。

 その一方で、『シン』ならではの味付けだって、ちゃんと刻まれている。マスクやスーツに対する解釈もそうだが、思いもよらぬ変形機構を見せてくれたサイクロン号は本作の白眉に数えられるし、本郷がルリ子の願いを叶える形で肉体は消失しつつ、漫画版のオチに持っていく流れが美しくてそのためにこの映画があると言ってもいいほどに男泣きを誘う。あと、ハチオーグとルリ子の百合模様とか、浜辺美波さんの存在感と眼力の格好良さとか、柄本くんの令和版一文字隼人が良いキャラしてるとか、美味しい出汁がとにかく数秒おきに沸き立ってくるのも事実なのだ。

 そうした作り手の煮えたぎる愛に焼かれ、翻弄され、時にそのディープさに爆笑しつつ、しかしその根底にあるサービス精神のようなものに拍手と感謝を捧げる。これは一方的な片思いだがシン・ユニバースとはそういう付き合い方をしてきたし、今後はそういう楽しみがないのかと思うと、寂しくもなるのだ。今は『シン・仮面ライダー』に通いつつ、また新しい夢に出会える奇跡を心の底で密かに待ちわびる生活をしようと思う。

 ゴメンやっぱり最後にこれだけ言わせて。対ショッカーライダー戦、暗すぎ!!!!!!!!!

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