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誰だって”親愛なる隣人”になれる。『スパイダーマン:スパイダーバース』

 2019年はスパイダーマン・イヤーだ。『スパイダーマン: スパイダーバース』『アベンジャーズ/エンドゲーム』『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』と、年に3回もスパイディが飛び回る姿を劇場で観ることが出来る。さすがはアメコミ映画ブームの火付け役にして、最も有名なNYのアイコン、堂々たる貫録だ。そんな記念すべき一年の嚆矢たる本作がいきなりの大傑作だったので、正直困惑している。

ニューヨーク・ブルックリンに住む中学生のマイルス・モラレスは、転校先の学校に馴染めず、スプレーアートに自分の鬱屈をぶつけていた。そんな彼は遺伝子クモに噛まれたことで、スパイダーマンの能力に目覚める。その超能力を上手くコントロール出来ず悪戦苦闘する中、何者かによって時空が歪められ、先代スパイダーマン=ピーター・パーカーの死を目撃してしまう。悲しみに暮れるNYだが、時空の歪みによって別時空のピーターや様々なスパイダーマンたちがマイルスの世界に集結。彼らを元の世界に帰すため、そして真のヒーローになるため、マイルスの闘いが始まる。

 長きに渡り愛され映像化の機会も多かったスパイダーマンだが、意外なことにアニメ映画は今作が初であり、歴代スパイダーマンが集結する夢のクロスオーバーコミック『スパイダーバース』が原作である。3Dアニメ史上に残るあの大傑作『LEGOムービー』(全人類観てほしい)のフィル・ロード&クリストファー・ミラーが製作を担当(フィルは脚本も担当)しており、ソニー・ピクチャーズ アニメーションの本気度が窺える一本だ。

 本作でまず目を惹くのがその映像表現で、CGアニメなのに紙面の質感を意識してしまうほどに、本作は「動くアメコミ」なのだ。過剰なまでに色鮮やかでポップな世界観に、コミック独特の四角い吹き出しや擬音表現などが乗った映像を観ると、ページを目で追っていくあの読書感を彷彿とさせる。情報量がとにかく多く、雪崩のように次々とユニークな映像表現が飛び込んできて、観る者を飽きさせない。また、別々の時空=原作のスパイダーマンが一つの世界に集結する構造ゆえ、絵柄が全く異なるスパイディが同じ世界で共存することで生じる視覚的なクロスオーバーもカオスで楽しい。

 キングピンの野望によって、マイルスの世界に飛ばされた5人(+1体)のスパイダーマンたち。優雅に闘うスパイダー・グウェンに、モノクロの世界に生きるハードボイルドなスパイダーマン・ノワール、3145 年のニューヨークからやってきた女学生ペニー・パーカーとロボットの SP//dr:、しゃべる豚のスパイダーマン、スパイダー・ハム。そしてご存じピーター・パーカー。彼らに導かれ成長するマイルスの物語は、ヒーロー誕生譚として軽快に、時にシリアスに進行していく。

 「大いなる力には、大いなる責任が伴う」というあの有名なフレーズに倣うように、マイルスは突然の身体の変化に戸惑いながらも、万能感を得ていく。その様子は、サム・ライミ版が強調した思春期のメタファーとしての超能力の描き方を彷彿とさせる。そして悪と対峙した時、己の力の在り方に戸惑い、大きな喪失に直面する。マイルスは歴代のスパイダーマンの歴史に沿う形で、自分がヒーローになるか否か、”信じて跳ぶ”かどうかを迫られる。

 そんな彼に寄り添う形で、ヒーロー業への熱を失いかけていた中年のピーター・パーカーにも、熱いものが甦る。闘いの中で確立されていく友情と信頼のドラマ、「すでにヒーローだった男」ピーターと「これからヒーローになる男」マイルスの師弟の在り方が、感動的なクライマックスに直結していく。

 また、本作の主人公がマイルスだったことのメタ的な意義は大きい。アートに興味があり、進学校に馴染もうとする、ごく普通の黒人少年。その等身大なキャラクターを大人からみた微笑ましさ、子どもにとっての身近さは、大きな共感を呼ぶ。それに、『ブラックパンサー』『ワンダーウーマン』の大ヒットが示した通り、今やヒーロー映画は白人男性だけのものではない。人種や性別にとらわれないヒーロー像を、世界が求めている。そうした潮流に敏感な映画界で、本作が大歓迎で受け入れられるのは必然だ。ピーター・パーカーじゃないスパイダーマンだって、スクリーンの主役を飾れるという偉業を果たした本作は、世界中の人を勇気づけるに違いない。誰だってヒーローになれることを、あのスタン・リーが喜んでくれているのだから。


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