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神の子だって、自分探しをする。『エターナルズ』

なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!

 かのアンパンさんの仰る通り、超人的な力を持つヒーローも、この世に生を受けたからにはその意味を模索し、苦悩する、一人の個人である。誰かを愛し、裏切られて傷つき、自分の行いに後悔する。完全無欠な人間などいないように、ヒーローだって完璧ではないのだ。たとえそれが、宇宙の理に関わる存在の創造物であっても、だ。

 親愛なる隣人がヒーロー業と私生活との両立に苦労する『スパイダーマン2』は、幼い頃の自分には衝撃的だった。仮面ライダーやスーパー戦隊のドラマを十二分に理解できているとは言い難い年頃の児童が、ヒーローが正義を行使することを「辛い」と吐露する瞬間を初めて目撃したのは、確かこの作品だったはず。それ以来私にとって、TVや銀幕で思わず拍手を送りたくなるような英雄たちも、自分と同じ人間なんだという価値観が生まれた。ヒーローも悩み、限界にぶち当たり、選択する。自らの生き方に疑問を抱き、葛藤する姿を見て、「深み」を感じられるようになったのだ。

 本作に登場するエターナルズとは、宇宙創成期より存在する「セレスティアルズ」によって創られ、捕食者「ディヴィアンツ」から人類を守り、その進化を見守る任務を与えられた者たちの総称である。彼らは超人的な能力を持ち、闘う力と卓越した知識を兼ね備え、人類史における文明の進歩を手助けする。本編中の描写やエンドロールから察するに、ギリシャ神話やバビロニア、仏教に至るまでがエターナルズによる伝承と発展によって生まれたものらしく、人類全体の文明の祖と呼べるほどに偉大なヒーローなのだ。

 彼らはセレスティアルズからの任務に忠実であり、ディヴィアンツと死闘を繰り広げ、一度は絶滅させている。そこで彼らの使命は終わったはずなのだが、故郷への帰投命令はいつまで待っても降りてこない。従って彼らは“永遠の生”ゆえに年を重ねることなく、創造された時の容姿と年齢のまま、人間社会に溶け込んでいる。その意味で、本編開始時の彼らの多くは「生きる意味」を見失った状態とも呼べる。戦うべき敵もいなければ、創造主からの新たな指令もない。であるのなら、それぞれがそれぞれの場所で生きて行くしかない。その過程で彼らは「人間」という種族を知り、自身もまた人間“らしく”生きて行く道を歩んでいく。

 そうした土台を観客に植え付けた上で本作が実に意地悪なのが、「創造主の思想が自分の心と反していたら?」という問いを突き付ける点である。セレスティアルズにとっては地球の生命も別のセレスティアルズを誕生させるための贄でしかなく、しかもそれは宇宙を存続させる意味では善であり、ディヴィアンツ討伐も親の失態の尻ぬぐいみたいなものだ。さらに彼らの記憶は貯蓄され、リセットを繰り返し、複製も可能らしいと示唆されている。自分の人生を自分で決められず、与えられたアイデンティティも身ぐるみ剝がされる。愛を知ってしまったが故に、彼らにとって真実は耐えがたく、ある者はそれでも忠実であろうとし、ある者は「人間」としての今の生を奪われることに恐怖する。エターナルズの置かれた状況は深刻で、アベンジャーズが「正義とは何か」を語り、時に分裂したのに対し、彼らは「なぜ生きるのか」という根底が揺らぐような一大事に直面してしまうのだ。

 そして追い打ちをかけるかのように、彼らには「人類は守るに値するのか」という問いも同時に与えられてしまう。ディヴィアンツからその命を守っても、人類は勝手に殺し合いを始めてしまう。人類史はいつだって血に染まっており、かつては剣で、やがては原子爆弾で、同族たちを殺す。そんな行いを繰り返す種は、果たして真っ当と言えるのか。自分の人生と尊厳をかけてまで、生みの親を裏切ってまで、守る価値があるのだろうか??

 この問いに対して、万人が納得する答えは存在しないだろう。人間という生き物は実に愚かで、接客業でもしていれば嫌と言う程に人間の醜さに直面することになる。一方で、人間は他者を愛し、慈しむことも出来る。誰から受け取った愛が、生きる意味になることもある。

 だからこそ、この映画では「人類を守ることがエターナルズ全員一致の総意ではない」ことをたっぷり長尺をかけて描くことに、意味がある。たとえ神の意志に従う人形だったとしても、彼らは一度解散しそれぞれの人生を数千年に渡って生きた、尊重されるべき個人であることには変わりない。愛する人を守るために闘う者、使命を全うしようとする者。誰もが自分の心のままに選択し、映画はそれを善悪として裁くことは無い。与えられたアイデンティティを奪われ、それでも残った「意思」を尊重するクロエ・ジャオ監督の目線は、神の子エターナルズを等身大の人間として描く気概に満ち溢れている。ヒーローチームとして宣伝されていた「エターナルズ」は実のところただの種族名でしかなく、メインは一人一人の重んじる正義のぶつかり合いであり、各々の信念を守らんとする心の対話である。

 生きる意味を一度は見失い、そこから今一度自己を見つめ直し、自分の人生のレールを自分で敷き直す。お恥ずかしながら未見なのだが、クロエ・ジャオ監督の過去作から連続して描かれているテーマだと有識者から伺っており、MCUという「世界で最も成功したユニバースもの」でありながら作家性を捻じ曲げることなくアメコミヒーローものとしての外連味と融合させる手腕恐るべきだし、一方で「個別の世界観を持つヒーローがアッセンブルする」時代から「多種多様なジャンルが一つのユニバースの中で同居する」フェイズへと移行したMCUの豊かさを象徴する一本でもある。というか、このクオリティーをキープするマーベル・スタジオ、改めて化け物すぎる、という言葉に尽きる。


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