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10年ぶりの『仮面ライダー鎧武』Reステージ(3):欲望と裏切り渦巻くこの世界で。

 寝ても覚めても『鎧武』、労働中もずっと頭の中では「E-X-A (Exciting×Attitude)」が流れている。我ながら、とてつもないハマリ方をしてしまった。世は令和なのに、頭の中はまだ平成、どんなミラクルも起き放題 ユニバース・フェスティバル (Party P.A.R.T.Y)♪である。

 果実でパーティと言えば、フルーツバスケット。今回どこを区切りとするか迷ったけれど、24話から36話までを3クール目として、極アームズへの初変身と呉島兄弟のゴタゴタを境に栞を挟むことにしてみよう。キカイダー?サッカー?なんのことです?

 紘汰がカチドキロックシードを手に入れ、スカラーシステムを破壊した2クール目終盤において、「道具を使うインベス」の存在が示唆されていた。単独行動を取る戒斗はそのインベスを探すためずっと森にいて、貴虎を除くゲネシス組三名の目的成就のためにも、その存在が不可欠らしい。

 その名は、オーバーロード。高い知性を有し意思疎通が可能、かつヘルヘイムの植物を戦闘時に自由に操るという特性から、紘汰や貴虎にとっては地球滅亡を食い止める希望として期待され、接触を試みる。ところが、そこには縋るべき救いなどはなかった。オーバーロードとはヘルヘイムの森と化した世界に元いたフェムシンムなる種族が、ヘルヘイムの環境下に順応する形で進化した生命体であり、その実態はヘルヘイムの長などでもなく、森の浸食は彼らの意志ではない、というもの。さらには、フェムシンムは弱者を淘汰し強き者だけが生き残るという思想の下に殺し合いを繰り返し、それでも生き残った少数こそが今のオーバーロード、という事実だった。

 オーバーロードが絶滅に至ったのは、強き者が弱き者の命を選別するという傲慢さによる自滅が原因だった。選民思想と、それが行き過ぎた結果の同族殺しと自滅の歴史。これはプロジェクトアークの行く末を予感させるものであり、人類救済を掲げプロジェクトを進めてきた「呉島主任」にとっては、あまりに残酷な真実だ。しかもそれを仲間(だと思っていた人々)に裏切られ、弟にも切り捨てられた上で、交渉による侵略の差し止めへの希望も潰えるという、かなり過酷な状況に追い込まれている。まるで、かつての紘汰のように。

 文明への侵略という種の存続を揺るがす問題を前に、フェムシンムは手を取り合うことは出来ず、そして人類もまたその過程を踏襲しようとしている。オーバーロードの情報を貴虎に秘匿し、勝馬に乗ろうと他者を出し抜こうとするゲネシス組や、沢芽市の管理を巡って口論するユグドラシルの各国の代表たちの姿は、滑稽で愚かしい。3年前の『仮面ライダーオーズ』が欲望を生きる原動力として肯定したばかりなのに、一歩間違えれば種の滅亡を促すものであると描写したのは、かなり刺激的。

 全人類を救うことは到底難しく、ヘルヘイムの侵食を止める手立ては未だ見つからない。そんな状況下でも諦めない紘汰を前に、闇討ちを受けて崖から落下するも生存した貴虎は希望を抱き、友情を実らせる。

 呉島貴虎、ヘルヘイムの浸食を「理由のない悪意」と詩的に表現する一方、自分に向けられた悪意には刃が身体に刺さるまで気づかない、あまりに潔白な心の持ち主。思えば、貴虎がサガラの配信を見ていたり、シドに渡された戦極ドライバーの配布者リストに目を通していれば、こんなことにはならなかった。光実を想うあまり、自分が敷いたレールの上を歩くよう無意識に縛り、気づかぬ内に大切なものを壊してしまう。呉島兄弟は、不器用さという意味では似た者同士だ。彼の本当の罪は、10億を救うために60億を切り捨てることではなく、目の前の弟に真の意味で向き合っていないことだった。

 一方の光実は、世界が思い通りにならない苛立ちで頭がいっぱいである。サガラに唆された紘汰は、世界のルールを壊す力を手に入れた。その力で、現実的には成し遂げられない野望を掲げインベスやオーバーロードと闘う紘汰は、ルールに縛られた光実にとっては障害にしかならない。それなのに、紘汰は裕也の死の真相を舞に打ち明け、世界の残酷さに晒してしまった。光実は声を荒げて、紘汰を批判する。その際の舞のビンタが、光実を決定的に変えてしまう。

 光実の欲望。それは、居心地のいい自分の居場所を、自分で作り上げること。舞がいて、舞が淋しくないようにチーム鎧武の仲間がいて、希望を撒き散らす病原菌紘汰さんがいない世界。彼はまるで自分が神になったかのように、救うべき命を身勝手な都合で選別する覚悟を決めた。それが彼の方舟アークであり、成すべきことなのだ。

 そのためなら、邪魔なものを自ら排除することも厭わなくなった光実。兄から奪ったゲネシスドライバーで斬月・真に変身し、紘汰から希望を奪うように振る舞い、その背中を撃ったことさえもある、卑怯な戦士への変貌。無垢な笑顔を見せてくれていた、あの頃へはもう、戻れない。実の兄をも手にかけた光実には、帰れる場所など、残されてはいないのだ。

 子どもVS大人の構図が敷かれていた前クールにオーバーロードが参入したことで、事態はより混乱を極めていく。破壊、あるいは支配を目的に地球に侵略してくるオーバーロードと、「黄金の果実」を求めバラバラに散っていく大人たち。子どもたちは目先の問題(民衆をインベスから守る)に雁字搦めになりながらも、突破口を模索して抗う。

「お前は世界を救いたい。その力はオーバーロードだけが持っている。
 だったら答えは1つだ。お前がオーバーロードになればいいんだよ」
「森の試練を乗り越えて、黄金の果実を勝ち取る。
 ただ1人だけの支配者となり君臨する。
 その時、お前は全ての世界を制するんだ。
 救うも滅ぼすも、お前の好きにすればいい」
「どう転ぶか分からない奴に、一番大きな力を預けたいだけだ。
 お前というジョーカーが、このゲームを
 ますますスリリングに盛り上げてくれるだろう」

第32話『最強の力!極アームズ!』

 進む道を悩む紘汰に、またしても果実の誘惑をちらつかせるサガラ。彼はいつだって、壁を乗り越える力を紘汰に提示してきた。それは優しい救いでもあるが、同時に一歩ずつ何かを踏み外している瞬間でもある。

 オーバーロードを制するのなら、自分がオーバーロードになればいい。これに近い思想を、同じく虚淵玄が書く物語で観たことがある。2018年のアニメ版ゴジラ三部作の第2章『GODZILLA 決戦機動増殖都市』においてだ。

 人智を超えた最強生物・ゴジラ。そのゴジラを倒したいというのなら、こちらがゴジラになればいい。あるいは、人間を超越せずして神に刃を向けるとはおこがましいとは思わんのかね、だろうか。とある画期的な概念によってメカゴジラの在り方を大きく改変したこの作品では、このような問いが主人公に向けられる。人を捨てるか、人のまま抗うか。そうした哲学的なテーマを内包した異色のゴジラ作品は、当時かなりの毀誉褒貶に晒されていたことを今でも覚えている。

 公開順こそ前後したが、まさしくこれなのだ。オーバーロードをどうにかしたいのなら、自分も同じ壇上に上がるべきなんじゃないかと、サガラはそう語りかけている。彼は、紘汰の覚悟を問いているのだろう。極限環境に適応した、自分たちよりも強く賢い存在に対し、人を捨ててでも一矢報いたいのか。今のルールを破壊するために、人間という枠組みを捨てられるのか。サガラは、決して甘いだけではない果実を餌に、葛葉紘汰という一人の人間がどこまで「変身」できるのかを、その目で確かめたいのだ。

 何かを犠牲にせずして、欲しいものは得られない。世界そのものやそこに通底するルールが稼働するための「コスト」にまつわる共通した意識を『魔法少女まどか☆マギカ』『PSYCHO-PASS』からも感じたが、本作ではその矛先は葛葉紘汰ただ一人に向いている。極ロックシードは、黄金の果実の力そのもの。つまりは、人間が持つには重たすぎる、過ぎた力といえる。その代償が何をもたらすのかは、この物語を終局へと導くエンジンとなる。

 裏切りと欺きを繰り返し、人類はバラバラになっていく。その行く末を暗示するオーバーロードは、無慈悲な侵略を差し向けてくる。世界の終わりが近づく中、予算や映像が微妙に追いつかなかった気がしないでもないが、「いつものニチアサとは違う」何か恐ろしい雰囲気を確かに感じさせてくれた第3クール。葛葉紘汰が人を辞め、呉島光実が人の道を踏み外す。そんな中、自分が信ずる強さのためなら一歩もブレない駆紋戒斗。

 大人たちに嗤われ、実験動物として扱われてきた子どもたちの物語も、いよいよラストスパート。結果を知っていようとも、再生ボタンを押す手は止められない。あとは行ける所まで、果汁一滴も残さぬ覚悟で、臨んでいきたい。

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