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神を超えるのなら、人を捨てよ。『GODZILLA 決戦機動増殖都市』

【これまでのあらすじ】
20世紀末、突如出現した巨大生物「怪獣」との闘いに明け暮れる人類は、他の怪獣を駆逐する最強の怪獣「ゴジラ」に敗れ、地球を捨て他星移住計画を実施。しかし生存環境に適した惑星を見つけられなかった人類は地球への帰還を決意するも、2万年の月日を経た地球は、ゴジラを頂点とする生態系が築かれた未知の惑星であった。
ゴジラによって両親を奪われたハルオ・サカキ大尉率いる一団は、地球で生き延びていたゴジラと遭遇。多大な犠牲を払いながらも、ハルオが立てた作戦により、これを討伐する。地球奪還の希望が見え始めたその瞬間、300Mを超える超巨大な個体が出現。2万年もの間成長を続けていた破壊の王、ゴジラ・アースの圧倒的な力に、ハルオたち生存者は未開の地で散り散りになってしまう。

 国内では初となるアニメーション映画としてのゴジラ。その三部作の第二章たる本作にてファンの期待を煽るのは、やはり「メカゴジラ」の登場にあることは間違いない。スピルバーグ監督最新作『レディ・プレイヤー1』に出演しそれが同時期に公開されているという状況下で、「決戦機動増殖都市」なる仰々しいタイトルを引っ提げついにゴジラと激闘を繰り広げる。これに心が躍らない怪獣・特撮ファンなどそう多くはないだろう。

 同時に、その「メカゴジラ」こそが本作の評価を分ける重大な要素であったことは、鑑賞後の今になってしみじみ思う。脚本の虚淵玄氏が考案した本作のメカゴジラは、事前の想像を遥かに超える形でスクリーンに姿を現した。3DCGアニメという土俵を得て、実写映画では不可能なスケールと設定で生まれ変わったその姿は、もはや「怪獣」と呼ぶにはギリギリの一線で踏みとどまるかの如く挑戦的であり、これを許容する東宝の度胸にも驚く他ない。とはいえ、「怪獣映画」を観に来た観客にとっては、許し難い気持ちが芽生えたとしても、それを否定することも出来ない。アニメならではの表現で描く『ゴジラ』とは、必然これまでのゴジラ映画とは全く別次元のものになってしまう。

 最強の対ゴジラ兵器メカゴジラと、それを巡る異種族間の葛藤。地球人類の対ゴジラ部隊を預かることになった主人公ハルオが迫られる選択。そしてそれら全てを飲み込まんとする破壊の王ゴジラ・アースの存在感。映像・音響の迫力はもちろんのこと、ドラマパートにおいても虚淵テイスト濃厚で退廃的な雰囲気は健在。そしてネタバレは絶対厳禁。アニゴジが目指す新・ゴジラ像を決定づける渾身の第二章の賛否の行方は、ぜひご自身の目でお確かめいただきたい。

以下、本作『決戦機動増殖都市』並びに前日譚小説のネタバレを含みます。鑑賞/読了済みでない方はお気を付け下さい。

 上述の通り、本作の評価の分水嶺の一つは間違いなくメカゴジラそのものである。ゴジラの襲撃を前に起動せず、地球に放棄されていたメカゴジラ。その材料となる自律思考金属ナノメタルはメカゴジラに残されたAIの意思の元、ゴジラ同様2万年の月日を経て巨大な要塞都市と化すまでに増殖。ゴジラを倒すという命令の元に増殖を続ける都市「メカゴジラシティ」こそが、本作におけるゴジラの敵怪獣である。

 300Mの巨躯を誇り、自然そのものとも言うべき生態系の王として君臨するゴジラ・アースに対して、「都市」そのもので対抗するというアイデアは興味深く、アニメ化するのであれば未知の領域に踏み込もうとする作り手の精神に対しても、賞賛を送りたい。一方で、ポスタービジュアルに期待を煽られた者からすれば期待外れな面があることも否めない。3DCGとメカの相性を考慮しても、怪獣メカゴジラの活躍を期待してしまうのは無理からぬことである。

 そもそも、怪獣メカゴジラとメカゴジラシティの共闘、というのが最も理想的な『決戦機動増殖都市』ではないだろうか。小説『プロジェクト・メカゴジラ』では対ゴジラ兵器としてガイガンが導入され、その生体部分とナノメタルが融合した存在として、ゴジラの攻撃を受けても自己修復される様子が描写されていた。それに倣うのであれば、メカゴジラはナノメタルの増殖によって驚異の再生能力を保持しゴジラに肉薄、メカゴジラシティからの無尽蔵の補給、そして援護射撃を背に、圧倒的な火力でゴジラに挑む。火力史上主義は初代メカゴジラオマージュでもあるし、やはりゴジラVS機械のゴジラ、という画にファンは弱い。アニメならではの都市としてのメカゴジラもいいが、メカ怪獣メカゴジラの勇士も、アニメならではの表現で描いて欲しかった、というのが正直な所感である。

 なお、意味深なワードや双子といった要素をチラつかせ、小説版では登場済みのあの怪獣は、惜しくも今回は不参加に終わった。続く第三章までお預けとなってしまったが、メカゴジラシティの件を踏まえるなら、何かしらアレンジが加えられることは必須。今から待ち遠しい。

 そうした怪獣スペクタクルとは別個に異彩を放つのが本作のストーリー。本シリーズはゴジラ映画であると同時に、主人公ハルオの物語であることはインタビュー等で両監督の口から繰り返し語られているが、彼を追い詰めるその容赦の無さも虚淵テイストが故だろうか。

 ゴジラ討伐作戦を立案し、成功に導いた英雄でありながら、同時に多くの犠牲者を出したことに負い目を感じないわけでもない。そんな彼が本作で迫られるのは、ゴジラを倒すために人間性を捨てる覚悟。ゴジラ殲滅という同じゴールを目指しながら、しかしその過程において浮き彫りになった異種族との価値観の相違により、彼はまたしても他者の命運を握る役目を背負うことになる。

 母星をブラックホールに飲み込まれ、過酷な環境下で生き抜くためにナノマシンによる統制を自ら敷き、合理主義を重んじることで生存権を確保し続けたビルサルド。知性から生じる「迷い」を廃し、効率化のためなら肉体すら容易に手放せてしまうその思想は、移住先の惑星を求め長きに渡る放浪の旅を続ける内に染みついたものであることが、小説版『怪獣黙示録』の中で語られている。ゴジラを倒す、その目的のためなら無駄なものは切り捨てる。それがたまたま人の形をした肉体であっただけのこと。

 対して、母星を捨てて(体感)わずか20年の地球人類にとっては受け入れがたいものであり、彼らがナノメタルとの融合を拒むのも、至極当然のことのことである。人智を超える存在を超えるには、人ではいられるはずがない。そう揺さぶりをかけるビルサルドは、ゴジラを倒すことに異常な執着を見せるハルオこそ、種族は異なれど「仲間」と見なしていたのかもしれない。

 しかし、ハルオは「人として」ゴジラを倒す道を選び取った。その結果、ハルオはメカゴジラシティを、それと一体化したビルサルド人の命と共に自らの手で殺めてしまう。そしてその代償を払うかのように、ユウコの命を救い出すことができず、彼の慟哭にて映画は幕を閉じる。善も悪もなく、人としてありたいという願いがもたらした悲劇。これまでのゴジラシリーズでは描けなかった哲学に挑む、挑戦的な意図が垣間見える本作は、賛否両論も頷ける超特大の問題作であった。


 残すところあと一作。どう風呂敷を畳むのか、あの怪獣は登場するのか、そしてゴジラは、人類の命運はどうなってしまうのか。最後まで余すところなく堪能したい。

つづく―。

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