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【プロセカ】ニーゴのイベントストーリー読んだよ。【その1】

 プロセカを始めて二週間と少し、毎日欠かさず遊んでいるのですが、ユニットランク20に到達したのはわずか二組です。この辺、何とかなりませんかねカラフルパレットさん??

 今回もニーゴの記事です。イベントストーリー3編を読んでの、短めの感想です。越境イベや(素材が足らんすぎて)サイドストーリーは未読かつ令和4年になって初めてボカロを聴いたレベルの門外漢が喋ってます、というのを念頭にお読みいただければ幸いです。一気に読んだらお腹いっぱいになってお昼寝しちゃった。

ユニットストーリーの感想はコチラ

囚われのマリオネット

 時系列はユニットストーリーの直後。己のエゴから「まふゆを救う楽曲を作る」と宣言した奏だが、当のまふゆのことがわからず、曲作りは難航する。まふゆを現世に繋ぎとめるための危うい契約であっても、しっかりと成し遂げようとする奏は、やっぱり真面目で真っ当な女の子。

 そんな奏は作曲に集中するあまり生活能力がわりとアレなんですが、そこに家事代行サービスの……望月穂波!????!??!!??が到着。奏の身の回りの世話を焼いてくれていたのはなんと穂波なんですねぇ羨ましすぎる

 ここのほなちゃん、レオニのユニットストーリーを踏まえてのアレなんですけど、プロセカくんこういうことするんだァ~????ってなりましたね。自分の経験を語り誰かを諭したりできるようになった穂波の精神的成長を、ニーゴのストーリーでねぇ……。

 穂波から助言と、人形展のチケットを受け取った奏。「みんなを人形展に連れて行けば見たことない表情が見られるかも!」と早速約束を取り付ける。この子けっこうアクティブというか、初期衝動優先型なんですね。クリエイターってそういう気質なのかも。

 というわけで、さっそく次の土曜に人形展に行くことに。そこでやってきます、まふゆちゃんのことを一番に想ってます面の女が。この母親が「人形」を下に見てるの、滑稽ですよね。ヘンな笑いが出ちゃった。

 しかも「17時までに家に帰らないといけない」「予備校に通っている」などの事情も明かされ、朝比奈まふゆの休日も親の敷いたレールに沿った生活になっていることが判明。もうこの子、友達と遊んで帰りが遅れるとか、買い食いもしたことないんだろうな。普通に許せない。

 案の定、展示されているマリオネットを見て気分を害し倒れ込むほどに、まふゆの心はすり減っていた。まふゆ、精神や感情が死んでいるわけではなくて、自己防衛のために平素は無感情に振る舞っているものの、フラッシュバックを誘引するものを見ると一気に堤防が崩れちゃうらしい。その引き金が人形への「嫌悪感」ということで、母親と自分の関係を俯瞰し理解しつつ、そのことへの拒否反応もしっかり心に植え付けられている。思った以上に深刻である。

 さらに、まふゆは「自分が展示されるマリオネットになっている」夢を見たたそうです。早くあの母親消した方がいいです

 まふゆの様子にショックを受けつつも、それでも彼女の心の動きを知りたいと対話を望む奏。この強引さスゴイですよね。自分の感情を上手く言葉に出力できないまふゆに対して「あの人形を見て想ったことを歌詞にしてみて」って、認知療法のワンステップじゃん。

 セカイを訪れたまふゆが出会ったのは、一人遊びをするミクでした。「まふゆが気づかないだけで実は最初からそこにあったマリオネット」の糸を切ってあやとりを遊ぶミクという構図、とてもいい。初音ミクも源流を辿れば人間の造り出したソフトウェアであり、彼女に歌を唄わせたいというコンポーザーの意思を出力する被造物であるからこそ、マリオネット⇔糸⇔まふゆの見立てにより深みを与えている……ような気がする。

ここ泣いた。被造物の純粋さ無垢さ不憫さに弱いんだおれは。

 マリオネットを見たときの感情をまふゆが歌詞にして、奏が曲を、絵名がイラストを、瑞希がMVを。まふゆの世界観に寄り添う形で練り上げられていく一本の作品は、インターネットを経由してたくさんの人に広まっていく。感じたそのままを出力して、朝比奈まふゆは自分の言葉を取り戻していく。奏の音楽は確かに、朝比奈まふゆとこの世界の接点を増やしている。奏のエゴはまふゆと自分を救い続ける、ニーゴの基礎を確かめるための物語が『囚われのマリオネット』なんだろうな。「楽しい」って言葉が出てきて、読んでいるこっちも救われたよ。

軽減モードで品質ガビガビ

 アフターライブも良かったな。セカイのマリオネットの糸を切ったミクに「ありがとう」という言葉が出てくるあたり、まふゆ自身もあの人形に思うところがあったはずだ。他人の思い通りに生きて、自分からそのように染まっていって。やがて失った自分を悔やまないまでには、まだ朝比奈まふゆは死んでいない。生きたいという気持ちがある限り、彼女はあがき続ける。

満たされないペイルカラー

 ニーゴのイラスト担当、東雲絵名。彼女はいいねやRTや再生数のように、目に見える数字でしか自分の価値を計ることが出来ない、良くも悪くも現代を生きる女の子。そんな絵名が一人のクリエイターであり凡人であり夢追い人である自分と死ぬほど向き合って傷ついて「それでも」を見出す物語。読んでいて、死ぬほど辛かった。大なり小なり、創作をやっている人なら鋭利な刃物で刺されたような感覚を得ると思う。シャニマスでいうと桑山千雪のG.R.A.D.を彷彿とさせる質感。

 とくに、イラストの出来栄えではなく「あのニーゴのイラストである」という情報のみが創作物の評価に下駄を履かせる構図が、どうしようもなく千雪G.R.A.D.だった。あちらは「アイドル・桑山千雪の手作り」という付加価値に対してファンがお金と言う形で対価を払いたい、その精神を肯定する流れがあったけれど、こちらは動画へのコメントという形で容赦なく絵名のイラストは批判される。絵名は自分の画力や作品を評価してほしい、だからニーゴのイラスト担当であることを公表していなかったのだけれど、その一線を守りながらも自己防衛のために自撮りに逃げるところが父の懸念する彼女の弱さなのだろうな。

 たださァ~~~~~~~~!!!!!!!!!!これ、「常に才能を問われ劣等感に向き合わなければならない画家というお仕事」の苦悩を味わってほしくない父親なりの親心かもしれないけれど、結果的にその言葉は絵名にとって「父親を見返したい」という感情を植え付け、画家という夢を諦められなくなった以上はコレも立派な呪いなんですよね。口下手で不器用なキャラクターとして描かれているんだろうけど、この言葉が負う責任はこの人が思っている以上に重いんです。そのことに気づかない限り、父親の存在は永遠に絵名の心を縛り続ける。

 絵名はニーゴのイラスト担当以外の価値を得たくて、父を見返したくて、絵画のコンクールに応募する。が、入選すら叶わず結果は全敗。自身を喪失した絵名は画材などを捨てようとし、ニーゴのメンバーからも距離を置きます。一人になりたいと願った彼女は、セカイへたどり着く。

 ここで、人の想いを媒介する存在としてバーチャルシンガー・鏡音リンが大きな役割を持つのも、ボカロ文化を下敷きに持つゲームならでは。奏が絵名を心配する想いを歌という形で届けるリンの姿は、ボカロ楽曲で心を救われたことのあるリスナーには尊いものに見えたはず。

 ココ、凄く刺さりました。例えば自分もnote数年やってて、書きたいことをただ書き連ねているだけでもいつしか下心が芽生え始めて、PVやいいねが付かないことに一喜一憂して、自由に書くという初期衝動をいつしか忘れてしまう。ウケようと過激な文言を使おうとして、その思考を恥じて文章を削除する。そんなことを繰り返している度に、いったい何のために(お金がもらえるわけでも無いのに!)インターネットに文章を投下しているのか。

 絵名の中にも、絵を描くことが好きな心があったはず。それがいつしか「父を超える」ための手段になったり、承認欲求を満たすための添え物にしてしまう。そのことを恥じているのに、手軽に褒められる方に逃げてしまう。それは弱さだけれど、誰もが持つ当たり前のもの。それを克服しない限り、プロの画家として大成することはない。そんなこと、絵名本人が一番わかってるんです。わかってるのに治せないから、辛いんです。

 だからこそ、まふゆの飾らない言葉が刺さる。どこまでいっても自分を満足させてあげられるのは自分なんですよ。だから絵名は、自分のために描き続けなければならない。一度クリエイターになってしまった者の宿命、他人の評価に晒され続け、自分の才能を信じ続けるしかないという呪いに、真の意味で向き合うこと。描いて描いて描きまくって、自分を自分で肯定してあげられるその日まで、東雲絵名の闘いは続くのです。

シークレット・ディスタンス

 暁山瑞希は、秘密を抱えている。が、そのことは別によかった。

 ユニットストーリーにおいて瑞希は、とうに自身のセクシャリティに悩む段階を乗り越えていた。自分がどういう人間で、どう生きて行くかをすでに既定している人間で、どこか不安定さを抱きながら生きている他のメンバーよりも精神的に成長した、強い人だった。

 ナイトコードというSNSで繋がるニーゴは、実は互いのことをあまり知らない。その溝を埋めようと、奏のスランプを解消する名目で交流の場をすんなりセッティングする瑞希は、奏とは違う意味でニーゴの精神的支柱となる。10代の子とは思えないほどに完成された自我と仲間想いな一面を持ち、その強さは揺らぐことはありませんでした。……えぇ、ないと思っていたんですよ、読み終えるまでは。

 たとえ今が強い子だったとしても、それはただ我慢が人より出来たり、感じないよう心を塞いでいたり、要は傷ついていないわけがないんです。入学式、出会いと別れを象徴する桜は、瑞希にとっては「自分を知らない人」が増える季節を彷彿とさせる、トラウマの引き金でした。マイノリティはいつだって、集団から爪はじきにされる。新入生からは奇異の目で見られ、「そういう人」というラベリングで暁山瑞希は扱われる。クラスメイトとの交流だって長続きしなかった。だから瑞希は来年なんて信じられない。

 ただ、ニーゴのみんなと見た桜は、美しかった。桜は綺麗なものだという景色を、ニーゴのみんなといることで取り戻した。「暁山瑞希」という一人の人間を受容し、必要としてくれる関係性と出会えたことで、瑞希はニーゴがかけがえのない大切な繋がりであることを、再確認します。

 だからこそ、瑞希の中にトラウマが再燃するのです。ニーゴを大切に想うばかり、今の関係性が壊れることを、その火種を自分が抱えている(と瑞希が思っている)ことを、瑞希自身が苦悩する番がやってきました。

 ニーゴの皆は、瑞希の秘密を知ってもとくに関係性は変化しないだろう……というのはオタク(私)の願望でしかありません。瑞希はおそらく、自分の秘密を知られたことでよそよそしくなった友達や、離れていった周囲の人間を見て、他者と深く繋がることをどこかで避けていた。相手を知ろうとすると自分自身の深い部分を覗かれてしまい、結果として距離を置かれてしまう。その繰り返しの中で、瑞希は自分が信じる「カワイイ」や「ボク」を体現する生き方をするしかなかった。元々強い子なんじゃなくて、強くならないと生きられなかったんです

 ニーゴは今、強い繋がりで結ばれています。遊び疲れて、肩を寄せ合って眠れるくらいに、互いが互いを信頼しています。その関係性を、瑞希は壊したくないのです。壊したくないから、何としても秘密は暴かれてはならない。学校や社会とは違い、ニーゴは瑞希が自分らしくいられるはずの楽園でした。ところが、その楽園を守るために瑞希は秘密を抱えている自分を押し殺すしかなくなってしまったのです。心地よい居場所を守るために、瑞希は自分の「性別」を強く意識してしまう、こんな残酷なことがあっていいのか。

 身体と心の不一致は、自分の意思で背負ったものではないはず。それなのに一生、自分の居場所を奪われ続ける人生を歩まなくちゃいけないのなら、その人は社会と神と、どっちを呪い続ければいいのだろう。瑞希は後ろめたさを抱え、それでも25時、大切なナイトコードに集う。どうか救われてくれと、ユーザーは祈ることしかできない。


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