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映画『アナザーラウンド』:酒はほどほどに、ただしマッツはいくら浴びても良い。

 各位、胸に手を当てて思い出してほしい。あるでしょう、お酒の失敗。人間、気が大きくなるとロクな目に合わないし、その最たるものが『ハングオーバー』シリーズだったりするのだけれど、でもまぁ、「ほろ酔いのマッツ・ミケルセン」はどうしても観たいので、映画館に行っちゃったわけである。それがたとえ、あのトラウマ映画『偽りなき者』のトマス・ヴィンターベア監督最新作であっても。

 冴えない高校教師マーティンと同僚の三人は、それぞれが仕事や家族関係不満や鬱屈を溜めこんでいた。そんな彼らはノルウェー人哲学者の「血中アルコール濃度を一定に保つと自信が沸き上がり全てが上手くいく」という学説に出会い、その理論を証明するため自らを実験体にする。すると、退屈だった授業はユニークなものへと変わり生徒からの信頼を回復、妻との関係も彩りを取り戻すなど、学説が次々に実証されていく。それに気を良くした彼らは少しずつアルコール濃度を上げていくのだが……という物語。

 酒は飲んでも飲まれるな、とは有名な教訓だが、まさしくそういう映画なのである。アルコールを摂取すると不安が和らぎ、気持ちが大きくなって何でもできるような錯覚に陥る。そんな状態を維持することで今の退屈を打開しようとする中年男性4人の姿は、少し物悲しい。仕事と家族があって、理想的な人生を歩んできたよう見える彼らでさえ、弱った自分を奮い立たせるにはアルコールに頼らなくてはならない。疲れ切った大人には、苦すぎる。

 私たち観客もそうした人生の苦みを知るからこそ、アルコールの力を得て4人が活き活きと活躍する姿に喜びを見出してしまう。歴史教師マッツ先生(メガネ×チェックの上着×ほろ酔い)の授業は教科書をただ読み上げるものから生徒参加型のものへと変わり、成績もみるみる上昇。教師4人は自分の人生を輝かせるだけでなく、学生たちの未来をより良いものへと導いたことは確かで、馬鹿馬鹿しいと思っていた学説に信憑性が増していく。とまぁ、ここで踏み外してしまうのがアルコールの怖いところなのだけれど。

 本作はアルコールの負の側面、依存症について扱った作品でもある。しかし、ここでの依存というのは身体の、というよりは心の問題なのである。

 アルコールで得た成功体験を忘れられない彼らは、もうそれに頼り切るしかなかった。本来、職場での飲酒はご法度だし、学生が隠した酒を見つけ校内で飲酒をすれば教育現場の信用を失墜する大問題に直結する。そうした倫理観すら忘れ去った教師4人組は、元のホモソーシャルな関係の中で慰め合い、幼稚さや弱さゆえに大切な人を傷つける。結局のところ、酒の力で自分を鼓舞しても、自分自身を根本から変えることは出来ないのだ。それぞれが大きな失敗を経て、それでも居心地のいい「男友達」に回帰してしまう哀れさは、良き夫/教師であろうとした男たちの敗北を物語る。

 好き勝手はしゃぎまくり、周囲に迷惑をかけた彼らの束の間のモラトリアムは、とある意外な代償によって終わりを迎える。大人として、社会の規範や常識から逸脱すれば、手痛いしっぺ返しが待っているものだ。とはいえ、それではあまりに救いが無さすぎると思ったのか、作り手はある酔い醒ましを用意した。マッツ・ミケルセンのダンスである。

実は、小学校の低学年から17歳のころまで器械体操をやっていたというマッツ・ミケルセン。その体操クラブに定期的に訪れていた振付師の先生に才能を見込まれたのが、ダンサーとしての入り口だったという。そして奨学生としてニューヨークでアメリカ人振付師マーサ・グレアムの元でふた夏ダンスを学んだ後、故郷デンマークで現代バレエカンパニーに所属。

しかし、俳優になってからはそのダンススキルを封印。もはや彼のダンスができる説が伝説となりかけていたが、今年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したトマス・ウィンターベア監督の『アナザーラウンド』(9月3日公開)で四半世紀ぶりに舞った! 31歳で演劇学校に入学してからはほとんど踊っていなかったというマッツだが、本作のラストで55歳とは思えない圧倒的なパフォーマンスを披露してくれるので、これは見逃せない。

 実は踊れる北欧の至宝、その才能を発揮して「千鳥足のままジャズダンス」なる名演を披露するのだけれど、何よりもこれが凄まじい。陰鬱な空気を跳ね飛ばし、これまでの映画のテーマを「人生賛歌」に塗り替えてしまうほどに活力と力強さに満ちていて、なのに舞いそのものはしなやかでたまらなく美しい。問題はアルコールではなく、彼らの心の中に根差していたものだからこそ、アルコールとは人生を楽しませるために「ほどほどに」嗜むものである。そんな教訓と与えてくれるマッツの踊りは、映画を観る我々にとっても大いなる救いとなった。

私たちは人生を祝福する映画を作りたかったのですが、撮影開始から4日後に、それを実現不可能にする出来事が起こりました。高速道路での事故によって、娘の命は奪われたのです。携帯電話を見ながら運転していた誰かに。彼女が恋しいし、愛しています。そして…すみません。この映画を撮影する2か月前、そして彼女が亡くなる2か月前、彼女はアフリカにいました。彼女は私に手紙を送ってきて、ちょうど脚本を読んだところで、興奮して光り輝いていました。彼女はこの作品を愛し、この作品に見守られていると感じると言いました。彼女も、この作品に出演することになっていたのです。彼女が私たちと一緒にここにいると信じてくれるのならば、彼女が私たちと一緒に拍手をしたり、声援を送ったりしていることが感じられるでしょう。私たちは、彼女のために、彼女の生涯の記念碑としてこの映画を作りました。アイダ、たったいま、奇跡が起きたよ。そして、君もこの奇跡の一部だよ。もしかしたら、君がどこかで糸を引いてくれていたのかもしれないね。この賞を君に捧げる。どうもありがとうございました。

 やるせない出来事もあるけれど、人生は輝かしいものであるべきだ。愛娘を亡くされ、深い悲しみの中で製作された本作の結末は、トマス・ヴィンターベア監督が絶望からもがいて、それでも映画監督であり続けた彼の生き様が込められたものだろうか。その心が少しでも癒されたらと、切に願うばかりである。

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