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映画『騙し絵の牙』予期せぬ“怪物”の誕生に、翻弄される。

 昨年公開『罪の声』がかなりお気に入りでして、同じく塩田武士氏の原作小説の映画化『騙し絵の牙』を観てきました。

 家の本棚が埋まり、かといって断捨離も億劫、物が増えることを嫌うようになり電子書籍で本を買うようになって早4年ほど。外出自粛を受け街の書店に行く機会もほぼ無くなり、文化の衰退が卑近に迫りつつある今、そんな業界のリアルを垣間見える本作は非常にタイムリーで、不謹慎だけど面白い。吉田大八監督の新たな代表作になるんじゃないでしょうか。

大手出版社「薫風」の社長、伊庭喜之助が急逝した。薫風社は大規模な流通改善プロジェクトを推し進めていたものの、昨今の出版業界不況に重なるようにして起こった創業者の死により、社内では権力争いが勃発。次期社長の有力候補である専務の東松は社の看板であった文芸雑誌を季刊誌にするなど大胆な改革を打ち出し、雑誌部門は窮地に立たされる。そんな中、カルチャー雑誌「トリニティ」の編集長である速水も誌の生き残りをかけて奔走する羽目になるのだが、彼はその笑顔の裏でしたたかな牙を研いでいた。

 豪華キャスト勢ぞろい、演技派俳優の騙し合い合戦を期待させるこの予告編に釣られて劇場に駆け付けたのだが、それこそが一つの「騙し」である、というのがすでに面白い。実を言うと本作のジャンルはコンゲームよりも、パワーゲームの色が濃い。歴史ある大手出版社という世界において、社の伝統を守る保守派と、生き残るためには痛みを伴う刷新をもいとわない改革派、双方のせめぎ合いにより権力図が大きく揺れ動く様を、主に佐藤浩市VS佐野史郎という渋い抗争図で描いていく。その根底にあるのは、出版業界が撤退の瀬戸際に立たされているという現実において、なんとしても生き延びようとする熱意のぶつかり合いだ。いつしかそれが次期社長の座を争う闘いに変貌し、同じ社内でつぶし合う不毛な結果を生むのだが、それこそ外野から見れば一級品のエンタメとして、観客を一気に引き込んでいく。

 そんな混沌の中を飄々と泳いでいるのが、速水という男。なんでも原作執筆時点で大泉洋に当て書きされたというこの男、我々が思う大泉へのパブリックイメージを丸ごと体現するような立ち回りにて、物語の中心で暗躍している。ひょうきんな笑顔と性格の裏に見え隠れする、どこか胡散臭い感じ。大物作家にも怯まず、消費者が求む面白さのためなら慣例も立場も無視した働きを見せ、雑誌「トリニティ」は少しずつ売り上げを伸ばしていく。刺激とスキャンダルを欲する大衆に向けて速水が放つ「面白い」は時に過激で会社の信用をベットした強硬手段なのだが、口八丁で丸め込んでいく様はどこか笑いが止まらなくなってしまう。とくに「作品の質と作者の人間性は別物」という主張には、演者の不祥事で作品そのものがお蔵入りになりがちな世相に対しての、ある種のメッセージを感じた。

 巨大な組織の権力争いであり、生き残りをかけた出版社でのお仕事ドラマであり、面白さのために露悪的なものが美名と共に世に送り出されることへの是非であったりと、興味をそそる入り口をいくつも持ちながら破綻せず、速水というイレギュラーな人物の魅力でぐいぐいと引っ張っていき奇想天外な策で全員を圧倒させる。それだけで問答無用に面白いのだけれど、本作はもう一つの「顔」があって、それが師弟モノという側面である。

以下、映画のネタバレを含みますのでご注意ください。

 変わり者編集者である速水の下で働くことになった新人編集者の高野こそ、速水が生み出してしまった“怪物”そのものである。ビジネスの世界では「背中を見て学べ」とは言うものの、元より持ち合わせていた文学への迸る愛と速水の在り方を見て得た学びをミックスさせてしまった結果、速水すら予期しなかった「牙」を見せる。先ほど師弟モノとは言ったものの、速水にはおそらく高野を教育しようなどという狙いは無かっただろうし、高野とて速水に心酔してはいなかった。つまり、速水は知らぬ間に後輩を育て、そして最後には飼い犬に手を嚙まれることになる、というのが本作の大どんでん返しにあたる。

 町の本屋に生まれ、文学を愛し薫風に入社したであろう高野。彼女の文学愛は冒頭から示されていて、持ち込まれた原稿にコーヒーをこぼしてしまった際は自然に「すみません」と言い、かかってきた電話を無視して原稿を守ろうとした。謎の新人作家の小説の面白さを印象付けるシーンかと思いきや、彼女の素質を描くことこそが真の狙いだったわけだ。

 速水が話題性を重視する編集者なら、高野はクオリティーを至上とする青臭さがある。出版社が生き残るためにはどちらを優先すべきか、という問いの答えはグレーだが、少なくとも一冊の小説の全ての改稿を読み漁り、明言されていないロケハン地を突き止め、素顔を晒さない謎の大物作家に辿り着くなど、その執念と警察顔負けの捜査力を見せる中盤の彼女は狂気じみていた。しかもそれを演じるのが松岡茉優とくれば、大泉洋に匹敵するぶっ飛んだキャラクターとしても成立する。速水VS高野、相手の裏をかき水面下で暗躍する二者の闘いの勝敗を、コーヒーという小道具で対比して描く演出の巧みさに、こちらも「やられた!」と騙される快感を得るのだ。

 飼い主の手を放れ走り抜けていく犬のように、誰もが制御できないほどに大きなうねりを見せる大企業の変革を前に、したたかにその水面下を泳ぐ速水と、その背中を見て成長する高野。この歪な師弟関係の成立と破綻の中で生まれた文学作品は、結果として消費者に届き、喜ばれていた。「面白ければ、目玉は何個あったっていいんだから」という速水の言葉通り、面白いものを世に送り出そうとする無数の編集者の熱意が本という形になり、世間に流通され読み手に届く。そんな慌ただしい現場のお仕事ドラマとしても興味深く、キャスト一人一人の演技力に支えられたキャラクターたちの顔を突き合わせた舌戦はスリリングで最後まで飽きさせない。そして何より、松岡茉優がめちゃくちゃキュートで強い映画にハズレ無しの法則は絶対なのだから、高野の大胆さにひれ伏すためにも二度三度と見返したい作品になってしまった。

 ちなみに、本作の國村隼先生、とてもコクソンみがあるシーンが含まれるため、コクソンファンも要チェックだと思います。


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