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鶴見川遺跡紀行

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鶴見川本流の地形や水理を感じながら、流域にある遺跡を自転車で巡ります。鶴見川が育んだ、古代から近世までの歴史の流れを体感したいと思います。
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鶴見川流域の歴史を調べるのに役立つ情報

鶴見川遺跡紀行の上流編が一応(?)一段落しました。 (所々取りこぼしはありますが…それはまたの機会に) そこで、ここまで引用や参照で使用した情報を、自分用のブックマークを兼ねてまとめておきます。この地域の歴史を調べる際の参考になれば幸いです。 ■県史・市史・区史横浜市史稿  横浜市史は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。 下記の2つのサイトに横浜市史の目次や索引があります。 目次で年代から調べるか、索引で調べるなどの方法があります。 横浜市の区史

小野路宿 鶴見川遺跡紀行(25)

近藤勇が駆け巡った青春の道 前回からの続きです。 関屋の切通し小野路城を後にして尾根筋を東方向に進みます。 農園を越えて、都道156号(町田日野線)に出ました。 そこから、農道のような細い道を進むと… 標識が見えた! その先にはクランクが… おぉ!くねくねしてる 左手の壁、赤茶色の土はローム層のようで結構な厚さがある。途中に見える白い層は軽石層?下の方に穴がボコボコ開いて苔むしている。地層の境目で透水層? ここが関屋(関谷)の切り通し 布田道?どこに行くんだ

小野路城址 鶴見川遺跡紀行(24)

歴史が詰まったタイムカプセル「小野路」 前回からの続きです。 今回は、すごくチートして車で来ました。 (投稿日は7月ですが、散策したのは冬場です) 野津田公園地形を利用した自然豊かな公園で、バラ園や湿生植物園、各種グラウンドやコートのほかに、FC町田ゼルビアのホームグラウンド・町田GIONスタジアムも有しています。 公園の駐車場に車を止めるだけが目的で、ここに来たのではありませんよ。 村野常右衛門生家(移築) 前回、前々回の記事でもちょこちょこ取り上げていた、多摩

民権の森 鶴見川遺跡紀行(23)

自由民権の郷・多摩 武相荘を見た後… その足で自由民権資料館に行ったら臨時休館だった(けど、後日再訪した)話 からの続き 以下、自由民権資料館を見ていない状態での散策が続きます。 今日の収穫は武相荘だけか… 電車賃と時間をかけた割には取れ高が少ないなぁ ふと、資料館でもらった散策地図を開いた。 民権の森というわけで、頑張って野津田神社までやって来ました。 神社脇の階段を登って行くと… すると、突然看板が出てきた。 「多摩・自由民権運動の祖」石阪昌孝 これ

自由民権資料館 鶴見川遺跡紀行(22)

前回からの続き 鶴見川上流風景再び鶴見川沿いに戻ります。 高いビルが増えてきた。上流域で久しぶりに遭遇する鉄道駅。 この先は鉄道路線が無い地域。周りの風景も急激に変わってきます。 奥の方に、緑豊かな山が見えてきました。 白洲正子が、多摩丘陵を「多摩川を渡った所に、丘というにはあまりに高く、山と呼ぶには低すぎる…」と表現していて、まさに言い得て妙。 町田市大蔵町の鶴見川河床は「鶴川層」の旧模式地。泥勝ち砂岩・泥岩互層の地層です。現在は河川改修により、鶴見川右岸の大蔵町

武相荘 鶴見川遺跡紀行(21)

「従順ならざる唯一の日本人」の安らぎの家 今回も小田急線鶴川駅からのスタート。まずは、鶴川街道を北上します。 能ヶ谷香山古墳群?グーグルマップによると、たぶん、左側の高台に能ヶ谷香山(のうがやかごやま)古墳群があるはずなのだけど…入口が不明。 どうやら、古墳は香山園(庭園美術館)という施設内にあるようですが、現在は閉鎖中です。仕方がない、地図でも見るか…ん!? 標高56mの丘陵頂部から円墳が2基、下の斜面から横穴墓20基を発見!横穴墓群は7世紀前半~8世紀初頭の築造で

岡上廃寺・三輪南遺跡 鶴見川遺跡紀行(20)

しばらく更新が滞っておりましたが…気合を入れて、ここからゴールまで一気にラストスパート! 流れ的には、こちらの記事の続きとなります。 さて、鶴見川はここで大きく西へと変えて、源流へと向かっていきます。 この地図上では源流域と区分されていますが、全く源流感はありません。むしろ、ますます都市感が増しているようにも思えます。 いかにも「サイクリング中です」的演出ですが、本当はチート(電車移動)しています。だって、鶴見川はこの当たりから勾配が急上昇だし、人力チャリでこれから先

で、鶴見川遺跡紀行は今どうなってるん?

2021年6月より連載を続けている鶴見川遺跡紀行。 2022年12月の上流編記事を最後に更新が止まっております。いよいよ、これから源流域に入るというところで、一体どうしたのか? 「主はもう遺跡散策に飽きてしまったのでは?」 「新たな推し活を始めたんじゃね?」 などど、思われる向きもあるかもしれません。 (蛇足ですが…うちのPCが古いせいか、「おしかつ」と入力すると「お死活」と変換されます) いえいえ、そんなことはありません。 我が心には、鶴見川沿いの遺跡への熱い思いが溢

三輪椙山神社

「杉」か「椙」か?一体、何がルーツなのか? 西谷戸横穴墓群からスタート。 丘陵のヘリに沿って進むと、いかにも旧道らしい三叉路が現れます。それを左に曲がってすぐの場所に、奥まった感じで鎮座しているのが三輪椙山神社です。 三輪の由来町田市東部の突端部。鶴見川に接したこの地域は「三輪」と呼びます。 「三輪」自体は珍しい地名ではありませんが、どのような由来があるのでしょう。 ・大和三輪説 一説に、奈良県の三輪山が由来と言われています。 三輪町の南西には奈良町(横浜市青葉区

西谷戸横穴墓群 鶴見川遺跡紀行(19)

道路脇に突然現れた、謎の横穴墓群 前回からの続き 沢谷戸自然公園の風の舞台からのスタートです。 鶴見川沿いからここに来るまでが、ホントに一苦労。急坂を自転車を押し押し、ようやく辿り着きました。(ヒラメ筋が5mm肥大したはず!) そこから先は、キレイに区画整理された住宅街の「かえで通り」をまーっすぐに走ります。 三輪緑山球場の角から、 坂道を気持ち良く下って行くと、グーグルマップ上の目的地に到着。 しかし、一体どこに遺跡がある? 周囲をキョロキョロしていたら… 西

沢山城址 鶴見川遺跡紀行(18)

鶴見川中流域の小机城址を訪れてから、中世城址に興味を抱くようになりました。地形を活かし、戦闘用に特化した力強い構造は、近世の城とは異なる趣きがあります。 しかし、このような城址は、今も城として残っている訳ではありません。今回訪れた沢山城は、人々が生活する場に内包されています。今回は、周辺にお住まいの方にも配慮した内容にしたいと思います。 七面山沢谷戸自然公園の隣にある山は七面山と言います。 日蓮宗・身延山久遠寺が信仰する七面大明神が由来で、山頂には七面堂が建っています。

三輪白坂横穴墓群 鶴見川遺跡紀行(17)

河口から30km。ついに東京都に突入!! 前回からの続き 町田市を流れる鶴見川鶴見川本流を遡り、いよいよ、東京都町田市に入りました。 恩田川でもそうでしたが、都内に入ると急に住宅地密集度が高まります。田畑が減り、急に都市小河川っぽい雰囲気になりました。 でも、鳥たちがくつろいでいます。 先に見えるは子の神橋。 ちょうど河口から約30km(日本橋〜横浜駅の距離感)。 今回の目的地は、この川沿いの高台にあります。 川に面した崖にも横穴墓があるらしいのですが…分からな

恩廻公園 鶴見川遺跡紀行(16)

旧河道の痕跡が最新鋭の防災拠点!? 前回からの続きです。 今回の記事は、1年半前の春先に行った内容です。 鶴見川上流域真福寺川と鶴見川の合流点にやってきました。 写真を撮った場所は、水車橋の西側。 振り返ると、そこには変な道筋が… 左奥に続くカーブは、明らかに普通の道じゃない。 恩廻公園この道を少し入って行ったところに砂地の広場があり、そこに古い看板が。 恩廻公園…「オンマワシ」と読むのだろうか。一体、何を廻したんだろう? 恩廻の由来 言葉としての「恩廻し

下三輪玉田谷戸横穴墓群 鶴見川遺跡紀行(15)

丘陵の頂上に立つ永遠の我が家「家形横穴墓」 寺家ふるさと村からの続きです。 横穴墓群への道のり前回の山田谷戸からのスタートです。 ふるさと村の水車小屋の近くに、今回の目的地への入り口があります。 細い山道のようです。 途中開けている場所から だんだん山奥へと入ってきました 左は谷になっています どうやら、ここは尾根道のようです 両サイドが急斜面になってきた 細い尾根道を進んだ先に分かれ道が ん?三又の分かれ道… 標識の方向を見てみると… 下三輪玉田谷