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鶴見川遺跡紀行

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鶴見川本流を地形や水理を感じながら、流域の遺跡を自転車で巡ります。
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鶴見川流域の歴史を調べるのに役立つ情報

鶴見川遺跡紀行の上流編が一応(?)一段落しました。 (所々取りこぼしはありますが…それはまたの機会に) そこで、ここまで引用や参照で使用した情報を、自分用のブックマークを兼ねてまとめておきます。この地域の歴史を調べる際の参考になれば幸いです。 ■県史・市史・区史横浜市史稿  横浜市史は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。 下記の2つのサイトに横浜市史の目次や索引があります。 目次で年代から調べるか、索引で調べるなどの方法があります。 横浜市の区史

で、鶴見川遺跡紀行は今どうなってるん?

2021年6月より連載を続けている鶴見川遺跡紀行。 2022年12月の上流編記事を最後に更新が止まっております。いよいよ、これから源流域に入るというところで、一体どうしたのか? 「主はもう遺跡散策に飽きてしまったのでは?」 「新たな推し活を始めたんじゃね?」 などど、思われる向きもあるかもしれません。 (蛇足ですが…うちのPCが古いせいか、「おしかつ」と入力すると「お死活」と変換されます) いえいえ、そんなことはありません。 我が心には、鶴見川沿いの遺跡への熱い思いが溢

三輪椙山神社

「杉」か「椙」か?一体、何がルーツなのか? 西谷戸横穴墓群からスタート。 丘陵のヘリに沿って進むと、いかにも旧道らしい三叉路が現れます。それを左に曲がってすぐの場所に、奥まった感じで鎮座しているのが三輪椙山神社です。 三輪の由来町田市東部の突端部。鶴見川に接したこの地域は「三輪」と呼びます。 「三輪」自体は珍しい地名ではありませんが、どのような由来があるのでしょう。 ・大和三輪説 一説に、奈良県の三輪山が由来と言われています。 三輪町の南西には奈良町(横浜市青葉区

西谷戸横穴墓群 鶴見川遺跡紀行(19)

道路脇に突然現れた、謎の横穴墓群 前回からの続き 沢谷戸自然公園の風の舞台からのスタートです。 鶴見川沿いからここに来るまでが、ホントに一苦労。急坂を自転車を押し押し、ようやく辿り着きました。(ヒラメ筋が5mm肥大したはず!) そこから先は、キレイに区画整理された住宅街の「かえで通り」をまーっすぐに走ります。 三輪緑山球場の角から、 坂道を気持ち良く下って行くと、グーグルマップ上の目的地に到着。 しかし、一体どこに遺跡がある? 周囲をキョロキョロしていたら… 西

沢山城址 鶴見川遺跡紀行(18)

鶴見川中流域の小机城址を訪れてから、中世城址に興味を抱くようになりました。地形を活かし、戦闘用に特化した力強い構造は、近世の城とは異なる趣きがあります。 しかし、このような城址は、今も城として残っている訳ではありません。今回訪れた沢山城は、人々が生活する場に内包されています。今回は、周辺にお住まいの方にも配慮した内容にしたいと思います。 七面山沢谷戸自然公園の隣にある山は七面山と言います。 日蓮宗・身延山久遠寺が信仰する七面大明神が由来で、山頂には七面堂が建っています。

三輪白坂横穴墓群 鶴見川遺跡紀行(17)

河口から30km。ついに東京都に突入!! 前回からの続き 町田市を流れる鶴見川鶴見川本流を遡り、いよいよ、東京都町田市に入りました。 恩田川でもそうでしたが、都内に入ると急に住宅地密集度が高まります。田畑が減り、急に都市小河川っぽい雰囲気になりました。 でも、鳥たちがくつろいでいます。 先に見えるは子の神橋。 ちょうど河口から約30km(日本橋〜横浜駅の距離感)。 今回の目的地は、この川沿いの高台にあります。 川に面した崖にも横穴墓があるらしいのですが…分からな

恩廻公園 鶴見川遺跡紀行(16)

旧河道の痕跡が最新鋭の防災拠点!? 前回からの続きです。 今回の記事は、1年半前の春先に行った内容です。 鶴見川上流域真福寺川と鶴見川の合流点にやってきました。 写真を撮った場所は、水車橋の西側。 振り返ると、そこには変な道筋が… 左奥に続くカーブは、明らかに普通の道じゃない。 恩廻公園この道を少し入って行ったところに砂地の広場があり、そこに古い看板が。 恩廻公園…「オンマワシ」と読むのだろうか。一体、何を廻したんだろう? 恩廻の由来 言葉としての「恩廻し

下三輪玉田谷戸横穴墓群 鶴見川遺跡紀行(15)

丘陵の頂上に立つ永遠の我が家「家形横穴墓」 寺家ふるさと村からの続きです。 横穴墓群への道のり前回の山田谷戸からのスタートです。 ふるさと村の水車小屋の近くに、今回の目的地への入り口があります。 細い山道のようです。 途中開けている場所から だんだん山奥へと入ってきました 左は谷になっています どうやら、ここは尾根道のようです 両サイドが急斜面になってきた 細い尾根道を進んだ先に分かれ道が ん?三又の分かれ道… 標識の方向を見てみると… 下三輪玉田谷

寺家ふるさと村 鶴見川遺跡紀行(14)

現在では、遺跡のように珍しくなってしまった谷戸田。 その歴史的、社会的、環境的、防災的意義を語る 前回訪れた「みたけ台」から、鶴見川沿いを北上します。 常盤橋を渡ると「寺家ふるさとの森450m」の看板が目に入って来ました。 小規模なのに飛び地を有する謎の町「成合町」を超えると、その先は寺家町。 寺家ふるさと村田んぼが広がる郷愁溢れる景色。用水路沿いに「寺家ふるさと村・四季の家」を西に進むと、小高い丘が見えて来ました。 寺家の由来 テラヤではなくジケと言うようです。

祥泉院遺跡 鶴見川遺跡紀行(13)

鶴見川遺跡紀行(8)〜(12)までは上流域東岸を進みましたが、これからは西岸を進みます。 一応、前回(12)の記事↓ 距離的に近い遺跡の記事↓ 今回の目的地である祥泉院遺跡は、稲荷前古墳群の対岸に位置します。 みたけ台この地域は、現在「みたけ台」と呼ばれています。 青葉区には〇〇台とか〇〇ヶ丘、〇〇野などの区域名が多く、しかも、〇〇が植物であるケースが大半です。ニュータウン構想で、緑と花が豊かな美しい街をイメージして命名されたようです(特にT急沿線での美名採用率が高

「富士塚」狂詩曲(0) 概論

憧れの富士登山疑似体験ー江戸時代のリモートツーリズム 私の実家は、武蔵野台地上の街道近くの宿場町。近隣の神社には富士塚が多く、私にとっての富士塚は溶岩を置いた小さな塚のことだったが…。 今回、鶴見川紀行の中で見つけた富士塚は、ちょっとレベルが違う!これから横浜市内の富士塚を巡る前に、まずは富士塚概論を学んで見よう。 そして、タイトルにある狂詩曲(ラプソディー)とは… 「なぜタイトルが狂詩曲なのか」は、後々分かると思います。 トップ画像は、国会図書館イメージバンクより目

子ノ神社・稲荷森稲荷社・琴平神社 鶴見川上流散策

麻生区の遺跡をめぐる旅をしていましたが そのついでに、近隣の趣ある神社も散策しました。 せっかくなので、まとめてご紹介します。 後ろ姿が古墳らしい「早野子ノ神社」初めてこの地を訪れたのは、昨年の春。 早野聖公園と月読神社、籠口ノ池とさらに琴平神社(儀式殿)を回り、くたくたになって家路を急いでいた時です。 早野川沿いに自転車を走らせると、丸くこんもりとした林が見えました。 一目で「古墳かも!」と思いましたが、既に体力も時間もなくスルー。でも気になって後から調べると、そこ

麻生 鶴見川古地名散策

久美子もびっくり!「アソウ」じゃなくて「アサオ」なのっ!? 前回、月読神社にある下麻生亀井古墳群を巡りました。 せっかくなので下麻生古墳に行こうと思い立ちました。 鶴見川支流の真福寺川を越えて、坂道を自転車を押してGoogleマップの指示通り進んだら…そこは住宅地。 今はもう古墳の名残りさえ無い。 写真を撮ると不審者になりそうなので、そのまま立ち去る。 …でも、このままでは終われない。 籠口ノ池公園手ぶらで帰るのが悔しいので、すぐそばの公園に寄ってみました。 少し

下麻生亀井古墳群 鶴見川遺跡紀行(12)

長〜い階段の神秘的な神社に、静かに眠る古墳たち 前回からの続き。 正直、鶴見川サイクリングコースで稲荷前古墳群(市ヶ尾)まで行けたら、それだけで満足だったんです。 ママチャリで20㎞って罰ゲームだし、実際「これで十分!もう自転車で来ることはないだろう」って思ったんです、その時は。 でもグーグルマップで古墳を検索してたら、見つけちゃったんですよ。 長~い階段の神社に古墳があり、そこが「月読神社」という… 月読神社早野川、真福寺川の合流点を超えると、鶴見川は大きく西にカー