三輪白坂横穴墓群 鶴見川遺跡紀行(17)
河口から30km。ついに東京都に突入!!
前回からの続き
町田市を流れる鶴見川
鶴見川本流を遡り、いよいよ、東京都町田市に入りました。
恩田川でもそうでしたが、都内に入ると急に住宅地密集度が高まります。田畑が減り、急に都市小河川っぽい雰囲気になりました。
でも、鳥たちがくつろいでいます。
先に見えるは子の神橋。
ちょうど河口から約30km(日本橋〜横浜駅の距離感)。
今回の目的地は、この川沿いの高台にあります。
川に面した崖にも横穴墓があるらしいのですが…分からない。
とりあえず、Googleマップの案内で進みます。
川と反対側に回って坂を登る。周りの岩が既にあやしい…
多摩ローム層かと思いきや、約150万年前に海で堆積した上総層群柿生層。かつて、この地が海底に沈んでいた時に堆積した泥岩とのこと。
【ご参考】
三輪白坂横穴群
突然、右側に階段が現れました。
三輪白坂横穴群は、鶴見川上流のに作られた2群13基からなる横穴墓群。
この辺りが第一支群で、標高50mの高台に6基が存在。
第二支群は丘陵の東端、標高35m付近に7基存在します。
7世紀に作られたと考えられており、現在公開されているのは、こちらの2基だけだそうです。
5号横穴
階段を上った左手にあります。
やや小さめです。
横穴の奥に、
少し高まった空間があるようです。
棺座なのでしょうか。平らな小石が敷き詰められています。
6号横穴
右手の階段を上ります。
こちらは、手前にやや広い前庭部(?)があります。
内部には大きさが揃った丸い河原石が敷き詰められています。
奥には棺座が見られますが、あまり大きくはなさそう。
きれな蒲鉾型にくり抜かれています。写真では分かりにくいのですが、まるであばら骨のように、削り跡が一定の間隔にきれいに並んでいます。
それにしても…横穴墓ってどうやって作っているのだろう?
みたか遺跡展示室が、分かりやすく説明しています(gifアニメ付き)
古墳ほどではないにしろ、斜面に横穴をくり抜くのは大変な作業のようです。
刀子や須恵器のフラスコ形細頸壷などの副葬品が発見され、7世紀前葉から後葉につくられたと考えられます。
【ご参考】
町田市デジタルミュージアム
古墳散策の大先輩「古墳なう」さんのブログ
上記の2基以外の横穴墓を特定していらっしゃいます。
13号横穴
帰り際に、鶴見川に面した横穴墓をしぶとく探してみたところ…
でも、なんで断崖の中腹に墓を作ったんだろう?かつては緩やかな斜面だったのかな?横穴の下から地質や植生が違うような気もするし、下に透水層があるのかも知れないな…。
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白坂という名前は、城坂が由来だそうです。
横穴墓群の道を上に進むと、沢山城(三輪城)という中世城址があります。この道は切通し、つまり城の出入口だったようです。
この辺りは、古代から中世までHOTな場所だったんですね。
次回は、その中世城址に向かいます。
オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。