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自由民権資料館 鶴見川遺跡紀行(22)

前回からの続き


鶴見川上流風景

再び鶴見川沿いに戻ります。

正面は岡上跨線橋。県道139号は凄い交通量
跨線橋近くに右岸に馬頭観音。
天保十年、運送業務の繁栄と安全を祈願したもの。
小田急線鶴川駅

高いビルが増えてきた。上流域で久しぶりに遭遇する鉄道駅。

ここで小田急線は鶴見川を渡る

この先は鉄道路線が無い地域。周りの風景も急激に変わってきます。

線路を超えると、金井八幡神社の雨乞い神事の石碑
川の流域には色々な民俗の伝承があります
町田市域には多くの親水広場が設置

奥の方に、緑豊かな山が見えてきました。
白洲正子が、多摩丘陵を「多摩川を渡った所に、丘というにはあまりに高く、山と呼ぶには低すぎる…」と表現していて、まさに言い得て妙。

先を進むと平な岩盤(コンクリート?)のような河床が

町田市大蔵町の鶴見川河床は「鶴川層」の旧模式地。泥勝ち砂岩・泥岩互層の地層です。現在は河川改修により、鶴見川右岸の大蔵町、金井町、玉川学園一帯の丘陵地が模式地になりました。

河口から33㎞…
大蔵橋で小野路川が合流


自由民権資料館

大蔵橋から芝溝街道を町田方面に進むと、白壁の建物が見えました。

入館無料
凌霜館(りょうそうかん)跡…?
スロープを上がると立派な建物だ!

こちらは町田市立の自由民権資料館
町田市を含め、この多摩地区で盛んだった自由民権運動の資料を展示しているそうです。

ところが中に入ると、明らかに困惑した職員の顔。
「あの~、大変申し訳ございませんが、本日は明日からの特別展示のために資料室を改装中なので見学ができません」

えっ…遠くから電車で来たのに
鶴川からはるばる(武相荘も回って)歩いて来たのに
何で…何で今日が臨時休館日?

チ~ン (´;ω;`) はい、詰んだ。
もう二度とこの地に来ることは無いだろう。



と思ってましたが…
後日、岡上散策を決行したので、意地で再訪しました。(以下、後日談)


多摩地区と自由民権運動

展示室には、自由民権運動が隆盛になった背景や、この地域から輩出された民権活動家について、多くの資料と詳しい解説が展示されています。
(資料館は撮影禁止ですが、ウェブに展示内容や解説が掲載されています)

自由民権運動の概要
自由民権運の始まり、国会開設と憲法草案の作成、結社•政党の誕生、女性の権利などについて展示されています。

町田市の自由民権活動家
この地域の民権活動家の始祖、石阪昌孝とその子女、地域行政に尽力した細野喜代四郎、実業家に転身し地域経済振興に尽くした青木正太郎、中央政界に進出した村野常右衛門の解説があります。

武相地域の自由民権運動
当時、多摩地域の大半は神奈川県に属していました。開港地横浜が近く、町田から横浜につながる絹の道を通じて、欧米の思想に接する機会にも恵まれます。
神奈川県会での活躍、国会開設運動、困民党とのかかわり、過激化する運動、国会開設と憲法制定、三多摩移管、被差別部落の民権運動についての展示があります。


豪農自由民権運動

自由民権運動というと生活に困窮した民衆や不平士族らが蜂起した印象を持ちますが、当初、活動を中心的に担ったのは豪農出身者でした。彼らは地租の軽減や地方自治を求めます。

幕府崩壊以降の(薩長中心)藩閥政治のあり方や政権汚職への不満から、より自由で公正な新しい時代を切り開こうと思う人々が、この多摩地区からたくさん輩出されたのです。神奈川県会の開会が契機となり各地に結社が誕生。武相地域は自由党の一大勢力地となります。

しかし、政府の言論弾圧や不景気により運動が停滞してくると、暴力も辞さない「壮士」と呼ばれる若手の民権家が出てきます。特に多摩地域の運動では、壮士の活動が盛んだったことも特徴でした。

その後民権運動は過激化し、秩父事件や大阪事件などが起こると、保守的な豪農や中農らが運動から離脱。自由民権運動は激しい弾圧や内部分裂などにより衰退の一途をたどります。

しかし、大日本帝国憲法の制定、国会の開設と選挙を見据え、再び活動が活発化。やがて政党政治へと繋がっていくのです。


凌霜館(りょうそうかん)

地元の自由民権家の村野常右衛門が1883年、若手運動家の育成で文武を教える道場として開館。自由民権運動や地域活動の場として使われていました。
当時、横浜から入る新しい欧米の思想に影響され、豪農らが演説会や討論会、読書会などを開いていたそうです。


絹の道の民権運動

敷地内には、養蚕農家の繭乾燥倉が移築されています。絹の道沿いには、このような倉が立ち並んでいました。

自由民権資料館にあった養蚕農家の繭乾燥倉

生繭で売るよりも生糸に加工して売る方が収入が高くなるため、豪農たちは小規模事業主となり、設備投資、従業者育成を行います。彼らは技術や情報を得るためネットワークを築き、社会情勢を知るため新聞を購読します。

絹の道を通じて、生糸の流れと反対方向に新しい思想が流入してきたのでした。

士族民権を引き継いだ都市民権の主体となった「新聞」の読者も養蚕などを行う「豪農」たちで、「豪農民権」とも言われます。多摩地区で言えば、町田や八王子がその中心で、民権家、民権結社などが活躍して、演説会なども開かれています。(中略)
ところで、自由民権の要求の一つは「条約改正」、多摩で言えば、横浜に持っていった生糸をイギリス商人に買いたたかれるのが不満だったのです(商権回復運動)。自由民権運動は、生まれつつあった「ブルジョワジー」の権利を求める運動でもあったのです。

たまに267

【ご参考】「町田のおカイコさん」展資料https://www.city.machida.tokyo.jp/kodomo/kyoiku/kaigitou/kaigi/teireikairinjikai/kyoukai/2023kaigiroku/20230706182754405.files/4-003-01.pdf



町田市の歴史展示

町田市の歴史的資料を展示しています。(こちらは撮影可)
近隣の出土品が展示されていました。

ハートの線描きはよく見られる
ポータブル石棒
クルミ型土器がかわいい!
弥生式の土器も
西谷戸横穴墓群の出土品
前回散策した三輪南遺跡の出土品も

なかなか充実した展示内容で大満足!
やっぱり、見に来て良かった。



(冒頭部分からの続き 以下、資料館を見ていない状態)

すでに日が傾きつつある

クッ…資料館を見ることなく、おめおめと引き下がれるものか!

こうなったら絶対に巻き返す (;`・ω・)っ  倍返しだ!


オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。