誰といたいか。は、感覚でわかる

私は「人を見た目で判断する」

という癖がある。

気が付くと無意識に判断してしまう


いままでの人生で勝手に思い込んだイメージから

人を瞬時に判断してしまうのだ


わかりやすく芸能人で例えると


武井 壮さん 

 声がやたら大きい、騒がしい 

 野蛮。頭空っぽそう。



お笑いコンビ「ミキ」のお兄さん

 見た目から(本当失礼)

 なんか暗そう。弱そう

 

とか


この人は笑顔が優しくて、声も穏やかだから
きっと優しいい良い人なんだろうな


など

表面だけみて判断する

なんとも、説得力の無い、勝手な見方だ。

 


そして

これは99%当たっていないことが多い。笑


でも、なぜか無意識にそんな判断が走るのだ

それだけ「思い込み」というものはいい加減なのに

なかなかこびりついて離れない


この癖をなおしたいが、もう瞬時に無意識に判断するので
意識的に止められない


判断した後、「あ、違う違う。そういう目で見ない!」

と自制しても、

一度した判断から相手への思い込みは
他の第三者からの評価を聞かない限り上書きされるタイミングがない


でも

この前、ふとしたことで

自分の中の、その判断の切り替え方がわかった気がする


ある日、二人の人と初めてお会いした


一人は、とても笑顔が柔らかで言葉も柔らかで

瞬時にいつものごとく

「あ、優しい良い人なんだろうな」


という判断をしていた


もう一人は

頭がボサボサで、発言が鋭くて自分の仕事をグイグイ押してくる様に押され


「相手の反応を見れない人なのかな。」というような判断をした


でも

後日振り返ると


二人と一緒にいた時の
わたしの感覚が全く違っていたことに気が付いた


前者の方とお話ししていた時は


どこか
ザワザワして、落ち着かない感覚



後者の方とお話ししていた時は


違和感なく、

思いのほか会話のペースが体に違和感なく

穏やかな感覚を感じていた。穏やかだった



これはもちろん

前者の人が悪い


とか、


後者が良い人だ

という話では全くない


ただ


私にとって

どんな存在か



心地よいのか

そうでないのか



ただそれだけだ



そしてそれは、

頭で判断した情報では計れない



一番的確な指針は


自分の感覚だ


その時の

その人といた時の


自分はどんな体感覚だったのか


それが


人でもモノでもなんでも

これからの時代に必要な判断力ではないかと



心地よいか


そうでないか



一緒にいて心地よいか


そうでないか



判断する時

自分の感覚がすべての指針だ

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