ストレスフリーな生活を送るために行動心理士が『八正道』を語る📕Part5『正業(しょうごう)』
私生活を”正しく過ごす”ということだが、”正しく過ごす”とは、
【偏らない】【極端にならない】【中庸をいく】とされている。※(中庸)極端な行き方をせず穏当なこと。片寄らず中正なこと。
仏教では、人間は5つの欲で生きている。
食欲・財欲・色欲(性欲)・名誉欲・睡眠欲の5つだ。これらすべてにおいて徹底的に満たそうともせず、徹底的に無視しようともせずに中庸を目指すことの重要性を説いている。
私たちの精神的なストレスや、悩みを振り返って見ると、これら5つの欲求に過度に反応してしまっていることに気づくだろう。
過ぎたるは猶及ばざるが如し
という諺がある通り、今精神的なストレスや悩みを振り返った時に、過度に満たそうとしている欲求がないかを考えてみるといいだろう。
正業の実践方法は3つある。
1)不殺生・他の生命の命を奪うことだけは決してない
2)不偸盗・盗みはしない 『与えられていないものを取ること』
人間は衣食住を得るために仕事をしなくてはならないのが現実だ。より贅沢に行きたいと思うならば自分で働いて収入を得なくてはいけない。
生命は、自らの業によって生かされているので、生きるために必要な物は業が用意してくれるはず。しかし、人間の場合は、他の生物と違いそれが”タダ”ではない。
仕事をすれば必要な物は揃う。人間が皆平等で豊かではない理由がここにある。仕事は重労働なのに、賃金が安くてもなんとか命を繋いでいる人もいるし、楽に仕事をして使いきれないほどの収入を得る人も実際にいる。好きな仕事に就く人もいれば、嫌いな仕事をしなくてはならないひともいるはず。
人は誰でも何かの仕事をして、自分に必要な品物を得なくてはいけない。つまり、仕事をしたら、業が用意している力に合わせて必要な物を得られるということになる。
だから、余計に欲張って無理をしても、自分が期待するほどの収入が得られないこともあると覚悟しなくてはならない。私はそれが分からずに体を壊した経験もある。得た収入はもちろんマイナスに作用してしまった。
仕事をサボっているのに給料だけたっぷりもらおうとするのは与えられてない物を取ろうとすることだ。経費を水増し請求することは、偸盗だ。残業したならば、残業手当をもらうことが正しい。
『与えられていないものを取る』とは、相当な深い意味を持っているのだと理解することだ。これを守るだけでも”正業”になる。清らかな生き方になる。
3)不邪婬・性行為のこと
子孫を作るための行為だ。結果として子供が生まれる。したがって”それで終わり”ではないことをしっかりと認識する必要がある。自分が作った子供、自分の子供、自分の命の一部 という”愛着”があらわれる。
その”愛着”が次に活動する。
この基本的な”本能”まで、愛着が絡んでくると変わってしまう。性欲とは子孫を作らせるために与えられた”麻薬”のような物だと言えるかもしれない。
性欲そのものが理論的な物ではなく、生命が生き延びるために欠かせないものでもない、ということだ。
その証拠に、性欲を満たせなかったといって、健康には何の障害もないが、これが”麻薬”なので、『どうしても性欲を満たしたい』という気持ちがわき起こる。
そして、”人間”だけが
『性欲をみだりに満たして遊びたい』という気持ちになる。感情のままで生きることになる。肉体に極力依存して、肉体の刺激以外何もいらないという気持ちにもなる。人格向上も、心を清らかにすることも、正しく生きることも、不可能になる。
夫婦の性行為は子供が生まれても生まれなくても邪婬にはならない。お互いに心配する約束があるからだ。
瞑想して心が身体に依存している状態を乗り越えないかぎり、性欲はなくならない。
身体が衰えると自然法則であるならば、性欲がなくなる。
しかし、性欲は麻薬なので、心に激しく影響を与える。人間の性欲は、肉体的要求というよりも精神的な欲望になっている。
無数の行為を絶えず行うことが、生きることだ。意図的に管理不可能な行為もあるし、自分の意志で行う行為もある。そして、自分の意志で行う行為に対しては、正しい行為と正しくない行為という2つが成り立つ。
正しい行為をすることが、【正業】だ。
しかし、これがあまりにも膨大に普通の人には実行できないので①不殺生②不偸盗③不邪婬と三つに分けて記載した。
この【正業】を学ぶだけでも、仏道というのは人間にどれほど高度な生き方を示しているのだろうと思う。
現代社会は、SNSの普及でどうしても攻撃的な発言や、誹謗中傷が目に入りがちだ。それは自分の意志で行う行為なだけに
正し行為
正しくない行為
を知る必要がある。
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