見出し画像

小学校の常識を勝手に考えてみる@卒業式

#小学校 #卒業式 #まじめな話 #常識 #儀式的行事 #学習指導要領 #目標 #内容 #特別活動 #これからの教育 #現場のみなさまおつかれさまです  

どうも。マクドナルドでちょっとでもヘルシーに、とサラダをセットにしたんですが、物足りなく感じてしまって結局追加でハンバーガーを頼んじゃった、じーもです。自制って難しい…。

さて、今日は、久しぶりに教育に関することです。できればシリーズ化しようかなと思っているのですが。

私は小学校の教員を5年ほど経験したので、とりあえずは小学校のことについて。教育現場での当たり前について考えてみよう、という内容です。タイトル通り、個人的な意見です。勝手にしゃべります。一意見として見てもらえると助かります。ちなみにスタンスとしては、よりよい教育・現場を実現するために考えている、ということですので。決して否定したいだけではない、ということで。(笑)

学習指導要領での位置づけ

今回は、卒業式について主に考えてみたいと思います。まず、学校教育における卒業式の位置づけとしては、

特別活動 → 学校行事 → 儀式的行事 → 卒業式

という位置づけになっています。そこで、平成29年に文部科学省より告示された「特別活動編 学習指導要領解説」から抜粋(以下の引用はすべて)します。ちなみに全部抜粋するとかなり長いので、必要そうな部分のみとします。(全文が気になる方はネットで"学習指導要領”と検索すれば出てきます。)

まずは特別活動の目標です。

集団や社会の形成者としての見方・考え方を働かせ,様々な集団活動
に自主的,実践的に取り組み,互いのよさや可能性を発揮しながら集団
や自己の生活上の課題を解決することを通して,次のとおり資質・能力
を育成することを目指す。
(1) 多様な他者と協働する様々な集団活動の意義や活動を行う上で必
要となることについて理解し,行動の仕方を身に付けるようにする。

つまり、「集団や社会の一員としてしっかりしなさいよ!いろんな活動にはそれなりの理由もあるんですからね。」みたいな感じでしょうか?

次に、学校行事の目標です。

全校又は学年の児童で協力し,よりよい学校生活を築くための体験的
な活動を通して,集団への所属感や連帯感を深め,公共の精神を養いな
がら,第1の目標に掲げる資質・能力を育成することを目指す。

「みんなで協力してね。いい学校にするための体験して、集団の一員としてみんなのためになることしようね。」みたいなとこでしょうか?

そして、卒業式が含まれる儀式的行事についての内容がこちら。

(1) 儀式的行事
 学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わ
い,新しい生活の展開への動機付けとなるようにすること。

さらに、学習指導要領解説では、こう補足されています。

儀式的行事のねらいは,次のとおり考えられる。
 児童の学校生活に一つの転機を与え,児童が相互に祝い合い励まし合って喜びを共にし,決意も新たに新しい生活への希望や意欲をもてるような動機付けを行い,学校,社会,国家などへの所属感を深めるとともに,厳かな機会を通して集団の場における規律,気品のある態度を養う。
 儀式的行事においては,例えば次のとおり資質・能力を育成することが考えられる。
○ 儀式的行事の意義や,その場にふさわしい参加の仕方について理解し,厳粛な場におけるマナー等の規律,気品のある行動の仕方などを身に付けるようにする。
○ 新しい生活への希望や意欲につなげるように考え,集団の場において規則正しく行動することができるようにする。
○ 厳粛で清新な気分を味わい,行事を節目として希望や意欲をもってこれからの生活に臨もうとする態度を養う。

整理すると、卒業式などの儀式的行事は、①学校生活での転機となる②子どもたちが祝い、励まし、喜び合える③次への動機づけとなる④集団への所属感を深める⑤集団のルールや気品ある態度を身につける というねらいがあるそうです。…いやいや、多くないっすか?(笑)

多いことはさておき。そのほかにも、いろいろと書いてあり…。要するに、しっかりとした(張り詰めた)空気の中で、集団でのマナーやルールを守れるようにしないといけないよ、ということでしょうか。

実際のところ、どう?

みなさまお疲れ様です。なんだか今日の記事は疲れます。(選んだのは私ですが…ごめんなさい。)

では、実際に行われている様子を振り返りながら、考えていきましょう。例は卒業式とします。

小学校の卒業式では、(地域ごとに変わることもあるかもしれませんが)、基本的には①卒業証書②お祝いの挨拶③子どもたちの言葉や歌 で構成されているのかな、と思います。それらの内容が(普段の練習も含め)上記で触れたようなねらいに即したものになっているか、ということです。

①学校生活での転機となる → うん、なってますよね。

②子どもたちが祝い、励まし、喜び合える → 式の練習や最中は怪しい。

③次への動機づけとなる → 下手すれば式がゴールみたいに感じるかも。

④集団への所属感を深める → 集団意識は鍛えられそう。

⑤集団のルールや気品ある態度を身につける → 厳しく指導してますね。

ということで。ところどころ、「?」がつきましたね。まあ、個人的な意見ですけど。でも、そうなると、きちんと子どもたちに(それこそ目標にもあったように)意義なんかを説明して、理解するまで伝える必要がありそうな気もします。となると個人の教員によってまちまちかもしれませんが。

あと、個人的に感じるのは、他にも卒業式をするメリットはあると思っています。一つは、どの世代でもイメージできる共通の話題(イベント)になるということ。みんなが通る場所ですから、話もしやすいです。(まあ、休んだりした場合もあるから絶対ではないんですけどね。)もう一つは、(大きな声では言えませんが)いろんな意味での我慢の練習や社会の疑似体験ができるということ。…ん~と。早い話、なんかわかんないけど、社会ではとりあえずやらないといけないこともあるから、その練習だと思ってね、みたいな話です。

ん?みなさん、今の学校教育を否定はしていないですよ。もちろんですとも。はい。(ちゃんとしたことも書いてる…つもりなので、できれば最後までお読みください。)

今の時代との相性

ついでに、今の時代との相性も考えてみましょう。特に今はコロナ渦でかなり見直されているというか、議論してるというか…。個人的には、見つめ直すいい機会だとは思いますけどね。

今の時代、多様性が叫ばれています。どこまでを多様性とするか、という議論もあるとは思いますが、今回のキーワードは「我慢」だと思います。

つまり、卒業式や入学式って我慢大会になってません?っていう話です。もしなっているとしたら、それは今の時代に合っているのでしょうか(多様性が叫ばれる中で我慢というのは適当か)?会社に所属することさえも終身雇用ではなく、転職が普通になりつつあり、副業も解禁されて生きています。そんな中、我慢を美徳とする教育は果たして適切なものなのでしょうか?

もちろん、完全否定するわけではなく。個人的にも、する必要が全くないとは思いませんが。一番気になるのは、そういうことまでちゃんと考えてます?ってことです。正直に告白すると、私が教員だったころはそんなことは考えられていませんでした。忙しい。時間がない。余裕がない。だから、基本的には例年通り。周りもそんな雰囲気だし、何より言い出しちゃうといろいろとめんどくさそう。みたいな。でもそれって、果たして理想の教育現場でしょうか?

加えて、今の子どもたちの中には支援を必要とする子が増えています。さらに、今や共働きが普通です。そうなると、家庭での学びや環境(褒められたり楽しんだり心を育むための)が十分に確保されない場合があります。そうなると、余計に、学校で「我慢」を強いることに疑問を感じるようになってしまいます。もちろん、先に述べたように、社会が完璧ではないので、そういった理不尽に対する抗体をつける意味では、必要かもしれませんが。

今後の提案

何度も言いますが、これは現場の先生を非難しているのではなく、余裕が生まれないという教育現場の仕組み(システム)に対しての不満です。共働きや子育てに集中できない現状での社会の仕組み(システム)への不満です。

結局、携わる"人”が悪いわけではなく、"仕組み(システム)”が悪い場合がほとんどだと思います。そして、仕組み(システム)は、人間よりも改善がしやすいはずです。

不満は決して悪いことではありません。きっと、今こうやって快適な毎日が過ごせるのも、不満を課題として捉え、解決・改善してきたからです。だから、不満は希望ともいえるかもしれません。(もんのすごくポジティブな言い方ですね。)

まあそうは言っても現状つらいものはつらいですし。なかなか変わらないものではあるんですが。しかも、世界にはもっと解決していかないといけない課題がありますからね。地球とか格差とか貧困とか…。

最後に具体的な提案として。

やっぱり現場の教員がもう一度見つめ直す時間と余裕が必要だと思います。だから、学校現場に関わる人員を増やすことが第一かな、と思います。もしそれを外部に委託できるのなら…私もやりたいです!(笑)

最後に。

言っても仕方のないことかもしれませんが、言わないよりはましかな、ということで言ってみました。なんだか、教育批判!みたいに聞こえるかもしれませんが、全然そんなつもりはないです。教育現場の方々がどれほど一生懸命か、理解しているつもりではありますから。(たぶん行政の方も一生懸命だとは思うんですが。)

以上。結論もあやふやな内容でしたが、少しでも考えるきっかけになったのなら幸いです。そして、この記事を途中でリタイアして、ただの批判文として受け取っている方がいないか、とっても不安です。(笑) だったら書かなきゃいいんですけどね。(笑)

今日もお付き合いいただきありがとうございました。よければまたお会いしましょう。では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?