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気持ちがわからない話

私は卒業式などで泣いたことがない。むしろちょっとニヤニヤしているタイプの人間だった。あぁいう真面目だったり感動的な雰囲気が苦手でもあった。

人を見ていて、いったいこの人は何が面白いのか/悲しいのか、何に怒っているのか/泣いているのか、と思ったことはないだろうか。
私は度々ある。子供の頃はよく「相手の気持ちになって考えなさい」と言われたものだが、そんなものはどれだけ考えてもわからなかった。
自分の感情さえどんな名前で呼べばいいのかわからないのに。

人を心配する、ってどんな感じ?

中学生の頃、付き合っていた人が事故で骨折し入院した。
私は驚いた。驚いて終わった。電話で「え?!そうなんだ…そりゃ大変だったね。お大事に」といった具合。大丈夫ではないから、大丈夫?とは訊かなかった。
友人には「お見舞いに行かないの?心配じゃないの?」と言われたが、来週には通学するということはそれ程酷くないだろう&私が行っても出来ることは何もないし、と思った。
もちろん長期入院なら1回くらい顔出しとくか、とは思うけど。

ところで、心配するって具体的にどんな感じなんだろう?自分のことならともかく、人の心配をするってどういうこと?

母が脂汗をかいて腹痛を訴えた時(ストレス)、どうしようと思った。でもそれは「私はどう行動すればいいのか?」のどうしようだ。
お金と保険証と診察カードと携帯があれば、まぁどうにかなるかとポケットに詰め込んでタクシーを呼んだ。
タクシーの中で、私は特に何もしなかった。出来ることもなかった。○○病院まで、と行き先を告げてお金を払う。
母も、何かしてほしければ言うだろう。何も言わなかったということは、話せない程痛いか、特に要望がなかったからだろう。と解釈した。

診察と点滴が終わるのを待つ間も「もし入院になったら何を準備するんだ?」「母の作りかけの晩ご飯どうしようかな」「父に連絡すべきか?」と自分のすべきことについて心配はあったが、母に対して心配はしなかった。
普通はどう思うものなんだろう?ずっとわからないでいる。

時々漠然と「母が死んだらどうしよう」と不安になる時もあるが、それは「どう生活すればいいのだろう?」ということだ。結局自分のこと。
これは母を心配していることになるのか?わからない。


祖母の死

2020年の5月、一緒に暮らしていた祖母が亡くなった。
お通夜でも、葬儀でも、私は少しも泣かなかった。悲しいとか、寂しいとも思わなかった。
祖母の手に触れて、死ぬとほんとに冷たいんだなと思った。
コロナの影響で親戚は呼べず家族葬になったが、用意された部屋が並のホテルよりも広くてテンションが上がった。
もっとしてあげられる事があったかもしれない、と泣いている両親を見ながら、私はただただ無だった。
あまりにも何の感情の起伏もないので、ものすごく薄情な人間のように感じた。
祖母のことはそんなに好きではなかった。いや、嫌いだった。未だに愚痴を言いたくなるくらいには。
でも良い思い出もあるし、生まれてからずっと一緒に暮らしてきた人間の死に対して、どうしてこんなにも何も思わないのか不思議だ。
大切なものをどこかに落としてきてしまったように感じた。


不本意ながら、もうある程度大人になってしまったので、心配しているフリや悲しんでいるフリ、場合によっては嘘泣きもできるようになったが、やっぱりわからない。
冷たい人間なのかもしれない。
いつか、「あぁ、これか…」と感じる日が来るのだろうか。