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春の訪れ

寒い寒いから、唐突に春の気配。久々に里帰りした実家の庭にも、我が家のまわりの山道にも梅の花。咲き初めのまばらな枝先が私は好き。 通勤の途上、ウグイスの初鳴きを捉えた。 いつも顔を合わすウォーキングのおばさまと「今年もウグイスが聴けたね」 「まだ下手っぴやけどね」 と言葉を交わして行き違う。 離れぎわ、おばさまが誰にともなく「しあわせやなー」と呟く声が聞こえた。 「ほんとにねー」 わたしも誰にともなく、呟いてみる。 初音の頃のウグイスは、まだちょっと調子っぱずれ。ホーホケキ

    • 冬の朝 その2

      朝夕は冷え込むのに、昼間の陽射しは日に日に暖かい。慌しかった2月もあと数日。 昔、末娘は寒い朝の登園が苦手だった。マフラー手袋で完全武装して家を出ても、冷たい風が頬を撫でるとたちまち足取りが遅くなり、ぐずぐずと私を見上げて半泣きになる。 歌を歌ったりしりとりをしたり、騙しだましで歩みを進め、やっとの思いで通園バスに乗せた。 ある寒い朝、ちらつく風花を見上げて手を伸ばしていた末娘が教えてくれた。 「お母さん、見て! 今日はお山がピンクになってきたよ!」 冬枯れの裸木の続く山

      • 冬の朝

        通勤電車。 いつも隣の駅から2.3歳の男の子を連れたお母さんが乗り込んでくる。お母さんも通勤の途中だろうか。乗客のまばらな車中にも関わらず、男の子を膝に乗せきゅっと小さくなって座席の隅っこに座る。 男の子は窓の外を指さしたり手にした電車のおもちゃを見せたりしながら小さな声でお母さんに話しかけ、お母さんは幼いおしゃべりに小さく頷きながら相槌を打つ。 今朝はことさら風が冷たかった。 お母さんが男の子の小さなこぶしを掌に包み、冷たいねとささやいた。 男の子は、くすぐったそうに体を

        • みのりの秋 その3 樹木の最期

          通勤の道沿いに見慣れない新しい倒木。夜のうちに倒れたものか。 数年前のナラ枯れ被害で、多くの雑木が枯死した。枯れた樹木は秋でもないのに葉っぱが散り、枝先が落ち、そのうち風雨に朽ちた大枝が落ち、ついにはある日音を立てて根元から倒れる。 雨上がりの朝などに遠くでミシミシと木の裂ける音がして、ああまた倒れたかと気づくこともある。 樹齢何百年の樹木の最期というと、チェンソーの刃を入れられ、音を立てて倒れていく様が思い浮かぶけれど、実際の名もなき雑木の最期はこんな風にゆっくり時間を

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        • やきものばなし
          2本

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          みのりの秋 その2

          実りの秋 その2 帰宅の車中、ピシッと車体を叩く石礫の音。それは道沿いの樹木から落下するどんぐりの音だ。 どんぐりコロコロなんて長閑な音ではない。狙いすました狙撃手の一撃のような、鋭く硬い音だ。 幾千ものどんぐりが地に投げられ、根を下ろす場所を目指すのだけれど、実は親である大樹の株元に落ち着くどんぐりよりも、川の流れや動物たちに運ばれて遠く旅立つどんぐりのほうが、成長に適した日の当たる場所に根付く可能性が高くなるのだという話を聞いた。 我が家にも、親元をぽんと離れ、遠くの

          みのりの秋 その2

          帽子屋さんの話

          「わたしは、お金があったら帽子屋さんになりたいの」 末娘が、職場の入所者のおばあちゃまから聴いたお話。 「帽子って無くっても困ることはないけれど、有れば気持ちが豊かになるでしょう。だから、わたしは帽子屋さんになりたいの」 言葉も所作も穏やかで上品なおばあちゃまなのだという。 きっと心に余裕のある豊かな人生を送って来られたのだろうな。素敵な年の取り方だなと、末娘は感心して話してくれた。 「もしも私が若かったら」ではなく、「もしもお金があったら」と語るおばあちゃまの夢は、過去を

          帽子屋さんの話

          旅立ちの日

          朝、出勤途中の道沿いの水路に手のひら大の大きなカニを見つけた。 沢に近い我が家の周辺でも小さなサワガニの姿はよく見かけるが、このサイズのカニを見つけたのは初めてのこと。 藻屑ガニというらしい。 淡水の水辺で生息するこのカニは、成体になると秋に繁殖産卵の為に川を下り、河口付近まで長い旅をするのだという。 この地は海からは遠く、カニの旅はまだまだ始まったばかりか。 いってらっしゃい。 動画は、同じ日の帰り道。 特別なものが写っているわけではない。 沢の流れる音 虫の声 小鳥の囀

          旅立ちの日

          お仕事靴

          年甲斐もなくきれいなピンクの靴を履く。この夏の里帰りの折実家の父に買ってもらったお仕事靴。 通勤の時にはパーっとテンションの上がるのがいいと選んだ一足は、周囲の同年代以上の女性たちにすこぶる評判がよい。 駅の階段を登る足取りも軽くなったようで、きれいな色のもたらすパワーは思いのほか効果的だった。   一転、土場で土づくりの仕事をする息子のおんぼろ仕事場靴。 どうせ泥だらけになるからと日常の靴を仕事場用に下ろして履き潰すというのだが、それにしても靴紐さえ抜け落ちたスニーカーをど

          お仕事靴

          みのりの秋

          暑い暑いが少し落ち着いたら、そこここに実りの秋。 ガマズミ、ヘクソカズラ、ノブドウ、ヨウシュヤマゴボウ、ヌスビトハギ 千に一つ、万に一つの次代の命を、淡々と育み潔く地に放つ自然の営み。 その造形の愛らしさ、色彩の美しさが、一つ一つ楽しい。 先日、頂き物の栗の実を末娘と一緒に皮を剥いた。 老人施設で毎日100人のお年寄りのご飯を作る末娘は、固い鬼皮をガシガシと剥き、包丁でくるくると渋皮を剥く。 お山で大きなクヌギのどんぐりを拾い、ポケットいっぱいに詰め込んでいた小さな手が

          みのりの秋

          秋のさきがけ

          ここ数日で急に涼しい日が続き、秋の気配が感じられるようになりました。 道端の草花も秋モード。 純白の仙人草は、この辺りでは一番好きな花。レースのような繊細な蔓草があちこちに見られるようになりました。 金水引、赤い水引、紫式部。 もう少ししたら、野葡萄の実が色づいてきます。 昔からミゾソバと思っていたピンクの花が、実はママコノシリヌグイという恐ろしげな名前の花だと最近知りました。茎にはたくさんの細かい棘があり、その名前の怖さがよくわかります。 ふと見ると、道路にハンミョウ

          秋のさきがけ

          たぬきの皮のお話

          鯨の皮の次は、たぬきの皮のお話 昼下がりの仕事場。荷造り仕事が一段落して、ふと見上げたら書類棚の上に見覚えのない紙箱。 たぬきの皮?「何が入ってるの?」と訊くと、「たぬきの皮」という当たり前のお返事。???の頭で、箱をおろして開けてみた。ナイロン袋の包みをそっと開けてみると、 あ、ホントにたぬきの皮。随分前にどこからか手に入れて、ずっと書類棚の上においてあったらしい。うちの工房は魔宮だ。毎日出入りする仕事場の片隅に、こんな思いも寄らない不思議アイテムが、当たり前のよ

          たぬきの皮のお話

          皮鯨小皿

          骨董店のショーウィンドウで見た手のひらサイズの小皿。プライスカードには「皮鯨小皿」とある。 「皮鯨ってなんのこと?」と店番の店員さんに聞いてみたけど、よくわからない。たまたま、そばにいらした陶芸家の先生にお聞きしたら、釉薬掛けの技法の名前と教えてくださった。 乳白色の皿の縁が黒っぽい釉薬でぐるりと縁取られている、その様が皮鯨(ころ)に似ているからそう呼ぶのだと言う。ああ、なるほどと合点がいった。 その小皿は、数カ所欠けが修復されていたが、ただの金継ぎではなく、漆で欠けを補っ

          皮鯨小皿