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(8年前?に書いた原稿です)


1月17日 早朝

目が覚めた

強い揺れに起こされたのだ

(地震か...)

床から伝わるなんとも気味の悪いその揺れに起こされて
わたしはテレビをつけた

(かなり大きいんだ...)

大阪もかなり大きい数値がでている

ふと大阪の友達のことが心配になって
電話をかけてみた
けれど
(あ、まだ早朝だ。大したことなかったら迷惑かも。)
と思いすぐに切ってしまった

そのあと
テレビでは広範囲の各地の震度が表示され
信じがたい街の様子が映し出された...

!なにこれ...

やっぱりもう一度かけてみよう
再び電話を掛けたがその時にはもうすでに
電話はつながらない状態になっていた

京都も神社がくずれてしまったり一部建物が壊れてしまったりしたけれど
わたしのまわりはほぼ平穏で
自分の部屋も大きな家具を置いていなかったので
大したことはなかった

だからなおさら
大阪や神戸の信じがたい姿が連日映し出されるたびに
ただただ言葉を失うばかりだった

その人とは後日連絡がとれた
前日神戸に遊びに行く予定で車を走らせていたそうだが
なんだか胸騒ぎがしたからという理由で
神戸には入らず家に引き返したらしい

大震災に巻き込まれずに済んだ
けれど
家の近くの堤防は次の振動で再び崩れたら
今度はどうなるかわからない状況だといっていた

***

わたしがよく通っている大阪の芝居小屋では
当日も関西の劇団がお芝居の本番を控えていたそうで

地震に直面した役者さんは
崩壊した街に衝撃を受けつつ
「今日は本番だ!」と思い出し、とにかく行かなければ!と
仲間との連絡が全く取れないまま
何時間もかけて歩いて小屋にたどりついて
仲間の無事を確認しあったそうだ

また別のある役者さんは交通網が停止してしまった神戸から出ることができず
めちゃくちゃにひっくり返ったマンションの部屋でひとり
毛布にくるまり
窓から差し込む夕日の色に染まった部屋で
ひたすら家族の迎えを待っていた人もいた

***

数日後
わたしの劇団仲間は先にボランティアとして神戸に入っていった
わたしは仕事の都合でようやく神戸に入れたのはだいぶん後になってから

神戸を元気づけようと各地で小さなイベントが開催され始めた頃だった

地元の子供たちと手造りのお化け屋敷で遊んだ
取り壊しが決まった映画館からも
最後だからとご依頼があり
子供たちと一緒になってアイデアを持ち寄り盛大にお化け屋敷を作った
大きな声で笑い
大きな声で驚き
のびのびと過ごしたあの日々はいまでもしっかり記憶に残っている

***

あれから20年たつのですね

自然とともに生きているのだということ
自然の力を侮ってはいけないということ
をわすれてはいけない
そう思っている

今の日本をみつめながら
複雑な思いはたくさんあるけれど

わかっていることはひとつ

「今を生きる」


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