放課後の夕暮れは優しくて

学校の雰囲気が少し変わりつつあった。
大学受験や就職活動などによって
染められていく雰囲気は少し殺伐としている。
部活も引退しちゃったし、文化祭も終わった。
今までの時間で注いでいた力が
宙に浮いてしまって埋めるために
バイトに精を出す友達もいたけれど少数派だった。
多くは将来の為に、勉強をするようになった。
学校と予備校と自宅のトライアングルの中心で
息苦しい生活を余儀なくされた。
放課後のチャイムが鳴ると
クラスメイトは散っていってしまう。
誰もいない教室だけは、あの頃と変わらない
雰囲気と時間が流れていた。
私たちはその時間が好きで
家庭教師の授業の開始時間か
予備校の開始時間まで
教室で過ごすことが日常になっていた。
「ねぇ、やっぱ予備校には行かないの?」
親友のアキが尋ねた。
「うん」
「いいよね、家庭教師。私なんか毎日
予備校に軟禁されて勉強してるってのにさ」
冗談交じりにアキは呟いた。
「軟禁って、言いすぎじゃない?」
「いや、あれは完全に軟禁だよ。
それで監視の中、勉強するんだよ。
もう嫌になっちゃうっての」
彼女の顔からには疲労が浮かんでいたが
どこか晴れやかにも見えた。
話を聞くと、予備校の成績が
徐々にではあるが上がっているらしい。
「よかったね、これで青山にも行けるかな?」
「絶対、青山に行ってオシャレな
女子大生生活を手に入れてやるんだから。
そして絶対イケメンと付き合ってやる」
田舎に住んでいる身としては
どうしても東京の生活には憧れてしまうのだ。
私だって、その気持ちは抱いている。
でもアキはそれ以上の熱量だった。
思わず笑ってしまった私をアキは一瞥して呟く。
「タカコは上智、私は青山。
絶対に合格するんだよ。そして春からは
東京で楽しく過ごす。約束だからね」
アキの宣言に私は笑顔で頷いた。
それができたら、どれだけ嬉しいだろうか。
想像するだけでワクワクしてしまう。
「でもその前に合格したらディズニーね」
「そうだね。頑張ろう、受験」
私たちが描く絵空事を言葉にしていると
遠くの方から声が聞こえた。
「おい、秋久保」
クラスメイトの梶沢君の姿が目に入った。
「何?」
アキはかなり不機嫌な顔をして答えた。
「山路が呼んでんぞ。
お前、ちゃんと日誌書いたんだろうな?
オレまで呼ばれて、困ってんだよ」
「ちゃんと書いたよ。
アンタがなんかしたんでしょ?」
「してねぇよ。とりあえず職員室に来いってよ。
予備校あんだから、さっさと行くぞ」
梶沢君は、それだけ言い残して教室を後にした。
「ゴメン。ちょっと行ってくる」
「うん。でももう……」
私は腕時計を見る。
アキは頷いた。
「そっか。もう家庭教師の時間か。
それじゃ明日ね。一緒に帰れなくてゴメン」
「いいよ。……梶沢くんが待ってるよ。早くいかなきゃ」
色々な意味を込めてアキに言う。
「ホント、アイツは空気が読めないんだから」
ぶつぶつ文句を言いながらアキは教室を後にする。
別れ際のアキの表情は、どこかキラキラしているように見えた。
二人とも互いの想いには疎い。
いつかの放課後に梶沢君から呼び出されて
アキへの想いを相談された時は背中を押したのに。
どうやらアキには告白していないみたいだ。
多分だけど、梶沢君はアキの成績が
青山に届いていないことを知っているのだろう。
だから受験の邪魔をしないように黙っている。
なんとも梶沢君らしい気の使い方だ。
アキはアキで梶沢君のことを意識しているのに
「アイツとは腐れ縁だから」なんて言ってるから
仕方がないとは思うけど。でもアキの性格からすれば
告白されて付き合った方が頑張るのになとも思う。
なんだか恋は難しいな、なんて思いながら
帰り支度を始めた。私しかいない教室には
部活をしている生徒たちの声が聞こえ
噛み合っていない吹奏楽部の演奏が響いている。
急ぎ足で帰り道を進んでいると
見覚えのある背の高い男性と見つけた。
「先生」
彼を呼んでから私は近付いた。
「おう。ってか先生はヤメロよ」
恥ずかしそうに彼は言った。
「だって先生じゃん」
「まぁそうだけどさ。付き合ってんじゃん。オレら」
「去年までは選手とマネージャーだったけどね」
「まさか、こうなるとは思ってもなかったよ」
「私もそうだよ。でも先生が成績優秀な大学生で
家庭教師のアルバイトしてるからでしょ。
それをお母さんが知ったら、こうなるよ」
「まぁ、そうかもな。で、ちゃんと宿題はやったか?」
「あれ? 先生は否定しないんだ?」
「今から授業してやるから、それでいいよ。
ってか宿題の件、誤魔化しただろ?」
「あれ、バレた?」
「バレバレだよ」
彼は苦笑いをしながら言った。
私は本音を言葉にしてに伝える。
「家まではデートにしようよ」
「じゃあ先生はヤメロよ。あと授業中は
ちゃんと勉強すんんだぞ」
「うん。頑張るよ、勉強」
「うし、じゃあ頑張れ」
そう言って彼は私の頭を優しく撫でた。
それだけで満たされた気持ちになってしまう。
私は小さく頷いてから隙だらけの彼の手を握った。
温かくて大きい、私の大好きな手。
彼は私の手を包むように握り返してくれた。
二人で家まで話をしながら歩いていると
今日も勉強を頑張れそうな気がした。

文責 朝比奈ケイスケ

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