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帰り道

 大人になるってどういうことだろうか?
 自転車を漕いで進む帰り道、そんなことを抱いた。子供の頃に描いたり、見ていた大人の姿とは乖離した自分。何が違うのだろうか。足から伝わる力を推進力へと変えてスムーズに動く手入れの行き届いたペダル。でも頭の中は錆び付いて、耳障りな音が響くチェーンのようだ。
 一番に浮かんだのは外的な要因だった。ステレオタイプと笑われるかもしれないけれど、大人はスーツを着ているイメージが強い。学生時代、満員電車には疲れた顔したスーツ姿が溢れている空間を見続けてきたし、ドラマなどのフィクションの世界でも見た記憶がある。でも時代は変わって、スーツじゃない人間でも大人として仕事をしている。現に自分自身もラフな格好で職場までの往復をしているのだ。
 少し先の信号が黄色から赤に変わった。ペダルを回す力を緩めて、慣性の法則に頼る。静かな夜に響く気持ちよいラチェット音に耳を傾けながら、横を過ぎ去る乗用車を一瞥した。無表情の中年男性が目に入る。僕を抜き去ってすぐにブレーキランプが赤く光った。暗い夜に映える赤に対して、自分の持ち物が子供じみているのかと頭に過る。
 童顔な顔と体型、格好、乗り物も、もっと言えば趣味や聞いている音楽も学生時代からさして変化がないことに気付いたからだ。大人になったと呼ばれる歳になっても公私問わずユニクロや無印商品の低価格のTシャツは着ているし、腕に巻いた時計は学生時代から使い続けているG-SHOCKだ。乗り物もママチャリからシティバイクへと変化しているけれど、自転車には変わりが無い。趣味だって変わってない。大人になればゴルフでもやるのかなと思っていたけれど、その気配は全くない。音楽も未だにロックバンドを聞いているし、むしろ若者のトレンドもしっかりと確認している。むしろ真っ直ぐな歌詞の音楽に学生時代よりも惹かれている節すらある。
 信号が青になり、再びペダルを回す。次第に速度が上がり、顔に当たる冷たい風の勢いも強くなっていく。見えない壁にぶつかっているように、露出した部分だけが冷えていくのを感じる。重ね着で覆われている部分には熱がこもっているけれども、少しずつ頭の中も落ち着きを取り戻そうとしていた。
 ずっと大人になりたかった学生時代に描いた大人像は、悲しいほどに虚像だったのかもしれない。いや、そうなるための通過儀礼を悲しい程度には、見逃している気がした。未だにこんなことで悩む自分の青年具合に呆れながら、きっと本当の意味で大人になるまでには途方に暮れる時間が掛かるように思えて、ため息が出た。冬の訪れを示すように白く着色された息を置いていき、情けない自分自身から必死に逃げるように全力でさっきよりも重たくなったようなペダルを回した。
 どうやら僕は過去に囚われすぎているのかもしれない、という核心的な答えを胸に抱きながら。


文責 朝比奈ケイスケ

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