独りよがり

恋という概念について
因子分解するようになったのは
何歳の頃だっただろうか。
正直、覚えていない。
でも今になっては朝起きて
歯磨きをするくらいの習慣性が
僕の中に確かに存在していた。
人が恋に落ちる。
その原理がやけに気になったし
何をもって恋と定義するのか。
今の若者と読書といった
関係性みたいにひどく疎かった。
そうした明るい世界について
触れてこなかった弊害なのだろう。
生物学的に考えてみれば
子孫を残すといった要素が強いだろうし
それ以上でもそれ以下でもないと思う。
感情という説明できない付属品を
知らぬ間に身に付けた人間が故の
出来事であるとすら思う僕は
人間として重要な側面が
恐らく抜け落ちている。
それはある意味では
恋を求めている節もあった。
また周りの人間が得ているものを
手にできないことについて
劣等感を抱いてしまう機会も
以前と比べてみれば増えた。
僕は独りの部屋でラジオを流しながら
時間を消化していた。
まるで明日の仕事を待つ
準備の時間を過ごすようだった。
自分が特別な何かを待っている
主人公になれる気がした。
不意にスマホが鳴る。みたいな
ちょっとだけ期待する展開もなく
それでもどこか期待をしながら
スマホを手に取ってみる。
別に何も連絡がある訳でなく
誰かに連絡しようと思わなかった。
もう独りに慣れてしまったのだ。
気付いた時、ため息が自然とこぼれた。
終わった恋を録画したドラマみたいに
思い返すことは簡単だった。
けれど僕は、再生しなかった。
そこには疲労と後悔が混ざった感情が
ゲリラ豪雨のように不意にやってきて
全てを飲み込む破壊力があることを
冴えない人生の中で、嫌というほど
経験してきた結果だった。
新しい恋を探すという
意味不明なキャッチフレーズを
頭に浮かべてみても
バスケの試合でチビが
センターするくらいの違和感が
僕の行動を抑止する。
全く面倒な性格と思考回路だと
自嘲してしまった。
部屋にいると厄介なことばかりを
考えてしまうと判断して
財布、鍵とスマホを持って
部屋を後にした。
連日の曇天が嘘みたいに
外は晴れ渡っていた。
澄んだ青がやけに眩しくて
思わず目を背けたくなった。
休日ということもあり
街道には多くの人が溢れ
非日常を演出している。
その人波を避けるように
散歩している姿は逃亡犯と言っても
過言ではないだろうと思った。
歩きながら、再び恋について
身勝手な考察を始めてしまったのは
目の前を歩くカップルのせいだった。
誰かを好きになるきっかけというのは
歳を重ねていく度に難しくなり
いつしか好きという感情を失うのだろうと
どうしょうもない答えに行きついた時には
元カノの好きな喫茶店の前に居た。
思わず天を仰いだ。
僕は失恋のショックを拭えぬまま
彼女の存在を否定するために
無意識のうちに恋というものを
否定していたのかもしれない。
でも感情は彼女を求めていた。
「感情は正直だな」
心の中で呟き、踵を返して歩き出す。
ガラス張りの向こうに
彼女の姿を見たからだった。
大戦から逃げる足軽が抱きそうな
恥ずかしさがコーヒーに注ぐ
ミルクのように胸を染めていく。
大人になれない子どもなんだと自覚する。
生産性のない感情を飲み込んだ。
青汁のように苦く不味い味がした。
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僕は椅子に座った姿勢で腕を伸ばす。
両手にコーヒーカップを持ったキミは
興味ありげにディスプレイを覗いた。
「やけにご都合主義で悲観的だね」と
キミは言った。甲高くて好きな声だ。
「失恋ってこんな感じじゃないの?」
真剣な表情で僕は尋ねた。
「こんなに哲学風に考えないよ、普通」
「オレ、おかしいのかな?」
「おかしくはないけれど、
ストーカーになれる素質を持ってそうだね」
「十分、おかしい奴じゃん」
「だね」
笑みを浮かべたキミは右手を伸ばして
コーヒーカップを僕に差し出した。
「ありがとう」
僕はそれを受け取って、口にする。
熱くて、苦くて、それでいて
どこか優しい味がした。
「これを読んで男の人が恋を
名前を付けて保存する理由が
少しわかった気がする」
「そう?」
「これは落選するよ」
「知ってるよ」
「じゃあなんで書くの?」
「書くことが好きだからかな?」
「男の子ぽいね、そういうところ」
子どもをあやす母親のような声は
どこか呆れているようだった。
僕は敢えて本音を言わなかった。

数か月後、キミの言う通り
見事に落選したけれど
今日もキーボードを叩いている。
何事も変わっていない風景。
キミが部屋にいないこと以外は。
キーボードを叩きながら
僕はあることを考えていた。
「恋」とは一体何だろうか、と。

文責 朝比奈ケイスケ

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