夏休みの終わり、彼はいなくなった

「Kが自殺した」
そのメッセージがクラスに流れたのは
夏休みが終わる9月2日の夜だった。
あまりに突然のことで部屋の椅子の上で
全ての回路が止まってしまったように
僕は何もできずに、ただ座っていた。
送信相手に確認のメッセージを送ることで
精一杯だった。でも涙の一つも出てこない。
恐ろしく感情が乏しいのだろうか。
それとも現実を受け入れられないのか。
正直、この瞬間は分からなかった。
ただ大事な友人と会える時間が
当たり前じゃないことを噛み締めることで
Kの存在の大きさを理解しようとした。
我ながらわがままな考え方だと思う。
机の上に置いたスマホを手に取り
KとのLINEのやり取りを見直す。
画面を上にスクロールして
連絡を取り合い始めた頃まで戻した。
今、読み返すとKは多くを語っておらず
僕の送るメッセージに対して
明るくアドバイスしてくれている印象だ。
好きなドラマや映画の話には
評論家かと言いたくなるほどに
能弁な返事が届いていていたけれど
Kが挙げたタイトルを僕は全く知らず
適当に受け流している返事が表示されている。
でもすぐに別の話になって最終的には
僕の悩みを聞いてくれていた。
改めて自分がKに依存していたかを
自覚せざるを得ない状況にため息がこぼれた。
Kの抱えたものを近くにいた僕は何も知らない。
「アイツのサインに気付けなかったのか」
虚しく呟く言葉は、ひどく乾いていた。
同時に思うこともあった。
Kは簡単に死を選ぶようなタイプの
人間ではないという直感に似た感想だ。
友人という色眼鏡を外して冷静に考えても
学校でもいじめられている訳でもなかったし
それどころかクラスの中心にいた重要人物だった。
ある意味、教室の柱のような奴でもあった。
家庭事情は教えてくれなかったけれど
養護施設で生活をしていることは知っていた。
僕が知っているKの性格を踏まえれば
世話になっている誰かが悲しむ選択肢を取るとは
到底、思えない。するとある映像が鮮明に浮かんだ。
首を振り、全力で否定する。でも拭えない。
「もしかして殺された?」
頭を切り替えるように敢えて口に出す。
あまりに現実味がないことに気付きながら
足りない頭をフル回転させて、理由を追いかけた。
そこに意味が無いことなど分からぬままに。
僕は立ち上がり、自分の尻尾を追いかける犬のように
謎を解こうとするシャーロックホームズのように
狭い部屋の中をひたすら歩いた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
何も掴めないまま、再び椅子に腰かけた。
部屋の天井を眺めて、ぼーっとした瞬間
スマホが音を立てて震え始めた。
手を伸ばし、画面を見る。
滅多に連絡することのない名前が
表示されており、着信音は消えることはない。
震えた手で通話ボタンをタップする。
「もしもし」
僕の問いかけに対して反応がない。
代わりに鼻をすするような音が耳に届き
彼女が泣いていることを理解した。
でも何を言っていいのか分からず
しばらく無言の時間が過ぎていく。
「……ごめん。……K君のこと聞いた?」
彼女の声は、今まで聞いたことないほど暗く
そして今にも消えてしまいそうなほど小さかった。
「聞いた」
「そう」
「うん」
一度、会話が途絶える。
再び彼女の声を聞いたのは
しばらく経ってからだった。
「A君は冷静だね」
「冷静じゃないよ、受け入れられないだけ」
「私も受け入れられなくて、誰かに話を聞いて
もらいたかっただけなの」
尻つぼみに小さくなる彼女の声。
抱える心情は痛いほどわかった。
彼女はKに片思いをしていることを
彼女に片思いしている僕は知っていたから。
そしてKは誰かに片思いをしていることも
僕は知っていた。彼女も薄々知っていただろう。
片思いしている相手が突然いなくなることは
思春期真っ盛り、17歳の僕らにとって
身体の一部が切り落とされるほどの痛みを伴う。
それから僕は彼女の支離滅裂な話を
ひたすら聞き続けた。
気付けば朝陽が部屋に差し込んでいた。
学校に行く気は起きなかったけれど
彼女がKの後を追わないか不安で仕方がなく
目を真っ赤にして、学校に向かった。
本来であれば、夏休みの近況報告で
盛り上がっているはずの教室は
葬式のように静まり返っており
普段とは異なる雰囲気が広がっている。
チャイムが夏休み前と変わらず
同じ時間になり、担任が教室に入ってくる。
全員が自分の席に腰かけて、担任は淡々と話始めた。
窓側の席にKが座っておらず
代わりに机の上に菊の花が供えていること以外
何も変わっていない教室。
神妙な表情でKについて話す担任の言葉は
自殺が本当に起きたことを証明している。
現実を受け入れてすすり泣くクラスメイト。
僕はここでも泣くことはできなかった。
ずっと脳内に浮かんでいるのは
Kとの最後の会話だった。

「お前はさ、彼女のことが好きなんだろ?」
放課後の教室で、窓の向こうを見ていたはずの
Kが彼女の席を指さして言った。
突然のことで僕は激しく動揺した。
「なんでそんなことを聞くんだ?」
「いや、なんとなくだけど。で実際どうなの?」
「答えなきゃいけないのか?」
「それはもう答えているように聞こえるんだけど」
「まぁKならいいや。オレは彼女のことが好きだよ」
「じゃあ、告っちゃえよ」
「なんでそうなる?」
「高校二年の夏だぜ、彼女がいた方がいいだろ」
Kは笑いながら言う。見たことのない表情だった。
そして悲しみを帯びた目が印象深かった。
「そりゃそうだけど、そんなにうまくいかないんだよ」
「なんでだよ?」
「オレにはオレのプランがある」
「それじゃ告白なんて一生できないじゃん」
Kはその後も僕の思っていることを的確に刺し
僕から逃げ道を奪っていく。正直、イライラした。
Kの説教じみた演説の途中、遂にキレた。
「彼女はお前のことが好きなんだよ」
怒鳴るような声にKは驚き、それ以上に僕も驚いた。
教室内は静まり、時計の秒針と部活の声が聞こえる。
Kはさっきよりも深い悲しみを表現するような
深海のように暗く、冷たい目をしていた。
「ごめん」と僕は口にする。
するとKは演技派の役者が仮面を外したかのように
笑いながら「キレたと思った?」と言った。
「マジでびびったわ」
「こんくらいでビビんなよ」
「いやビビるわ。でも怒鳴ったのは本当にごめん」
「いいよ。オレも追いかけすぎた」
Kは話題を変え、僕らは普段通りにバカ話を繰り返した。

お通夜の雰囲気の中で、僕らの二学期は始まった。
帰りに僕は彼女を誘った。
彼女は戸惑った様子だったが頷く。
初めて二人きりで一緒に帰るのに
胸が全然ときめかない。無理もない。
僕の頭には全く別のことがあり
彼女もまたそれは同じだった。
会話のないまま、僕らはレンタルビデオ屋に行き
Kが好きだと言っていたタイトルを借りた。
「これを一緒に見て欲しい」
店を出て、僕は言った。彼女は何も言わずに頷く。
その足で僕の家に行き、借りてきた映画を流した。
Kが好きだと言った映画は、今の僕らには刺激が強く
目を背けたくなってしまった。
彼の自殺に深く関連のあるものだとは
全く持って考えていなかったからだ。
エンドロールが流れ始めた頃
横に座っていた彼女は泣きながら呟いた。
「この映画、K君とA君みたいな関係だったね」
彼女の言葉、僕は戸惑い、狼狽し、深く暗い
表現できない罪悪感が、こころを一気に染めた。
「……僕が原因だったのか」
この時、初めて僕はKのことを思って涙を流した。
一学期最後の放課後にKと二人で撮った写真が
狭い部屋で泣きじゃくる二人の姿を見つめていた。

文責 朝比奈ケイスケ

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