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予知夢

 今にも雨が降りそうな曇天。文則は目の前にいる姿を見つめていた。
「文則、私と別れて良かった?」
 真剣な表情でキミは不意に尋ねた。
 文則は返す言葉を模索して、口をつぐんだ。
 オレは後悔しているよ。
 心に引っ掛かったまま本音は言える訳もない。それは決して口にしてはいけない言葉。分かっている。仮に口に出してしまえば。ダムが崩壊したかのように感情が溢れ出すことは想像に容易だった。
 キミは、文則の言葉を待つように次の言葉を発しないまま時間が経過していく。我慢比べのような時間には、忘れかけていた懐かしさが帯びている。このまま時間が止まればいいのにと本気で思ってしまった。やはり文則の中では決心がつかないことを意味しているようだった。もう別れて何年もの月日が経過しているのにも関わらず、未だにキミに惚れている覆すことのできない事実。その事実は文則の中に潜んでいる女々しさを見事なまでに浮き彫りにする。
「ねぇ? 黙ってたら分からないよ?」
 口調は物腰柔らかく、そして甘えたような声。あの頃と何一つ変わらない声に、文則は意を決した。
「……葉月。オレ……」
 言葉を続けようとした瞬間、金縛りのように身体が硬直し始めて、気付けば全身の自由を奪われていた。まるで、エサを求める金魚のように文則は必死に口を動かした。しかし声にならない。文則の抱いた本音は届くはずもない。その姿を見ていた葉月は、不思議そうな表情をしている。
 本当の気持ちを言葉にしなければ。心の奥底に押し込んだ本音を言わないといけない。その気持ちに反して、身体の硬直はキツくなり、最終的に口も動かなくなった。諦めの念が広がっていく。文則は唯一機能している視覚に全神経を集中させる。せめてもの抵抗だった。
 大学時代、講義をサボってタバコを吸いながら眺めていたお気に入りだった空間。葉月の後ろには、青春時代に見つめてきた東京のビル街が広がっている。
「なんで、この場所なんだよ?」
 文則は頭の中で今の状況を整理しながら、胸の中で毒づく。
 葉月に告白して、その3年後に別れを切り出された場所。その因縁とも言える場所で、意味も分からないままに葉月と正対している。次第に思い出がフラッシュバックし始めた。まるで死に際に見ると言われている走馬灯のように。
 その時だった。曇天だったはずの空から一筋の光が差し込み、葉月を照らした。
「これ、天使の梯子って言うんだよね? 文則が教えてくれたよね」
 笑顔で言う葉月の姿は恐ろしいほど眩しい光に吸い込まれていく。キツく硬直していた身体が緩んでいくのを感じた。もはや反射的に文則は反射的に右手を伸ばした。光の中に吸い込まれていく葉月の手を掴む思い、いや、正確には葉月を引き寄せて抱きしめようとするために。
「さよなら。ありがとうね、文則」と言った葉月は、眩い光の中に消えていった。
「葉月」
 声を上げると、見覚えのある天井が目に入った。悪い夢を見ていたようだ。文則はため息をこぼす。あの映像を見ている時から、夢だと分かっていた。だからこそ、今になって葉月の夢を見たことを真意を求めようとしていた。女々しさは健在であり、ふがいない自分を笑いたくなった。その時、スマホが震えた。嫌な予感は抱いていた。最悪の展開だけは避けて欲しかった。
 友人からのLINEだ。アプリを起動させてメッセージを開いた。
『葉月、結婚するらしいぞ。どうする?』
 決まってるだろ。文則は言葉にしない決意を固めて、葉月の連絡先をタップした。我ながらキャラじゃないと自嘲する。でもやらない後悔を積み重ねたからこそ思う。時にはワガママに誰かを困らせてやろうと。土足で踏み込んで、一生忘れられない存在になってやろうと。
「もしもし?」
 葉月の声を聞いた文則は、条件反射のように言葉を発した。

文責 朝比奈ケイスケ

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