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自分の中の裁判官

京子です。

私ね、ずっと自分の中に
裁判官がいました、、、


というのは
自分で自分のことを
めっちゃくちゃ裁いていたの。


それは正しい
それは間違っている
そんなんじゃダメだ
っていつもいつも。


仕事でも
恋愛でも
人間関係でも

自分で自分のこと見張っていた。

だからさ
心から安心したり
全くできなかったんだ。


なにをしていても
自分の中の裁判官に裁かれてた。
本当に何しててもだよ。

もっと違う方法があったんじゃないの?
もっと頑張れたんじゃないの?
もっとちゃんとできたんじゃないの?
もっと違う接し方できたんじゃないの?
って。

そして
こんな私は最低だ無価値だって。
自分を責めていた。

自分自身で自分を見張って裁いてるんだもん
人から裁かれても当たり前だった。


だってそれが自分の当たり前だったから。


もしかしたら同じような人
いるかもしれないな〜って思って。


自分で自分を裁いてたりしない?
こんなんじゃダメだって。
まだまだでしょって。


もし思い当たる人がいたら
それ早めに気づいて

やーめた!!

ってやめた方がいいよ。

気づかずにやってるかもだけど
こんなんじゃダメだとか
まだまだでしょ
って自分に言っていたら
裁判官がいる可能性大だよ。


なんでやめた方がいいかって

それはもし自分が自分を裁いていたら
外の世界でも同じことが起きるからだよ。


そして自分で自分をそう思っているから
人からもそう思われてるかもしれない
って被害妄想も生まれる。


誰も何も思ってないのに
自分で自分を裁いているから
人も自分のことをそういう風に
思っているんじゃないか・・・
って思っちゃうんだよね。

だから私は人の目を気にしたし
人からすごいと言われるために
頑張ったりしたの。
ダメだって言われないために。
たくさんの仮面をかぶっていた。


それでもいつそう言われるか
内心ビクビクしてたな。


弱音も吐かずに
頑張ることをし続けた。

なのにうまくいかなかったし
それどころか、頑張れば頑張るほど
うまくいかないことの方が多かった。
なんでよ・・・っていつも思ってた。


そして人にも厳しかったな・・・
自分にも厳しいからそうなるんだけど
すごい性格悪くて
人の粗にばかり目がいってた・・
ほんとにやな奴だったわ。


でもこれしょうがないんだよね。
自分の中に裁判官がいて
正しいか間違っているか
常にジャッジしている状態だから
それが標準装備になる。

自分にやってること
人にやらないわけがない。
だってそれが当たり前なんだもん、私にとって。

でも本当にしんどかった。
心休まる時がなかった。
そして人のことも信用できなかった。


そんな人生を変えたくて
色々学んでいくうちに
やっと裁判官の存在に気づいた。


この気づくってことが大きくて
気づいて初めて
そのままの状態でいるか
やめるか
の選択ができるんだ。


もちろん、すぐにそんなのいらない
もう辞める!!
って思った。


でも気づかないと
その選択もできないよね。


気づいたらじゃあどうする?
って考えられるから。

今はすっかり裁判官はいなくなり
逆にユルユルになりすぎた感もあるけど

でもね、裁判官がいなくなったら
世界は優しかったの。
人は優しいってやっと気づいたの。


もちろん
自分で自分を裁くこともなくなったけど
人から裁かれることもなくなったし
被害妄想もなくなったし
自分を責めることもなくなったし

見る世界が変わった。
見える世界が変わった。

だからもし自分に厳しかったり
自分を否定してしまうこと
そういうのが多い人は
自分の中に裁判官がいるかもしれない。

のでちょっと疑ってみて。


気づく

がスタートだよ。

そうそう、私の中には
ファイティングポーズの自分もいたの。

それについてもまた書いていきます。


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